第19話 偽国王に反逆者と呼ばれたので、本物の国王を長椅子ごと連れてきました
「皇太子ルシアンと、その偽婚約者を拘束せよ」
国王と同じ姿をしたカシアンが命じると、彼に付き従っていた近衛兵たちが一斉に剣を抜いた。
ルシアン側の近衛兵も、反射的に武器を構える。
広間の中央で二つの集団が向かい合い、招待客から悲鳴が上がった。
「剣を下ろせ」
ルシアンが自分の兵へ命じた。
「ですが、殿下!」
「この人数が斬り合えば、無関係な招待客まで巻き込まれる。先に手を出すな」
兵たちは納得していない顔をしながらも、剣先を床へ向けた。
「随分と聞き分けがよくなったな、ルシアン」
偽国王が杖を鳴らす。
「やましいことがあるから抵抗できないのか?」
「父上の顔で呼ぶな」
「何を言っている。私はおまえの父親だ」
「私の父は、息子を偽の婚約者に操られたなどとは言わない。自分も偽物の顔に騙され、妻を失った人間だからな」
招待客の間に動揺が広がる。
偽国王は、嘆かわしいものを見るように首を横へ振った。
「皆も聞いたであろう。息子は正気を失っている。そこの娘は、宝石から死者の声を聞くという禁じられた術を使う。王妃の遺品を盗み、その声を騙って皇太子を誘惑したのだ」
「違います」
セラフィナが声を上げる。
「この指輪はベルモント家から回収した王家の品です。王妃陛下の声が残されていることは、皇太子殿下だけでなく――」
「死人の声を聞いたなどと、誰が証明できる?」
偽国王の問いに、セラフィナは言葉を詰まらせた。
石の声はセラフィナにしか聞こえない。ラピスなら記憶を声として吐き出せることもあるが、王妃の記憶はすでに二人で受け止め、ほとんどが消えている。
「ベルモント伯を見よ」
偽国王は床へ膝をついたままの伯爵を指した。
「皇太子は罪のない臣下へ幻術を施し、王妃殺害の犯人だと自白させた。さらに私を宮殿内へ監禁し、毒を盛られたという芝居まで用意して王位を奪おうとした」
「罪がないだと?」
ルシアンが低く問い返す。
「ベルモント伯は、エリーゼ・リードの工房へ火をつけたと認めた」
「幻術で言わされているだけだ」
「国王陛下は、皇太子宮で治療を受けています!」
ノアが前へ出た。
「印章指輪から毒を仕込む装置が発見されました。侍医の診断記録もあります」
「その侍医はルシアンの子飼いであろう。側近であるおまえの言葉も、証言としては信用できない」
偽国王の言葉には、事前に準備した隙のなさがあった。
セラフィナたちが集めた証拠を、すべて知っている。
知ったうえで、それぞれに疑いを向ける言葉を用意しているのだ。
「リード伯爵令嬢」
偽国王がセラフィナへ手を差し出した。
「王妃の指輪をこちらへ渡せ。今なら、父と元婚約者に利用された被害者として扱おう。偽の婚約を解消し、王都から離れることも許す」
「お断りします」
「命が惜しくないのか」
「惜しいです。怖いですし、できれば今すぐ逃げたいと思っています」
セラフィナは青い指輪を握った。
「でも、怖いからといって、自分の名前までお渡しするつもりはありません。あなたは王様の顔を使い、わたしの顔まで使った。人の人生を服のように着替えれば、自分のしたことへ責任を持たなくて済むからでしょう」
「自分の顔を持って生まれた人間には、わからない」
「わかりません」
セラフィナは正直に答えた。
「あなたがどれほど苦しんだのか、わたしにはわからない。わかったふりをして、あなたを哀れな人にしてしまうつもりもありません。でも、苦しんだことと、他人から顔や命を奪っていいことは別です」
「おまえも皇太子の婚約者という顔を被っているだけではないか」
「わたしは自分の名前で契約しました。条件を出し、不満を伝え、三か月後に離れる権利も残しています。殿下の婚約者になっても、セラフィナ・リードであることを捨てたつもりはありません」
ルシアンがセラフィナの隣へ立つ。
「彼女は私へ従っているのではない。むしろ、私が間違えるたびに止めている」
「それを操られていると言うのだ」
「自分へ逆らう者をすべて敵と呼ぶ人間には、話しても理解できないだろうな」
偽国王の目に、冷たい怒りが浮かんだ。
「最後の警告だ。娘を渡せ。さもなくば、王命に逆らった反逆者として、おまえをここで処刑する」
「セラフィナを渡すくらいなら、反逆者で構わない」
「殿下」
「ただし、君まで一緒に捕まる必要はない」
「また一人で格好をつけるつもりですか」
「君を逃がすためなら――」
「そうやって、わたしが後ろで感動するとでも思っているんですか? 勝手に残って処刑されたら、一生怒りますよ」
「死んだあとまで怒られるのか」
「石に声が残っていたら、毎日説教します」
「それは嫌だな」
「ならば、二人とも生き残る方法を考えてください」
この状況で笑うべきではないのに、ルシアンの口元がわずかに緩んだ。
「わかった。君の説教から逃げるためにも、生きることにする」
「理由は少し気に入りませんが、今はそれで結構です」
偽国王に従う近衛兵が、二人を囲むように前へ進んだ。
そのとき、大広間の外から騒がしい声が聞こえた。
「もっと左側を上げなさい! 陛下のお身体が傾いております!」
マルタの声だった。
「だから寝ていろと申し上げたでしょう!」
「私の顔をした男が息子を処刑しようとしているのに、寝ていられるか!」
「落ちて頭を打たれても、わたくしは責任を取りませんからね!」
大広間の脇扉が開く。
四人の使用人が、大きな長椅子を担いで入ってきた。
その上には、毛布を掛けられた国王が横たわっている。脇には侍医、後ろには腕を組んだマルタが付き従っていた。
ノアが額を押さえる。
「本当に長椅子ごと運んできたんですか」
「車椅子がないのだから仕方あるまい」
本物の国王は長椅子の上で身を起こし、自分と同じ顔をした男を見た。
「久しぶりだな、カシアン」
大広間が、今度こそ完全に静まり返った。
招待客の前に、同じ顔をした国王が二人。
「陛下が二人……」
「どちらが本物だ?」
「皇太子殿下の術ではないのか……」
偽国王は驚いた顔を見せたが、それも一瞬だった。
「見事な偽物だ、ルシアン。病人の姿なら、私に似せるのも容易だったか」
「偽物はおまえだ」
長椅子の国王が答える。
「その立ち方を見ればわかる。おまえは子供のころから、右足へ体重を掛ける癖がある。七歳のとき、私と木登りをして足を折ったからだ」
「兄上に落とされた」
偽国王の口から、無意識に言葉が漏れた。
「私が落としたのではない。おまえが私より高く登ろうとして、細い枝へ手を掛けたのだ」
「兄上が先に挑発したからだ!」
「カシアン」
偽国王の顔が歪んだ。
「私を、その名で呼ぶな」
「では、何と呼べばいい。兄の顔を着て、兄の名でしか人前へ立てないおまえを」
「黙れ!」
灰青色の瞳が、一瞬だけ琥珀色へ変わった。
招待客の中から息を呑む声が聞こえる。
「やはりカシアンなのか……」
「十五年前に亡くなったはずでは?」
「王弟殿下が生きていた?」
しかし、まだ決定的ではない。
国王の記憶を調べ、兄弟の会話まで準備していた可能性は残る。
「ノア、例の鏡を」
セラフィナが言うと、ノアは布に包まれた銀の手鏡を差し出した。
カシアンから送られてきたものだ。
「その鏡は、カシアン自身の魔力で作られています。王妃様の指輪と共鳴させれば、鏡晶術の下にある顔が映るはずです」
「そんな得体の知れない術を信用するのか!」
偽国王が声を荒らげる。
「本物なら、鏡を見ても何も起こりません」
セラフィナは青い指輪を鏡へ触れさせた。
銀の鏡面に、国王の顔が映る。
その顔へ細い亀裂が走った。
老人の皮膚が硝子のように剥がれ、下から別の男の顔が現れる。
国王より若い面差し。
左目だけが琥珀色で、こめかみから頬へ古い火傷の痕が走っていた。
王妃の記憶で見た男だ。
「カシアン……」
本物の国王が、弟の真の顔を見つめる。
偽装が解けたカシアンは、もはや国王の声を使わなかった。
「その顔で私を見ないでくれ、兄上」
「どの顔だ」
「弟を憐れんでいる顔だ。昔から、それが一番嫌いだった」
「憐れんでなどいない」
「嘘をつくな。王太子に選ばれなかった私を、王冠に拒まれた私を、母親の身分を笑われた私を、いつもかわいそうな弟として見ていた!」
「そうだ」
国王は否定しなかった。
「私は、おまえを対等に見ていなかった。守ってやるべき弟、少し分け与えれば満足する弟だと思っていた。それは私の罪だ」
「今さら謝るのか」
「謝罪で許されようとは思っていない。兄として失敗したことは認める。だが、おまえが私の妻を殺し、エリーゼ・リードを死なせ、息子の人生を奪おうとした罪まで、私のせいにはさせない」
「兄上が王冠を独り占めしなければ、何も起こらなかった!」
「王位を決めたのは私ではない」
「だが、受け取った!」
カシアンの叫びは、幼い弟が兄へ向けるもののようだった。
「私がどれほど欲しがっているか知りながら、兄上は王冠も、国も、あの人も、すべて受け取った!」
「あの人?」
国王の顔に、苦痛が浮かんだ。
「王妃様のことですか」
セラフィナが尋ねると、カシアンは笑った。
「あの女だけが、最初は私を王子として扱った。琥珀色の目を綺麗だと言った。だから私も、あの女なら理解すると思った」
「それなのに殺したんですか」
「最後には、あの女もルシアンを選んだ」
「母親が自分の子供を守るのは当然でしょう!」
「誰も私を選ばない。だから、選ばれる顔を手に入れるしかなかった!」
「違います」
セラフィナはカシアンを見据えた。
「あなたは、自分を選ばなかった人を消してきただけです。王妃様があなたを選んでも、次に何か断られれば、また裏切られたと言ったでしょう。あなたが欲しいのは愛されることではありません。誰にも否定されないことです」
カシアンの琥珀色の目が、憎悪に染まった。
「母親に最後まで愛された娘には、わからない」
「わかりません。だからといって、あなたへわたしの顔を差し出す理由にもなりません」
「ならば、力ずくでもらう」
カシアンが右手を上げた。
大広間を囲む無数の鏡が、一斉に割れた。
破片から招待客たちの姿をした影が這い出してくる。侯爵、侍女、近衛兵、そしてルシアン。誰が本物なのか、一瞬でわからなくなった。
「全員、その場を動くな!」
ノアが叫ぶ。
だが恐慌に陥った招待客が、出口を目指して走り出す。偽物と本物が入り乱れ、広間は混乱に包まれた。
「セラフィナ!」
「ここです!」
ルシアンが手を伸ばす。
セラフィナもその手をつかもうとしたが、二人の間へ鏡の壁が現れた。
鏡の向こうで、カシアンが笑っている。
「指輪の封印を解いてくれて感謝する」
「何ですって?」
「エリーゼの封印は、王冠と指輪の繋がりまで断っていた。王妃の記憶を聞くために、おまえたちは自分でその封印を壊した」
セラフィナの血の気が引いた。
「では、王冠の術式が起動したのは……」
「おまえのおかげだ」
「嘘です」
「嘘ではない。青い指輪を返してもらう必要など、最初からなかった。王妃の記憶と王冠を再び繋ぐため、おまえ自身に封印を解かせればよかった」
カシアンの姿が、鏡の奥へ沈んでいく。
「待て!」
ルシアンが剣を振り下ろした。
鏡が砕けたとき、カシアンはすでに消えていた。
その直後、ルシアンが胸を押さえて膝をついた。
「殿下!」
セラフィナが駆け寄る。
彼の首筋へ、王冠を模した青黒い痣が浮かび上がっていた。
「ルシアン!」
国王が長椅子から降りようとして、侍医に止められる。
ギデオンが痣を確認し、顔色を変えた。
「王冠が、殿下の魔力を吸い始めています」
「解除できるんじゃなかったのか」
「王妃陛下の記憶から手順はわかった。だが、カシアンはすでに術式を書き換えている」
「あと何日ある」
ルシアンが苦しそうに尋ねる。
ギデオンは答えなかった。
「言え」
「七日ではありません」
青黒い痣が、ルシアンの胸元へ少しずつ広がっていく。
「王冠がこの速度で殿下の魔力と記憶を吸えば、保つのは三日です」
戴冠式まで、あと七日。
けれどルシアンからルシアンという人間が消えるまで、残された時間は三日しかなかった。




