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『婚約破棄されて返した指輪から、亡き王妃の声が聞こえます ~石の記憶を読む地味令嬢、冷徹皇太子の偽婚約者になりました~』  作者: 極楽鳥


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18/31

第18話 二人の婚約者を前に、冷徹皇太子は迷わず本物を選びました

 大広間にいる全員の視線が、二人のセラフィナへ注がれていた。


 片方はルシアンの隣に立ち、もう片方は入口で肩を震わせている。ドレスも髪型も、母の月長石さえ同じだった。


「その女から離れてください」


 入口に立つセラフィナが、涙を流しながら訴えた。


「わたしは控え室で襲われました。鏡の中から現れた男に、顔と声を奪われたんです。殿下の隣にいる女はカシアンです!」


「違います。わたしは最初から殿下と一緒にいました」


 セラフィナは反論したものの、自分の声で自分を偽物だと責められるのは、想像以上に気味が悪かった。


「それこそ嘘です! カシアンは他人の記憶まで石から盗めるんです。三か月の偽装婚約も、十九項目の契約も知っている。殿下が傷を負ったとき、わたしが包帯を巻いたことも……三か月後も帰したくないと言われたことも!」


 招待客たちのざわめきが大きくなる。


「偽装婚約ですって?」


「では、この披露宴も芝居なのか?」


「どちらが本物だ……」


 混乱が広がる中、ルシアンは剣を抜かなかった。


 セラフィナからも、入口の偽物からも同じだけ距離を取り、二人の顔を順番に見た。


「殿下」


 偽物が一歩近づく。


「怖いんです。早く助けてください」


「そこから動くな」


「どうしてですか。わたしが本物なのに……」


「確認する」


 ルシアンは偽物へ問いかけた。


「三か月後も?」


 偽物は一瞬だけ目を見開いた。


 けれど、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべる。


「もちろん、殿下のおそばにいます。もう偽装ではありません。わたしも殿下を愛していますから」


 広間のあちこちから、安堵するような溜息が漏れた。


 いかにも婚約披露宴にふさわしい、美しい答えだった。


 ルシアンは何も言わず、今度はセラフィナを見る。


「三か月後も?」


 セラフィナは小さく息を吸った。


「今は、そこまでです」


 招待客たちが困惑する。


 婚約者から将来を尋ねられた令嬢の答えとしては、あまりにも素っ気ない。


「昨日も申しましたが、三か月後のことは三か月後に考えます。人前だからといって、勝手に契約を延長しないでください」


「そうだったな」


 ルシアンは迷わずセラフィナの隣へ戻った。


 剣を抜き、その切っ先をもう一人のセラフィナへ向ける。


「そちらが偽物だ」


「待ってください!」


 偽物の顔から笑みが消えた。


「その女が、わたしの答えを盗んだんです。今の質問も合言葉だったのでしょう? わたしが答えたあとで、わざと違うことを言っただけです!」


「違う」


「何を根拠に!」


「君は、私が望む答えを言いすぎた」


 ルシアンの声は静かだった。


「本物のセラフィナは、私が困るとわかっていても、自分が納得できないことには同意しない。まして人前だからという理由で、気持ちまで取り繕ったりしない」


「そんなもの、ただの思い込みです!」


「そうかもしれない。だが私は、彼女を選ぶ」


 ルシアンはセラフィナの前へ手を差し出した。


「触れても?」


「はい」


 セラフィナがその手を取る。


 偽物は怒りに顔を歪めた。


「許可を取ったから何だというんです! そんなこと、わたしだってできます!」


「できるだろう。だが本物は、触れられる前に確認されなければ、あとで必ず文句を言う」


「殿下。見分け方が、先ほどから少し失礼です」


「ほらな」


「今のは証明のために言ったわけではありません」


「それも本物らしい」


 ルシアンの指が、セラフィナの手を強く握った。


 同じ顔や声を持つことはできても、二人の間に積み重なった面倒なやり取りまでは奪えない。


「茶番です!」


 偽物が叫んだ。


「たった一日しか一緒にいない女を、本当に理解したつもりですか!」


「理解したとは思っていない」


 ルシアンは即答した。


「だから、これから聞く。わかったつもりにならず、何度でも確かめる。偽物のおまえには、必要のないことだ」


 偽物のセラフィナが右手を振り上げた。


 青い指輪が赤く光る。


「伏せろ!」


 ルシアンがセラフィナを抱き寄せた直後、指輪から鋭い鏡の破片が放たれた。


 大広間の壁や柱へ破片が突き刺さり、招待客から悲鳴が上がる。近衛兵が偽物を取り囲んだが、本人は喉元から細い短剣を取り出し、自分の胸へ向けた。


「止めてください!」


 セラフィナはルシアンの腕から抜け出した。


「近づくな!」


「指輪から声がします。あの人は自分の意志で動いていません!」


 偽物の青い指輪から聞こえるのは、カシアンの声ではなかった。


 誰かが泣いている。


『やめろ。息子には手を出さないでくれ』


『何でもする。だからオスカーだけは――』


「ベルモント伯です」


「何?」


「あの方の正体は、オスカーのお父様です!」


 短剣が胸へ突き刺さる寸前、ラピスが飛びかかった。


「偽物の青!」


 ラピスは指輪へ噛みつき、そのまま石ごと引き抜く。


「返せ!」


「まずい!」


「食べないでください!」


「少し噛んだ。すごくまずい!」


 ラピスが指輪を吐き出すと、偽物の身体を覆っていた銀色の光が剥がれ始めた。


 セラフィナの顔が歪む。


 銀青色のドレスが、煤に汚れた男物の上着へ変わる。


 床へ膝をついたのは、五十歳前後の痩せた男だった。火事で顔の一部を焼き、左腕にも血の滲んだ包帯が巻かれている。


「ベルモント伯……」


 セラフィナは、七年間の婚約中に何度も顔を合わせた男を見下ろした。


「あなたが、わたしのお母様の工房へ火をつけたんですね」


 ベルモント伯は否定しなかった。


 ただ、床へ両手をついたまま震えている。


「最初は、指輪を預かるだけだった」


 掠れた声が漏れた。


「王家から流れてきた品を、しばらく保管する。そう頼まれただけだ。ベルモント家を王室御用達にしてやると言われた。あのころの我が家は借金だらけで、このままでは爵位も屋敷も失うところだった」


「だから、盗まれた王妃様の指輪を受け取ったんですか」


「一度だけのつもりだった」


「人は皆、そう言いますね」


 セラフィナは自分の声が震えないよう、両手を強く握った。


「最初から、人を殺すつもりだったわけではない。一度だけ。家族を守るため。少し黙っているだけ。そうやって小さな卑怯を選び続けた結果が、今なんでしょう」


「エリーゼが工房にいるとは知らなかった」


「火をつけたことは否定しないんですね」


「帳面を燃やせと言われた。夜なら誰もいないはずだった。裏口へ鍵を掛け、火をつけて……中から、誰かが扉を叩く音がした」


 胸の奥で、何かが切れた。


「それでも、開けなかったんですか」


「怖かった」


「お母様は、もっと怖かったでしょうね」


「わかっている」


「わかっていません。扉の外にいた人が、扉の中で亡くなった人の気持ちを、わかったように言わないでください」


 ベルモント伯が床へ額をつけた。


「すまない」


「謝らないでください」


 セラフィナは唇を噛んだ。


「今、謝られたら、わたしはどうすればいいんです。許さなければ残酷な娘になりますか? 殴れば気が済むんですか? あなたが泣いて反省したら、お母様は戻ってくるんですか?」


「戻らない」


「なら、わたしを楽にするような顔で謝らないでください。あなたの謝罪を受け取るかどうかは、今のわたしには決められません」


 ルシアンが隣へ立った。


 触れず、ただそこにいる。


 その距離が、今はありがたかった。


「なぜカシアンに従って、ここへ来た」


 ルシアンが尋ねる。


「断れば、オスカーを殺すと言われた。ミレイユ嬢を逃がしたのも、私がすべて話す可能性を疑われたからだ。鏡晶を嵌められ、命令へ逆らえなくされた」


「おまえは息子を守っているつもりか」


「そんな資格がないことは、わかっている」


「資格の話ではない。オスカーが何を望んでいるか尋ねたのか。自分の父親が人を殺し、自分を理由にさらに罪を重ねることを、彼が喜ぶと思ったのか」


「思わない」


「ならば守っていたのは息子ではない。息子を失った自分を見たくなかっただけだ」


 ベルモント伯は、何も言えなかった。


 ルシアン自身も、父親の「守る」という沈黙へ傷つけられてきた。だからこそ、その言葉が誰のために使われているのかを見抜けるのだろう。


「カシアンはどこにいる」


 ルシアンが重ねて問う。


「この広間だ」


 ベルモント伯は顔を上げ、周囲を見回した。


「私をセラフィナ嬢の姿で入らせ、自分は誰にも疑われない顔で現れると言っていた」


「誰の顔だ」


「この国で、皇太子殿下へ剣を下ろせと命じられる人間は一人しかいない」


 その言葉が終わるのと同時に、大広間の正面扉が開いた。


「剣を収めよ、ルシアン」


 杖をつき、国王が入ってきた。


 病にやつれた顔。


 白いものが混じった髪。


 息子と同じ灰青色の瞳。


 背後には王室宝飾局の職人と、国王付きの近衛兵を従えている。


「父上……?」


 招待客たちが一斉に頭を下げる。


「国王陛下!」


「御病状が回復されたのか!」


 だが本物の国王は今、皇太子宮の一室で侍医の監視下にいる。


 セラフィナの青い指輪が、火傷しそうなほど熱くなった。


 肩の上でラピスが翼を逆立てる。


「王さまの顔」


 小さな竜は、国王と同じ姿をした男へ牙を剥いた。


「でも、王さまじゃない」


 偽の国王――死んだはずの王弟カシアンは、兄と同じ顔で笑った。


「皇太子ルシアンは、偽物の婚約者に操られている。両名を国家反逆罪で拘束せよ」


 今度はセラフィナではなく、ルシアンが偽物にされようとしていた。

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