表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『婚約破棄されて返した指輪から、亡き王妃の声が聞こえます ~石の記憶を読む地味令嬢、冷徹皇太子の偽婚約者になりました~』  作者: 極楽鳥


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/43

第12話 炎上する元婚約者の屋敷で、恋敵だった令嬢を助けに行きました

 ベルモント邸へ向かう馬車の中で、オスカーは一言も話さなかった。


 窓の外へ見える黒煙は、馬車が進むにつれて太くなっている。火の勢いが増している証拠だ。


「そんな顔をしていても、火は消えませんよ」


 セラフィナが言うと、オスカーは膝の上で握っていた拳をさらに強くした。


「私のせいだ」


「今は誰のせいかを決める時間ではありません」


「私がミレイユを巻き込んだ。あの舞踏会で婚約破棄をしなければ、彼女は父のところへ行かなかった」


「わたしと婚約したままミレイユ様と付き合い続ければ、もっと面倒なことになっていました」


「付き合っていたわけでは――」


「そこを今、訂正するんですか?」


「……すまない」


「謝罪も反省も、ミレイユ様を助けたあとにしてください。自分を責めるのは、何かをした気分になれるので楽なんです。でも、責めているあいだは手が動かない。助けたいなら、役に立ってください」


「君は、いつも正しいな」


「そういう言い方は嫌いです」


 セラフィナは即座に言い返した。


「正しい人間と間違った人間に分ければ、間違った側は考えなくて済みますものね。わたしだって怖いし、腹が立っています。あなたが本当に何も知らなかったのか、まだ完全には信じていません。それでも今は、あなたしか知らない道が必要だから一緒にいる。それだけです」


「そうだな」


「そこで傷ついた顔をされても困ります。わたしは今、あなたを慰める余裕がありません」


 向かいに座るルシアンが、わずかに口元を緩めた。


「何がおかしいんですか」


「いや。君は私に対してだけ厳しいわけではないのだなと思った」


「殿下はご自分だけが特別に叱られていると思っていたんですか?」


「少し」


「妙なところで前向きですね」


 ラピスがセラフィナの膝の上から顔を出した。


「青い鳥、嬉しい匂い」


「嬉しくない」


「セラフィナが昔の男を叱ると、嬉しい」


「黙れ」


「図星」


 ルシアンがラピスの口を手で塞ごうとすると、竜はその指へ噛みついた。


「痛い」


「殿下、竜と本気で喧嘩をしないでください」


「喧嘩を売ったのはこいつだ」


「ラピスは本当のこと言っただけ」


「それを余計なことと言うんです」


 緊張していたはずなのに、ほんの一瞬だけ空気が緩んだ。


 けれど次の瞬間、馬車が大きく揺れて停止した。


「殿下、これ以上は近づけません!」


 御者の声が飛ぶ。


 窓の外には、ベルモント邸から逃げてきた使用人や近隣住民が溢れていた。水桶を抱えた者たちが行き交い、怒鳴り声と泣き声が重なっている。


 燃えているのは本邸ではない。


 屋敷の西側に建つ宝飾工房だった。


「地下工房は、あの建物の下です」


 馬車を降りたオスカーの顔が青ざめる。


「正面の階段から入れば、火に囲まれる。温室へ回ってください」


 ルシアンは同行した近衛兵へ指示を出した。


「消火を手伝え。ただしベルモント伯が見つかっても、この場で騒ぐな。逃げようとした場合のみ拘束しろ」


「御意!」


「セラフィナ、私のそばに」


「わかっています」


「本当にわかっているか?」


「三回目ですよ」


「君は三回言っても聞かないことがある」


「殿下もです」


「また始まった」


 ラピスが呆れたように呟いた。


 四人は人混みを避け、屋敷裏手の温室へ向かった。


     ◇


 温室の中にも煙が入り込んでいた。


 熱で硝子の一部が割れ、育てられていた花々が萎れている。オスカーは中央の貯水槽へ駆け寄ると、石造りの縁へ手を入れた。


「ここに仕掛けがあります。子供のころ、父の説教から逃げるために見つけました」


「見つけたのに、お父様へ報告しなかったんですか」


「報告したら逃げ道に使えないだろう」


「昔から、逃げ道を見つけることだけは得意だったんですね」


「……今は否定できない」


 石板が横へずれ、貯水槽の下に人一人が通れる穴が現れた。冷たい水が足首ほどの深さで流れている。


「この水路は地下工房の研磨台へ繋がっています」


「先に私が行く」


 ルシアンが穴へ足を掛ける。


「殿下が先頭では、道を知らないでしょう」


「オスカーを先に行かせ、罠があったらどうする」


「私が罠を仕掛けると思っているんですか」


「まだ完全には信用していない。セラフィナも同じことを言ったはずだ」


 オスカーは一瞬だけ顔を歪めたが、反論しなかった。


「では私が先頭、その後ろに殿下、セラフィナ、オスカーの順で行く」


 ラピスが穴の中へ飛び込む。


「どうしておまえが仕切る」


「竜は暗いところ見える。人間より役に立つ」


「勝手に遠くへ行かないでくださいよ」


「青い石があったら?」


「拾わずに報告してください」


「難しい命令」


 水路は狭く、腰を屈めなければ進めなかった。


 足元を流れる水は次第に温くなり、天井からは細かい煤が落ちてくる。奥へ進むほど煙が濃くなり、濡らした布で口元を覆っていても喉が痛んだ。


「もうすぐです」


 最後尾のオスカーが言う。


「この先に鉄格子があります。その向こうが地下工房です」


「鍵は?」


「昔はありませんでした」


「今もないといいですね」


 だが、願いは届かなかった。


 水路の出口には頑丈な鉄格子が下ろされ、中央に赤い石のついた錠が嵌められていた。向こう側では炎が壁を這い、棚や木箱を次々と燃やしている。


「ミレイユ!」


 オスカーが格子をつかんで叫んだ。


「いるなら返事をしてくれ!」


 炎の音に紛れ、かすかな咳が聞こえた。


「……オスカー?」


「ミレイユ!」


「どうして来たの……」


「助けに来た。今、ここを開ける」


「無理よ。お父様が鍵を持っていったわ。早く逃げて。天井も、もう保たない」


「君を置いて逃げられるわけがないだろう!」


「そういう格好のいいことを言うのは、皆の前でセラフィナ様を傷つける前にしてほしかったわ!」


 火事の最中とは思えないほど強い声が返ってきた。


「それは、本当にすまなかった!」


「今、謝るの?」


「いつ謝っても遅いと言われるんだから、もう今しかないだろう!」


「そういうところよ! あなたはいつも、謝った自分が許された気分になって、相手が何を感じているかを待たないの!」


 オスカーが鉄格子へ額を押しつけた。


「わかっている。いや、本当はまだ、全部はわかっていないのかもしれない。助けたから許してくれとも言わない。婚約してくれとも言わない。ただ、君が生きて外へ出て、そのあと好きなだけ私を嫌ってくれればいい!」


「……馬鹿」


 ミレイユの声が、わずかに震えた。


「わたしは、あなたを嫌いになりきれないから怒っているのよ」


 セラフィナは錠へ手を伸ばしかけ、止めた。


 これは聞いてはいけない会話だったのかもしれない。しかし逃げ場のない水路では、聞こえないふりをするにも限界がある。


「お二人とも、続きは外でお願いします」


「セラフィナ様?」


「はい。助けに来ました」


「どうして……」


「それは外へ出てからお話しします。今から錠を調べますので、ミレイユ様はなるべく姿勢を低くして、口元を布で覆ってください」


「待ってください。わたしを助けるために、セラフィナ様まで危険な場所へ来る必要はありません。わたしは知らなかったとはいえ、あなたの婚約者を――」


「謝罪も言い訳も、死にかけているときにしないでください」


 セラフィナは自分でも驚くほど強い声を出していた。


「亡くなる前に謝れば、自分だけは少し楽になれるでしょう。でも残された側は、返事もできないまま一生抱えることになるんです。わたしはそういう謝罪を、もう母一人分抱えています。ミレイユ様の分まで持たされるのは嫌です。話したいことがあるなら、生きて出てきてください」


 格子の向こうから、すすり泣く音が聞こえた。


「……はい」


「いいお返事です。では、少し待ってください」


 セラフィナは錠の赤い石を観察した。炎を反射しているのではない。石そのものの内側で、赤い光が脈を打っている。


「これは、火を強める術式石です。無理に壊すと爆発する可能性があります」


「解除できるか」


「道具が足りません。工房にある研磨器具を使えれば可能ですが、格子の向こうです」


「ラピスが食べる」


 青い竜が赤い石へ鼻を近づけた。


「赤い石は嫌いだと言っていたでしょう」


「嫌い。でも食べられる」


「術式が入っています。何が起きるかわかりませんよ」


「食べたら格子、開く?」


「おそらく。ただし、身体に悪いかもしれません」


 ラピスは赤い石を見つめ、それから格子の向こうのミレイユを見た。


「青い石、何個?」


「今、交渉するんですか」


「嫌いなもの食べる。ご褒美いる」


「五個です」


「十個」


「六個」


「八個」


「七個。それ以上は出せません」


「大きいの」


「傷物ですよ」


「約束」


「約束します」


 ラピスは満足そうに頷くと、錠へ噛みついた。


 赤い石にひびが入り、炎のような光がラピスの口から漏れ出す。竜の身体が一瞬膨らみ、両目まで真っ赤に光った。


「辛い!」


「吐いてください!」


「吐いたら石も出る! もったいない!」


「命と石のどちらが大切なんですか!」


「石!」


「馬鹿が増えた」


 ルシアンがラピスの胴をつかみ、格子から引き離した。


 赤い石が砕けた途端、炎の勢いが弱まった。鉄格子を閉じていた仕掛けから重い音がして、扉がわずかに開く。


「通れる」


 ルシアンが隙間へ肩を入れ、力任せに押し広げた。


「私がミレイユを連れてくる。二人はここで待て」


「わたしも行きます」


「聞いていなかったのか」


「製法帳を探さなければ」


「命と帳面のどちらが大切だ」


「どちらも大切です。製法帳がなければ、次は誰が毒を盛られるかわかりません」


「君はラピスを馬鹿と言えないな」


「言ってません。殿下が言ったんです」


 ルシアンは何か言いたそうだったが、天井から燃えた木片が落ちてきたため、諦めて格子をくぐった。


「絶対に私から離れるな」


「はい」


 地下工房の奥で、ミレイユは作業台の脚へ鎖で繋がれていた。


 ドレスの裾は焦げ、顔は煤で汚れている。オスカーが駆け寄ると、彼女は泣きながらも、差し出された手をすぐには取らなかった。


「助けに来てくれたことには感謝するわ。でも、これで全部許されたと思わないで」


「思わない」


「セラフィナ様へしたことも、わたしへ嘘をついていたことも、きちんと話し合うから」


「ああ」


「途中で逃げないで」


「逃げない」


「今の返事、覚えておくからね」


「何度でも言ってくれ」


 オスカーが鎖の錠へ手を伸ばす。しかし鍵穴には火で熱せられた金属が詰め込まれ、素手では触れられない。


「退け」


 ルシアンが剣を振り下ろした。


 一度では切れなかった鎖が、二度目で弾ける。


「立てますか」


 セラフィナが手を貸すと、ミレイユはその手を見つめた。


「わたしは、あなたの婚約がすでに解消されていると、本当にそう聞いていました」


「オスカーからですね」


「はい。でも、信じたいと思ったのもわたしです。確かめようと思えば、あなたへ手紙を送ることもできた。知らなかったから何も悪くないとは、言えません」


「そうですね。わたしも、何も知らなかったあなたを一方的に憎むところでした」


「憎んで当然です」


「当然だと言われると困ります。わたしはあなたを憎みたいのか、謝ってほしいのか、自分でもまだわかりません」


 セラフィナはミレイユの手を強く握った。


「だから、生きて帰ってから、面倒な話をしましょう」


「……はい」


 ミレイユは泣きながら頷いた。


「製法帳は?」


「ここです」


 彼女は胸元から、煤けた革張りの帳面を取り出した。


「ベルモント伯が、火をつける前に燃やそうとしていました。隙を見て奪って、水桶の中へ隠したんです」


「よく無事でしたね」


「無事ではありません。何度も見つかりそうになって、死ぬほど怖かったです。物語の令嬢なら、もう少し勇敢に振る舞えるのでしょうけれど……わたし、怖くて、ずっと泣いていました」


「泣きながらでも、帳面を守ったのでしょう。それは十分、勇敢です」


 そのとき、天井から大きな音がした。


 燃えた梁が落ちてくる。


「伏せろ!」


 ルシアンがセラフィナを抱き寄せ、床へ倒れ込んだ。直後、二人が立っていた場所へ太い梁が落下する。


「殿下!」


「怪我はない」


「肩から血が出ています!」


「かすっただけだ。それより出口へ戻る」


 煙が急速に濃くなっていた。弱まったとはいえ、火そのものが消えたわけではない。


 オスカーがミレイユを背負い、先に水路へ入る。セラフィナも続こうとしたが、ルシアンの歩みが遅いことに気づいた。


「殿下、腕を」


「必要ない」


「必要です。わたしの肩を使ってください」


「君に私の体重をかければ、二人とも動けなくなる」


「そうやって、すぐ自分だけ我慢するのをやめてください。支えられる側にも役割をください」


 ルシアンは悔しそうに眉を寄せたあと、セラフィナの肩へ腕を回した。


「重ければ言え」


「かなり重いです」


「……少しは遠慮しろ」


「嘘をついて、殿下が全部預けてきたら潰れます。重いけれど、歩けます。一緒に行きましょう」


「ああ」


 二人は互いの身体を支えながら、鉄格子を越えた。


 最後にラピスが飛び込んだ直後、地下工房の天井が崩れ落ちる。熱風が水路へ流れ込み、四人は咳き込みながら出口を目指した。


     ◇


 温室から外へ出たとき、セラフィナは初めて、自分の足が震えていることに気づいた。


 近衛兵が駆け寄り、ミレイユと負傷したルシアンを引き受ける。


 オスカーは地面へ膝をついたまま、背負っていたミレイユの手を離せずにいた。


「オスカー」


「何だ」


「わたしは、あなたとすぐに婚約するつもりはないわ」


「ああ」


「もしかしたら、二度としないかもしれない」


「それでもいい」


「よくないでしょう」


「よくはない。でも、私が嫌だと言える立場でもない。君が生きていてくれれば、今はそれでいい」


「今だけ立派なことを言っても、あとで忘れたら許さないから」


「紙に書いておく」


「自分で覚えていて」


 ミレイユは泣きながら、オスカーの肩へ額をつけた。


 許したわけではない。


 それでも完全に突き放すこともできない。


 人の感情は、火事のあとの帳簿のように、燃えたものと残ったものを簡単に分けられないのだろう。


「セラフィナ」


 ルシアンが呼んだ。


 負傷した肩へ布を当てられているのに、彼はセラフィナの姿を確認するまで落ち着かないようだった。


「ここにいます」


「怪我は?」


「ありません。殿下が庇ってくれましたから」


「そうか」


「でも、今後はご自分の怪我も数に入れてください」


「努力する」


「努力では困ります」


 セラフィナは彼のそばへ座り、煤で汚れた手を握った。


 今度は許可を尋ねなかったのは、セラフィナのほうだった。


 ルシアンは少し驚いた顔をしたものの、その手を握り返した。


「ラピス、少し気持ち悪い」


 赤い石を食べた竜が、セラフィナの膝へ落ちてきた。


「だから吐きなさいと言ったでしょう」


「吐かない。七個もらう」


「きちんと診てもらってからです」


「竜を診られる医者、いる?」


「ノアに探してもらいましょう」


「何でもノア」


「気の毒な男だな」


 ルシアンの言葉に、セラフィナは初めて声を出して笑った。


 だが、その笑いは長く続かなかった。


 ミレイユから受け取った製法帳の間から、一枚の紙が滑り落ちたからだ。


 火で縁が焦げているものの、中央の文字は読める。


 夜星膠の改良記録。その末尾に、製法帳を持ち出した者の署名が残されていた。


「ギデオン・クロウ……」


 セラフィナは、その名前を知っていた。


 八年前まで、母エリーゼのもとで働いていた職人。


 火事の一週間前に工房を辞め、現在は王室宝飾局の副局長を務めている男だった。


「この方が、お母様の製法帳を?」


「いいえ。この署名は八年前のものです」


 セラフィナの指先が震える。


「お母様が亡くなる前に、ギデオンはすでに夜星膠の改良を依頼されていた。つまり彼は、最近盗まれた製法帳で作り方を知ったのではありません」


 父が唯一の生存者だと思っていた、夜星膠の製法。


 それを知る人間は、もう一人いた。


 王妃と母が殺された八年前から、ずっと王宮の中に。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ