第38話 偽りの平和
夕食会が終わり、ようやく解放されたのは午後十時のことだった。
我々二人にはゲストルームが用意されているらしく、兵士が別館へと先導してくれた。三階建ての建物は正門から見て居館の左手にあり、議事堂の真向かいにあたる。
三階の奥、角部屋が私にあてがわれた部屋らしく、その手前がラムダの部屋らしい。三階に上がった頃合いで兵士に礼を述べ、ここから先は必要ないと告げた。兵士は戸惑いを見せたが、こちらの意を汲み敬礼すると、その場を立ち去った。
気にも留めず、ラムダは先へと歩みを進めていくが、私はしばらくの間護衛の騎士達とその場にとどまった。今、我々は解放感に浸っている場合ではない。騎士達に目配せすると、一人が階下を確かめ首を縦に振った。ぞろぞろ連れて歩く趣味はないが仕方ない。先を行くラムダを追いつつ今日起きた出来事を頭の中で整理する。
殿下の命がありながら、閣下にすげなく断られてしまった。なんだかんだと言い訳を並べていたが、とにかく今は登城しないということだ。その理由が分からない。今こそ政治力を発揮する好機ではないのか?
ラムダが用意されたゲストルームの扉に手を掛ける姿を認め、一旦騎士達に待機するよう告げる。それからすぐラムダに声をかけ近寄った。
「あなた、このまま何もしないつもり?」
急ぎ告げると、冷めた目を向けられた。面倒だと顔に書いてある。
「もう遅い。閣下がああ仰った以上、僕らに出来ることはもうない」
「正気なの? 登城しないと明言したのと同じよ? これじゃ手ぶらどころではないわ。それであなたの面目は立つの?」
呆れを含ませると、ラムダは溜め息交じりでかぶりを振った。
「それは違う」
「どう違うのよ」
「気づかないのか? 人質を出すと、閣下は仰ってるんだ」
一瞬息を呑み、言われてみればと納得する自分がいた。それでも、だとしても殿下の意思には反する。
「殿下の申し付けは閣下の登城で、人質を出せなんて言っていないわ」
「そうだろうけど、間を取ったと受け止めるしかない。殿下にもそう伝える」
「説得するつもりはないと?」
念押しするとラムダは今一度かぶりを振った。
「子供の遣い呼ばわりされた君には気の毒だが、恐らく無駄だ。明日今一度掛け合うが、もう同席しなくていい。恥を掻くのは僕だけで充分だ」
そうしてラムダは扉を開き、入室と共に閉じた。カチャリと鍵を掛ける音が聴こえ、廊下はしんと静まり返る。ラムダがゲストルームに入ったことを確認し騎士達が駆け寄ってくるが、仔細は告げられない。ラムダは一人で抱え込むつもりだというの……。
今度はこちらが諦観に包まれる羽目になった。溜め息一つ、騎士達に先を歩かせ用意された部屋へと入る。なるほど、用意されたゲストルームは完全に寝室だった。中央にベッドが配置され、鏡台まで用意されている。女性用と言ったところか。寝間着まで用意され、至れり尽くせりと言いたいところだがそうもいかない。
寝ずの番をする護衛に申し訳なく思いつつ扉を閉め、一方で疎ましく思いながらベッドに身を投げ出す。
今日起きたことを整理せねばならない。二日の道のりを掛けて赴いたというのに、大公閣下を翻意させることが出来なかった。そうまでして登城を拒む理由がどこにあるの?
一方ラムダの言う通り、跡取りを人質に出すという点は理解出来る。なるほど、そこまでされれば殿下も納得されるかもしれない。しかしなぜ登城を拒むのか、という点が解決していない。
会見において、閣下は南北ルナリアについての見識を披露された。
一つ、北ルナリアの平和は偽りである。
一つ、殺戮の勇者の敗北はあり得てせいぜい政治的なものである。
一つ、北ルナリアの陥落は、転生者の統治力が北ルナリア各国のそれを上回った結果である。
一つ、殺戮勇者関連のギルド情報は信用に置けない。
一つ、殺戮の勇者は聖王国ナルタヤを頼り、ナルティア王家秘伝の聖魔法を求めている。
一つ、南ルナリア各国に出来ることは、魔族を追い払うことが限界である。
一つ、だからこそ責任と負担の全てを聖王国、及びナルディニア各国に押し付けてしまえばいい。
一つ、この戦いは文明間の衝突であり、それは異世界文明との衝突と言って差し支えない。
――おかしい。一見理に適うが明らかに間違えている。閣下の情報網或いは解釈には誤り、もしくは偏りがある。
私はハラルド陛下、及びゲッツア殿下にこうお伝えした。
ーーエストマ三国はいずれ限界を迎える。もはや魔族と戦う力は残っていない。結果エストマ三国を支えるアルタニアでは政変が起きるだろう。そして、聖王国ナルタヤは分裂含みであると。
「閣下は前提を間違えている……」
そういえば転生者を知っていても、その危険性を重視していない気がする。魔族についてもそうだ。あまりにギルド寄りの考え方……。
この余裕はどこから出てくるのだ? あまりに呑気過ぎる。ライン王国が巻き込まれるのはもはや必然で、避けられないと理解しているはず。文明の衝突と謳っておきながら、追い払うとはどういう了見なのか。
分からない。分からないことだらけで思考が疲れてきた。ここまで丸二日の道のり、なぜ私がこんな交渉ごと染みた真似をせねばならないのか。殿下の嫌がらせにも限度というものがある。せめてラムダではない人物をあてて欲しかった。
疲れが自然目を閉じさせる。せめて着替えねばと立ち上がり、用意された寝間着を手に取る。ドレスを脱ぎ、寝間着に腕を通そうとしたその時、ふと思いついた。
閣下がどうしても登城したくない理由に、もしかして私は心当たりがあるのではないかと。いずれにせよ明日の話、もう眠ってしまおうと再びベッドに身を投げ出す。闇夜に窓辺から微かな月明かりが差す中、意識は徐々に、しかし確実に遠のいていく。今日の出来事が夢幻であるかのよう、まどろみに包まれながら。




