第32話 グランバッハ大公
グランバッハ大公は五十代半ばにして壮健なお方だった。
威厳と明朗さを持ち合わせ、陛下や殿下とは異なった空気をまとっている。閣下が腰掛け、我々もそれにならう。早速と言わんばかり、大公閣下は口を開いた。
「わざわざの使者ご苦労。そちらのご令嬢が噂に聞く二週間前の当事者か」
閣下は不適な笑みを浮かべているが、その実愉快といった感がある。こちらに話題が及ぶことは想定していたので、ゆっくりと首を縦に振る。
「仰る通りでございます。ちなみに、当事者はお隣の方も同じく」
しっかと大公閣下を見据え、その後ラムダを横目で眺める。ラムダは一瞬苦々しそうに表情を歪めたが、すぐさま切り替えた。
「大公閣下、こちらが殿下からの書簡でございます」
ラムダは立ち上がり、頭を下げ書簡をテーブルの上へと差し出した。遊びがないな、と閣下の表情から読み取れる。二週間前の話をしたいのだろう。一体方々に、どう噂が広がっているのか私も少し知りたくなった。が、ここはラムダの役目が優先だ。
大公閣下は書簡を手に取り広げ、ゆっくり目を通していく。
その時、今更ながら気づいたことがあった。大公閣下に護衛が付いていない。今この部屋には私とラムダ、そして大公閣下しかいないのだ。確かに私達はゲッツア殿下からの正式な使者であり、身分も確かな存在ではある。それでも少し不用心ではないだろうか。加え側近の一人もいないということは、大公閣下はトップダウン型の統治者なのか。
「ふむ、急ぎ登城せよとのご命令か」
読み終えた閣下は表情一つ変えず、ラムダに視線を送っていた。ラムダは頷き「殿下はそう仰っておりました」と、丁寧に応じている。登城せよ、という点はラムダから聞くまでもなく知っていたが、急ぎだったのか。
大公閣下は書簡をテーブルに置くと、
「用件は理解した。登城にはなんの差し障りもない」
そう言ってラムダ、私と順に視線を送る。だが、
「しかし貴公、登城と言うがここには具体的な日付が記されていない」
ほんの僅か、大公閣下のトーンが低くなった。水を向けられたラムダは、閣下を見据えたまま応じずにいる。大公閣下が更に続ける。
「加え、いかほどの手勢で向かうべきかも記されていない。そもそも軍勢の是非も記されていない。私は一体どれほどの手勢で、いつ登城すればよいのだ」
閣下はささやかな疑問、といった風を装っているが違和感ありと顔に出ている。確かに、これほどの大物相手に「ただ来い」とだけ記した書簡を寄越したの? ラムダはテーブルに置かれた書簡に視線を落としてから応じた。
「時期は出来るだけ早くとのことでした。手勢については、大公閣下の御意のままに」
受け取り、閣下は背もたれに体重をかけて見せた。
「つまり、好きにしろと」
「そのようです」
「ふむ……」
二人のやり取りを聞く限り、大公閣下の裁量により決めろということらしい。自由度があると言えば聞こえはいいが、試されているようで不気味だ。大物に対する配慮とも取れるが、私には分からない。
「それならばそうするが、はて、今は政情も不安定。僅かな供回りというわけにもいかん」
グランバッハ大公はいかにも困ったと顔に浮かべ、私達を眺めている。見られても、私に言えることは何もないのだけれど。いや、あるか……参ったな。
「大軍勢を連れて、というのもいただけない。まあ妥当な数で伺うしかないか」
閣下は独り言ちるよう呟き、自分を納得させているように見えた。軍の移動には人手も資金もかかる。今王都に軍勢はそもそも必要なのか、それが分からなくては判断が出来ない。しかし判断しないことは許されない。それを思案しているのだろう。
ラムダが何も言わず、私も口を閉じると沈黙が降りてきた。三人で黙り込むと改めて思う。私、なぜこの役目を申しつけられたのだろう。やはり殿下の嫌がらせ? 首を捻ると、大公閣下がそれに反応した。
「どうされたご令嬢」
「いえあの……」
つい口ごもるが、閣下にご令嬢と呼ばれるのはどうもむずがゆい。これほどの大物が、私に配慮していると感じるのだ。ああ、と自分の役割が少しだけ見えてきた。正しいかは分からないが、殿下のやりそうなこととは何か。だから一つ息を吐き、大公閣下を見据える。
「政情不安は今に始まったことではありません。すぐ登城された方がよろしいと存じます」
きっぱり告げると、閣下は再び不適な笑みを浮かべてみせた。




