第3話 かなりヤバいやつ
どうしよう、と途方にくれた後の話です
声に出したところで、状況が変わるわけではない。
それでも口にしなければ、胸の中で膨らみ続けるこの恐怖を、どこにも逃がせない気がした。
どうしていいかわからず、私はスマホを握りしめたまま、しばらく固まっていた。
このまま画面を閉じてしまえば、何事もなかったことにできる。
でも、何か「よくないもの」が写っているのだとしたら、本当にそれでいいのだろうか。
さっきから、背中のあたりにじわじわと集まってくる冷気のようなものを、うまく振り払えない。
そうだ。
こういう話に妙に強い知人がひとりいた。
私はホーム画面に戻り、連絡先の中からその名前を探し出した。
着信履歴はほとんど仕事関係と身内ばかりで、その人の番号はかなりスクロールした先にある。
指先が汗でひっかかりながら、その行で止まった。
夜遅い時間だが、ためらっている余裕はなかった。
通話ボタンを押す。コール音が、やけに長く感じられた。
「……はい?」
少し眠そうな声が出た瞬間、胸の奥にたまっていた何かが、どっと溢れ出しそうになった。
「ごめん、こんな時間に。ちょっと、変なもの撮っちゃったかもしれなくて」
自分でも何を言っているのかわからない。
早口になっているのを自覚しつつ、私は東屋のこと、夜景のこと、誤ってシャッターを切ってしまったことを、
ところどころ言葉を噛みながら説明した。
相手は途中で遮らず、ただ「ふん」「へえ」と相槌だけを挟んで聞いていた。
話の終わりかけで、「とりあえず見ないと何とも言えないな」と、少しだけ真面目なトーンになった。
「画像、送れる? メールでいいよ。今、パソコンを立ち上げるから」
「うん……送る」
通話を切るとき、指先がまだ小刻みに震えていた。
私はアルバムアプリを開き、問題の二枚を共有ボタンからメールに添付した。
件名に何と書けばいいかわからず、「さっきの写真」とだけ打ち込んで送信ボタンを押す。
送信済みの表示が出た瞬間、部屋の音がすべて消えたような気がした。
時計の針の音も、冷蔵庫の低い唸りも、さっきまで聞こえていたはずの外の車の音も、何も届かない。
代わりに、頭の中でさっきの写真が何度もフラッシュバックする。
だぶだぶのTシャツ。膝までの構図。ロゴ入りのバスケットシューズ。
数分も経っていないはずなのに、やたらと長く感じられた。
ふいに、スマホが震えた。
画面に、新着メールの通知が浮かぶ。送ったばかりの相手の名前と、「件名:これ」というシンプルな文字列。
心臓が、またひとつ跳ねた。
私は恐る恐るメールを開き、そこに書かれている短い文章を読んだ。
「これは、かなりヤバいやつなので、速攻削除したほうがいい」
それだけ。
絵文字も、冗談めかした一文も、一切ない。
ふだんなら、どんな話題にも軽口を挟んでくる相手だ。
その人が、こんなふうに簡潔に「ヤバい」とだけ書いてくるのを、私はいまだかつて見たことがなかった。
喉の奥がきゅっと締まる。
手のひらに、また冷たい汗がにじんだ。
「速攻削除したほうがいい」
その一文が、頭の中で何度も反響する。
今すぐにでも、あの二枚を消してしまわなければ、取り返しのつかないことが起きるような気がした。
根拠なんてどこにもないのに、そんな予感だけが異様にリアルだった。
「なんか……ごめんなさい」
誰に対してなのか、何に対しての謝罪なのか、自分でもわからないまま、小さくつぶやく。
そして、反射的に画面をタップした。
「この写真を削除しますか?」という無機質なメッセージが出る。
はい、を選ぶ。
2枚目も同じように選択し、同じ問いかけに、同じ答えを返す。
すべて終わってから、私はようやく息を吐いた。
胸の奥に溜まっていた空気が、一気に抜けていく。
ソファの背もたれに体をあずけると、骨の中までぐったりと疲れているのがわかった。
ふと、頭の中に、別の記憶がふっと浮かんだ。
それは、そこに存在づるはずの無いものが写り込んだ、ある写真の記憶だった。




