第2話 知らない男
ひとりで乾杯して帰宅後に写真を確認してみると・・・?
カシャ、カシャ
と乾いたシャッター音が、立て続けに夜気にこだました。
「うわ、ごめんなさい」
誰に謝っているのかわからないまま、反射的に声が出る。
撮れた写真を確認しようとしたが、サムネイルは小さすぎて、そこに何が写っているのか判然としない。
私はスマホを持つ向きを変えた。
夜景側に背を向けて、自分の足元と、東屋の柱のほうにかすかに届いている町明かりを頼りに、もう一度設定をいじる。画面の明るさが少し上がり、「夜景」と書かれたモード名がようやく表示された。
「よし」
私はスマホを再び夜景のほうに向け、息を止めて一枚だけシャッターを切った。
さっきよりは、遠くの光がいくらかマシに写っているような気がする。
そんなささやかな達成感を胸に、私はアプリを閉じた。
缶チューハイはいつのまにか空になっていて、チーズかまぼこの袋も、指先でまさぐっても何も出てこない。私はレジ袋にゴミをまとめ、東屋をぐるりと見渡してから、小さく頭を下げた。
「ごちそうさまでした」と心の中でつぶやく。
帰り道は、来るときよりも少しだけ長く感じた。
足場の悪さに気をつけながら、30分ほどかけてアパートの部屋に帰る。
汗ばんだ背中に、夜気がひやりと触れた。
ほろ酔いの身体に、ほどよい疲労が心地よい。
私は、さっき見たしょぼい夜景のことを、少しだけ愛おしく思いはじめていた。
部屋に戻るころには、すっかり夜になっていた。
シャワーを浴びて、汗を洗い流しほっとひといきつく。
髪をタオルでざっと拭いてから、私はせまい部屋のクッションに腰を下ろした。
ふと思い出して、テーブルの上のスマホを手に取る。
今日の「しょぼい夜景」を確認しておこう。
あとから見返して、「こんなもんか」と笑うためにも。
アルバムアプリを開くと、最新のところに小さなサムネイルがいくつか並んでいた。東屋で誤って切ってしまったシャッターと、最後に夜景モードで撮った一枚だろう。
何の気なしに、1枚目をタップした。
そこで、思わず息を止めた。
画面の中に、知らない男の胸から膝までが、どん、と写っていた。
白いシャツではなく、だぶっとしたサイズの色あせたTシャツ。
細身でもなく、筋肉質でもなく、どこか力の抜けた体型。
腰から下も、同じようにだぶついたパンツで隠れている。柄はよく見えないが、布地のテカリ方に、九十年代のミュージックビデオを思わせる安っぽさがあった。
私の指が、画面の上で固まった。
視界が一瞬、狭くなる。
心臓が、胸の奥でひゅっと縮んだ。鼓動の音が遠のき、その代わりに耳の中で、自分の血の音だけがざわざわと鳴り始めた気がした。
喉が、からからに乾いている。唾を飲み込もうとしても、うまく飲み込めない。
「え……」と声を出そうとするのに、息がうまく入ってこない。
さっきまで、あの東屋には誰もいなかったはずだ。
少なくとも、私の目にはそう見えていた。
缶チューハイを飲んで、チーズかまぼこを食べて、ひとりで乾杯までした。その間、足音も、話し声も、気配らしい気配も感じなかった。
それなのにこの写真には、そこに存在しなかった知らない男の身体が写り込んでいる。
顔だけは、きれいに切れていた。
胸から下だけが、妙にくっきりとフレームに収まっている。わざとそう撮ったかのように、寸分の狂いもなく。
私は、ようやく指先に力を戻して、息を吸い込んだ。
「なに、これ……」
震えた声が、狭い部屋の空気をかすかに揺らす。
さっきまでのほろ酔いの気分が、一瞬でどこかへ吹き飛んだ。
背中に冷たい汗がじわりとにじみ、肘から先がじんじんとしびれていく。
逃げるように、次の写真へスワイプした。
2枚目には、足もとだけが写っていた。
乱暴に結ばれたバスケットシューズの紐。
私でも知っている某有名ブランドのロゴ。
アスファルトではない、ごつごつとした地面。
その上に、膝から下だけ突き立ったような、男の足。
そこまで見たところで、私はスマホを放り投げそうになった。
指先に力を込めて、なんとか踏みとどまる。手のひらが汗でぬるぬるして、スマホが滑りそうだ。
心臓が、ようやく動き出したかと思うと、今度は暴れ馬みたいに暴走しはじめた。
どくん、どくん、と脈打つたびに、胸の内側から肋骨を叩かれているような気がする。息が浅くなり、うまく空気が入ってこない。視界の端が、じわじわと暗くなっていく。
「怖っ……」
かすれた声が勝手に漏れた。
自分の口から出たとは思えないほど、ひどく他人事のような響きだった。
私はスマホを持ったまま、しばらく身動きが取れなかった。
画面には、まだ男の足もとが映っている。
アプリを閉じればいいのに、そのために画面に触れることすら、どうしてもできなかった。
画面の中の、知らない男の足もと。
だぶだぶのTシャツ。90年代のミュージックビデオでよく見かけたようなパンツ。
あの東屋の、あの夜、あの場所。
「どうしよう……」
私は、スマホを握ったまま動けなくなった。




