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君の体温で息継ぎを  作者: 三つ目の海底
9/12

歪んだ正義

赤星が激昂し、教室を飛び出していった後の2年B組は。

反省や後悔などという生易しい空気ではなかった。


「……五十嵐。高橋。放課後、少し残れ」


ホームルームの終わり。

俺は、生徒指導室での一件のあと、

中心にいた二人を空き教室に呼び出した。


少しは頭が冷えているかと思った俺の期待は、

五十嵐の鋭く、反抗的な目つきによって容易く打ち砕かれた。


「……先生。俺たちは、間違ったこと言ってません」


五十嵐は、悔しそうに拳を握りしめながら、

俺を真っ直ぐに睨み返した。


「おかしいのは、赤星の方です。

あいつ、あの不気味な白石ってやつに洗脳されてるんですよ。

部活も上の空で、友達の俺たちにマジギレして。

あんなの、絶対普通じゃない」


五十嵐の言葉には、一点の迷いもなかった。

彼は本気で、親友である赤星を

「異常なもの」から救い出そうとしているのだ。


「そうです……五十嵐くんの言う通りです」


隣に立つ高橋も、

ポロポロと涙を流しながら、強く首を縦に振った。


「白石くん、男のくせに髪も長くて、気味が悪くて……

ずっと赤星くんに付き纏って。

赤星くんの優しさに付け込んでるだけじゃないですか」


彼女の涙は、自責の念からくるものではない。

自分の信じる「正しい日常」が理不尽に壊されたことへの、

行き場のない怒りと、悲痛な叫びだった。


「先生、赤星くんを止めてください!

あんなのおかしいです。普通じゃないです。

私たちの方が、絶対に正しいのに……っ!」


二人の主張を聞きながら、

俺は酷く重いめまいに襲われていた。


彼らは、根っからの悪人ではない。

ただ、「自分たちの理解できないもの」=「悪」だと信じて疑わない、

集団の多数派が持つ、残酷なまでの『正義』の側に立っているのだ。


赤星という光を取り戻すためなら、

白石という異物を徹底的に排除してもいい。

その恐ろしいほどの排他性が、

教室という閉鎖空間の中で、完全に凝固してしまっていた。


これは、一日や二日で解けるような問題じゃない。


無理に彼らの感情を否定し、赤星と和解させようとすれば、

今度は彼らの憎悪が、直接白石のあの脆い心臓に突き立てられることになる。


だから俺は、

当面の間、白石を教室から完全に隔離する措置をとった。



ガラッ、と保健室のドアを開けた瞬間だった。


「キャアアアアアアアッ!!」


鼓膜を破るような、凄まじい黄色い悲鳴が部屋中に響き渡った。


「ちょっ、武田先生! なにこの儚げな美少年!?

長い前髪に隠れた怯えた瞳、透き通るような白い肌、そしてこの折れそうな細い腕!

やだもう最高! 私の性癖に完全ストライク!!」


「ヒッ……!?」


白石は短い悲鳴を上げ、

慌てて俺の背中の後ろにすっぽりと隠れてしまった。

ブルブルと小動物のように震えている。


「……篠原しのはら先生。頼むから初対面で怖がらせないでください。彼が白石です」


俺が呆れたようにため息をつくと、

養護教諭の篠原紬しのはら つむぎは「コホン」とわざとらしく咳払いをした。


ショートカットに縁の細い眼鏡。白衣を羽織ったその姿は、

一見すると知的でクールな女性に見える。

だが、その実態は「可愛い男の子(特に儚げなタイプ)」をこよなく愛する、

少々……いや、かなり残念なハイテンション変人教諭だ。


「ご、ごめんなさいね白石くん!

あまりにも顔が良すぎて、つい理性が飛んじゃったわ!」


バンバンと自分の頬を叩きながら、

篠原先生はサイドテーブルに、

マシュマロをたっぷり浮かべた甘いホットココアをコトッと置いた。


「……」


白石は警戒度マックスの目で、

俺の背中から半分だけ顔を出して彼女を見つめている。

無理もない。

教室の冷たい悪意から逃げてきたと思ったら、

今度は正体不明の変人に熱烈に絡まれているのだから。


しかし。


「……白石くん」


ふいに。

篠原先生の声から、あのふざけた熱がスッと消え去った。

眼鏡の奥の瞳が、静かに、けれど真っ直ぐに白石を捉える。


「外の連中は、うるさかったでしょう」


その一言に。

白石の肩が、ビクッと大きく跳ねた。


篠原先生は、白石の腕にある無数の赤い傷痕を

チラリと見たが、顔色一つ変えずに言葉を続けた。


「普通じゃないとか、気持ち悪いとか。

自分たちのちっぽけな物差しに合わない人間を、

あいつらは群れて、平気で傷つける。……本当に、バカばっかりよね」


彼女の言葉は、酷く乱暴で。

でも、白石がずっと抱えていた呪いのような痛みの核心を、

いとも簡単に、そして正確に突いていた。


「あなたは、何も悪くない。

ただ、人より少しだけ皮膚が薄くて、

他人の悪意に敏感なだけよ。

……だから、息の仕方がわからなくなった時は、ここにいなさい」


篠原先生は、ニッと悪戯っぽく笑い、

片目をつむってウインクをした。


「私が、可愛い可愛い私の特待生(VIP)を、

外のバカどもから全力で守ってあげるから。

……あ、でも、あのゴリラみたいに元気な赤星くんだけは、

特別に立ち入りを許可してあげるわ」


「……っ」


赤星の名前を出された瞬間。

白石の瞳から、ポロポロと大きな涙が溢れ出した。


同情でも、哀れみでもない。

彼の存在を、その痛みを、

「可愛い」という彼女なりのめちゃくちゃな愛情で、

まるごと肯定してくれたのだ。

この変人教諭の圧倒的なエネルギーの前に、

教室の冷たいノイズは、綺麗に掻き消されていた。


白石は震える手でマシュマロの浮かぶココアを受け取り、

「……ありがとう、ございます」と、

泣き笑いのような顔で小さく呟いた。


「よし。白石のことは任せましたよ、先生」


俺は保健室のドアを静かに閉め、

廊下を歩き出す。


白石には、篠原先生という最強の「心の拠り所」ができた。

あいつが安心して羽を休めている間に。


俺は大人として、担任として。

自分たちの正義を信じて疑わない、あの冷酷な教室と、

たった一人で戦っている赤星のために。

何ができるのかを、考え続けなければならなかった。



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