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君の体温で息継ぎを  作者: 三つ目の海底
7/12

触れた体温と、はじまりの音

「……あー、もうダメ。マジで頭パンクしそう」


畳の上に大の字に寝転がり、

赤星くんが大きく息を吐き出した。


初夏の生ぬるい風が、

少しだけ開いた窓の隙間から入り込み、

ノートのページをパタパタと揺らしている。


「赤星くん、集中力続かなすぎだよ。

まだ三十分しか経ってないのに」


「だってよー、この公式マジで意味わかんねぇんだもん」


文句を言いながらも、

彼はごろんと寝返りを打ち、

僕のすぐ隣でうつ伏せになった。


距離が、近い。


少し汗ばんだ首筋。

無造作に跳ねた短い髪。

ほんの数十センチ先に、

彼という圧倒的な『生命』が存在している。


「ほら、起きて。

ここ、明日の小テストに出るんでしょ?」


「……ういーす」


面倒くさそうに起き上がろうとした彼に、

僕がシャーペンを差し出そうとした、その時だった。


「わっ」


うつ伏せから体を起こそうとした赤星くんの腕が、

畳に置かれていた分厚い参考書に引っかかった。


バランスを崩した彼の大きな体が、

僕の方へと傾いてくる。


「っ……!」


咄嗟に目を瞑った瞬間、

ドスン、という鈍い音とともに、

視界が完全に彼の大きな影に覆われた。


……痛くは、なかった。


恐る恐る目を開けると。

僕の顔のすぐ横、

畳に手をついて自分の体を支えている、

赤星くんの顔があった。


彼の下敷きになるような形で、

僕は畳の上に押し倒されていた。


「……あ。わりぃ、白石」


バチリ、と視線が絡み合う。


至近距離。

触れ合うほどの距離にある彼の瞳は、

驚くほど真っ黒で、吸い込まれそうだった。


呼吸のたびに、

彼の胸板が僕の薄いTシャツ越しに触れる。


『生きてる匂い』が、

全身を包み込むように濃く香った。


ドクン、ドクン、ドクン。


僕の心臓が、

肋骨を突き破るんじゃないかと思うくらい、

激しい音を立てて暴れ回っている。


赤星くんも、なぜかすぐにどこうとしない。

ただ、瞬きも忘れたように、

僕の顔をじっと見つめ下ろしている。


「……白石、お前……」


かすれた、低い声。


いつも無邪気に笑う彼とは違う、

静かで、少しだけ熱を帯びた『男の子』の目だった。


「まつ毛、なげぇな」


彼のごつごつとした指先が、

そっと、僕の頬を掠めた。


熱い。

火傷しそうなくらい、熱い。


その指先が触れた場所から、

甘く痺れるような熱が全身の血管を駆け巡り、

脳を真っ白に染め上げていく。


怖いんじゃない。

気持ち悪いわけでもない。


ただ、彼に触れられているという事実が、

どうしようもないくらい僕を狂わせる。


「……っ、あかほし、くん」


掠れた声で名前を呼ぶと、

彼はハッと我に返ったように目を丸くし、

勢いよく体を離した。


「ごっ、ごめん! マジでごめん!

怪我、してねぇか!?」


「う、うん。大丈夫……」


二人して起き上がり、

顔を真っ赤にして視線を逸らす。


気まずい沈黙。

でも、それは決して嫌なものではなかった。

お互いの激しい心音だけが、

この静かな部屋の中で重なり合っている。


友達とか、クラスメイトとか。

そんな言葉じゃもう、絶対に隠しきれない。


僕は、彼に惹かれている。

彼に、触れたいと思っている。


その事実をはっきりと自覚した瞬間。

僕の中で、

ずっと固く閉ざされていた扉の鍵が、

カチャリと音を立てて開いた気がした。


「……あのさ、赤星くん」


俯いたまま、

自分の震える両手をギュッと握りしめる。


「俺さ、明日から……」


彼が何か言いかけたのを遮るように、

僕は、震える声で告げた。


「……明日。僕も、学校に、行くよ」


赤星くんが、息を呑む音がした。


顔を上げると、

彼は目を見開いて、固まっている。


「本当に、少しだけかもしれないし……

教室まで行けるか、わかんないけど。

でも……赤星くんと、一緒に、行ってみたい」


怖い。

外の世界は、他人の目は、たまらなく怖い。


でも、それ以上に。

この熱を知ってしまった僕は、

もう、彼がいない暗闇の中で一人、

息を潜めて生きていくことなんてできない。


数秒の沈黙の後。


「……マジかよ」


赤星くんの顔に、

今まで見たことがないくらい、

くしゃくしゃの、本当に嬉しそうな笑顔が広がった。


「マジで!? よっしゃ!!

絶対俺が一緒にいてやるから!

誰にも文句なんて言わせねぇから!」


彼は僕の手を両手でギュッと握りしめ、

子供みたいに喜んでくれた。


その手の温もりを確かめながら。

僕は、部屋の隅に掛かっている、

真新しい制服を静かに見つめていた。


彼となら、大丈夫。

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