表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君の体温で息継ぎを  作者: 三つ目の海底
11/12

新しい朝

朝日が、剥がされたガムテープの跡が残るすりガラスを透かして、

四角く切り取られた光を畳の上に落としていた。


チュン、チュン、と遠くで微かにスズメが鳴いている。


「……ん」


重たい瞼をゆっくりと開けると。

すぐ目の前に、無防備な寝息を立てる赤星くんの顔があった。


昨日の夜。

泣き疲れて、感情のすべてを使い果たした僕たちは、

結局どちらからともなく畳の上に倒れ込み、

手を繋いだまま、泥のように眠ってしまったらしい。


彼の大きな手が、僕の指を痛いくらいにしっかりと包み込んでいる。


(……夢じゃ、ないんだ)


そっと空いている方の手を伸ばし、

彼の規則正しく上下する胸板に触れる。

ドクン、ドクンという、力強い命の音。

彼が僕を「欲しい」と言ってくれた、あの熱に満ちた声が、

鼓膜の奥に蘇ってきて、顔がカッと熱くなった。


「……う、ん……しらいし……」


寝言で僕の名前を呼んで、

赤星くんがモゾモゾと寝返りを打ち、

さらに僕の体へすり寄ってくる。

大型犬みたいなその仕草に、思わず小さく吹き出してしまった。


「赤星くん。……朝だよ」


頬をツン、と指先でつつくと、

彼は「んあ……?」と間抜けな声を漏らしながら、

ゆっくりと目を開けた。


数秒間、ぼんやりと天井を見つめ。

それから、目の前にいる僕とバチリと視線が合う。


「っ……!!」


彼は飛び起きるなり、

自分の口元を両手で覆い、耳まで真っ赤に染め上げた。


「お、おはよう、白石……!

俺、昨日、その……お前に……キス、して……っ!!」


「……うん」


「嫌じゃ、なかったか……?

俺、結構強引に……あー、クソッ、俺マジで何言ってんだ」


頭を抱えて一人でパニックになっている彼を見て、

胸の奥に、今まで感じたことのないような、

ふわりとした温かい感情が広がっていく。


あんなに男らしくて、強引で、

僕の絶望を力技で全部ぶっ壊してくれたのに。

こういうところは、同い年の普通の男の子なんだ。


僕は起き上がると、

頭を抱える彼の大きな背中に、そっと抱きついた。


「嫌なわけ、ないよ」


背中越しに伝わる体温。

彼が、ビクッと肩を揺らす。


「僕、今日……学校に行く」


「……無理、しなくていいんだぞ。

俺が昨日あいつらと揉めたから、

教室の空気、絶対最悪だし。

健太のやつも、まだ何言ってくるか……」


心配そうに振り返る彼に、僕は首を横に振った。


「ううん。行くよ」


部屋の隅に掛かっている、制服を見つめる。

昨日、高橋さんたちに囲まれて泥まみれになった時は、

この服が、僕を縛り首にする縄のように見えた。


でも、今は違う。


「赤星くんが、僕を呪いじゃないって言ってくれたから。

だから……逃げないよ。

君の隣に立つために、ちゃんと戦う」


僕の真っ直ぐな言葉に。

赤星くんは少しだけ目を見開き、

やがて、今までで一番優しくて、頼もしい笑顔を見せた。


「……わかった。俺が絶対、お前を守る」



初夏の眩しい日差しの中。

僕たちは二人で並んで、通学路を歩いていた。


校門が見えてくると、やはり足がすくみそうになる。

すれ違う生徒たちの好奇の視線。

昨日、赤星くんがグラウンドで大声を出して揉めていたことは、

すでに学年中に知れ渡っているらしかった。


ヒソヒソというノイズが、耳を打つ。

呼吸が浅くなりかけた、その時。


赤星くんが、歩きながら自然な動作で、

僕の手に、自分の手をそっと重ねてきた。

繋ぐわけじゃない。ただ、触れ合っているだけ。

それだけで、不思議と呼吸が整っていく。


下駄箱の前に差し掛かった時だった。


「……赤星」


低く、ひどく掠れた声がした。


入り口の陰に寄りかかるようにして立っていたのは、健太くんだった。


目の下には濃いクマがあり、

制服はシワだらけで、全く眠れていないのが一目でわかる。

いつもの血の気の多い彼とは別人のような、

ボロボロの姿だった。


赤星くんが、僕を庇うように一歩前に出る。

空気が、ヒリヒリと張り詰めた。


「……健太。今日は、なんの用だ」


赤星くんの低く冷ややかな声。

健太くんは、ギリッと唇を噛み締め、

それから、ゆっくりと僕たちの方へ歩み寄ってきた。


そして。


「……悪かった」


深く、深く。

頭を下げた。


「俺……武田先生から、話を聞いた。

昨日、お前が部活飛び出したあと、高橋たちも泣きながら俺んとこに来て……

お前らが、どうしてあんなに必死だったのか、

俺たちが、どれだけ最低なことしたか……全部」


震える声で紡がれる、痛切な謝罪。


「俺は、お前が白石に洗脳されてるって、本気で思ってた。

俺の信じてる『普通』から外れていくお前が、

ただ、怖かっただけなんだ……」


健太くんの拳から、ポタポタと涙が土間へと落ちる。


「赤星……俺、お前を傷つけた。

白石のこと、何も知らないくせに、化け物みたいに言って……

本当に、すまなかった……っ!!」


親友からの、血を吐くような謝罪。

赤星くんは、黙ってそれを見下ろしていた。

彼の中に、まだ怒りが残っているのはわかる。

自分のことより、僕を傷つけられたことへの怒りが。


だから。


「赤星くん」


僕は、彼の背中から一歩踏み出し。

健太くんの目の前に立った。


「……白石?」


驚く赤星くんを制して、

僕は、健太くんの目を真っ直ぐに見つめた。


「健太くんが、僕を気味悪がるのは当然だと思います。

ずっと部屋に引きこもってて、暗くて、

突然現れて、君の親友の時間を奪ったんだから」


「……っ」


「でも。僕は、赤星くんに洗脳されてなんかいない。

彼が優しすぎるから、無理をしてるのも分かってる。

……でも、僕たちは、お互いが必要だったんです」


声が震える。

足も震えている。

でも、絶対に視線だけは逸らさなかった。


「僕を化け物と呼んでもいい。

でも、赤星くんの気持ちだけは……

彼が僕を想ってくれたことだけは、絶対に馬鹿にしないでください」


僕の口から紡がれた、はっきりとした意思。

それは、健太くんの心に深く刺さったようだった。

彼は顔を上げ、僕の瞳の中にある絶対に譲れない熱を見て。

ハッと息を呑んだ。


「……お前ら」


健太くんは、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、

自嘲するように力なく笑った。


「……マジで、腹立つくらい、

お互いのことしか見えてねぇじゃんかよ」


負け惜しみのようなその言葉には、

もう昨日までの冷たい「正義」の刃は微塵も含まれていなかった。

彼は、僕たちの間に絶対に割り込めない『何か』があることを、

ようやく理解してくれたのだ。


「……俺はまだ、お前のこと完全に理解したわけじゃねぇけど。

でも……赤星を、よろしくな」


健太くんは、赤星くんに向かって小さく拳を突き出し。

赤星くんも、少しだけ迷った後、

無言でその拳に、自分の拳をコツンとぶつけた。


ひび割れていた世界が、

少しずつ、本当に少しずつ、

不器用な音を立てて修復され始めた瞬間だった。


僕たちは、新しい朝の光が差し込む廊下を、

二人で並んで歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ