第1話 転生したら、受付嬢でした。
人は死ぬ間際に走馬灯を見るという。
私の場合はエクセルだった。
締め日前夜の午後十一時。経費精算の合計がどうしても一円合わず、縦に並んだ数字を三往復したあたりで私の意識はセルの海へ沈んでいった。はずなのだが。
「アリサちゃん! しっかりしなさい、アリサちゃん!」
目を開けると知らないおじさんの顔があった。丸眼鏡に人の良さそうな垂れ目、心配しすぎて八の字になった眉。少なくとも経理部長ではない。うちの部長はこんなに優しい顔をしない。
「……どちら様でしょう」
「ベルナードだよ! ギルド長の! まさか頭を打ったせいで……いや、元から少し変わった子ではあったけど」
「いま流れで失礼なこと言いましたよね?」
言い返した瞬間に頭の奥がずきりと痛んだ。
流れ込んでくるのは知らないはずの記憶だ。辺境都市リンドヴァル。冒険者ギルドの受付。アリサ・ミルフォード、二十三歳。毎朝ギルド長に紅茶を淹れていること。昼のパンはいつも角の店で買うこと。
そしてその上に重なる、もう一つの人生。満員電車。定時という名の都市伝説。誰にも感謝されない月末処理。
なるほど理解した。私は死んで、異世界で受付嬢をやっているらしい。
「ギルド長。私、どうして倒れてたんでしょう」
「書類棚から依頼書の束が崩れてきてね。君がその下敷きになったんだ」
「……書類に埋もれて?」
「うん、書類に埋もれて」
前世の私の死因もだいたいそんな感じである。二度目の人生でも同じ死に方をしかけるとは、我ながら芸がなさすぎる。
「とにかく今日はもう帰って休みなさい。受付は私がなんとかするから」
「いえ、働きます」
口が勝手に答えていた。体調不良でも休まない。休むと仕事が溜まって後で死ぬ。前世で骨の髄まで染みついた悲しい習性だ。
「アリサちゃん、目が据わってるよ……?」
「気のせいです。業務に戻ります」
◇ ◇ ◇
受付カウンターの向こうはひどい混雑だった。
剣を背負った大男。杖を抱えた少女。昼間から酒の匂いをさせている中年。順番を守る気配はなく、全員が同時にこちらへ身を乗り出している。
そして私の背後には、さっき私を殺しかけた書類の山がそびえていた。
棚に戻した覚えはない。というか戻す場所がない。依頼書は日付順でも地域順でもなく、ただ積まれているだけだ。前世の私が見たら泣いて逃げ出す光景である。今の私も泣きたい。
「おう、受付の姉ちゃん! 倒れたって聞いたけど生きてんのか?」
「おかげさまで。本日はどのようなご用件でしょう」
「森の薬草採りの依頼、まだ残ってるか?」
「少々お待ちください」
振り返って山を見上げる。この中から一枚を探せと言うのか。
私は深く息を吸って営業用の笑顔を貼りつけた。前世で何千回と使ってきた、どんな理不尽にも折れない笑顔だ。
剣も魔法も使えない。あるのは一円の誤差を三往復して探す根性だけ。
それでも、どうやら私は転生しても書類から逃げられないらしい。
「……ただいま確認いたします!」
こうして異世界での私の初出勤は、紙の山との戦いから始まったのだった。




