9.知性化生物の秘密
私はじたじたと藻掻いてキャトリーの腕から逃げ出した。タヌキの前に飛びおりると、じっと見つめあう。
「あれ、タヌキも来たのか。やっぱり二人で観光かい?」
キャトリーが再び私とタヌキを抱き上げてソファの上に乗せる。いわゆるビップ席のソファは柔らかく、このまま寝られそうなほどふわふわだ。
「ちょっと待ってて、タヌキの分もお菓子を買ってくるからな」
キャトリーが席を外すと、タヌキがまた話しかけてきた。
「で、君は誰なの? 浮遊島では見たことないの」
その目には警戒の色がありありと浮かんでいた。私は慌てて話し出す。タヌキが言葉を送ってくれた感覚を逆にして、送り返すようにしてみたら簡単に意思を伝えることができた。
「私、ミニカ・ハート。午後にこのラウンジで会ったタヌキよね。ピンクの髪の人間、覚えてない? 何かの薬を盛られたみたいで、動物の姿になっちゃったの」
タヌキは少し考えるようなそぶりをすると、ひとまず信じたようだった。
「それはかわいそうなの。魔女に助けてもらうのが一番なの」
当然そうなのだけど、肝心の魔女に助けを求める方法がわからない。人間と会話できればいいけど、恐らく無理だろう。困っていると、タヌキが言った。
「シルとバンに相談するの。なにかわかるかもしれないの」
「シルとバン?」
初めて聞く名前だ。魔女の誰かだろうか。
「一緒に来るの。紹介するの」
ソファから飛び降りたタヌキはラウンジの出口まで走って振り返る。
「早く来るの!」
私はキャトリーの方を見る。ちょうど会計をしているところだった。置き去りにするのは申し訳ないけど、今は藁でも掴みたい。ごめんなさいと心の中で謝って、タヌキの元に走った。
「そういえば、知性化生物が意思疎通できることは秘密なの。魔女も知らないから絶対言っちゃ駄目なの」
廊下を歩きながらタヌキは私に秘密を語ってくれる。知性化生物たちは、どうやら生体実験の過程で意思の疎通ができるようになっていたらしい。それを秘密にしていたのは、人間も魔女のことも信用していないからだろう。彼らの境遇を考えれば、私はそれを誰かに話そうとは思わない。
「わかったわ。絶対に秘密にする。あなたたちを危険にさらしたくはないもの」
知性化生物は見た目には普通の動物だ。知性ある動物同士で言語を用いた意思の疎通まで出来るとバレたら、軍事的利用価値が跳ね上がる。いつまた誰かに利用されるかわかったものではない。
ふと、思ったことを聞いてみる。
「ねえ、どうして私を助けてくれるの?」
「……僕らは同じ境遇の仲間なの。そう思ってなかったら下界には来ないの」
この国ができた当時、トランプカードと知性化生物たちは共に狂気の魔女を打ち倒し、魔女の生体実験に協力していた国を簒奪した。私たちの先祖は同じ実験材料だ。仲間といえば仲間だろう。
「それに人間が動物になるなんて、必ず魔女が関わってるの。魔法を使えるのは魔女だけなの。それは危険なの」
二人でぼてぼてと歩きながら、城の奥を目指す。時折すれ違う者たちには奇異の目で見られたけど、リボンのせいで誰も声をかけてこない。四つ足で歩くのにも大分慣れた頃、扉のないガラス張りの建物にたどり着いた。
「シル、バン。いるの?」
タヌキが声をかけると、奥の方からはしゃぐ声がした。
「おおカエデ、戻ってきたか! 美味い酒があるぞ!」
「トリスタンは気前がいいな! 酒もつまみも惜しみなく与えてくれる」
そこにいたのはトリスタン様の護衛をしているクマとオオカミだった。カエデと言うのはタヌキの名前だろうか。
「ん? お前は誰だ?」
オオカミが私を見つけると、まじまじと見つめてくる。今は体が小さいので、睨まれると迫力がすごい。思わず一歩下がってしまった。
「緊急事態なの。この子、ミニカ・ハートなの」
タヌキが言うと、クマが酒樽から酒を注ぎながら首をかしげた。
「あぁん? ミニカ・ハート? トリスタンの嫁候補だろ。なんで豚になってんだ」
「抗魔の力があるハート家の子が弾ききれなかった魔法なの。絶対に魔女の権能なの」
魔女が使う魔法は二種類。通常の魔法と、権能がある。権能は全ての魔女に一つ、必ず備わっている固有能力だ。権能による魔法は普通の魔法を凌駕する特別な物。例を挙げるなら、現在魔女の頂点にいてすべての魔女を管理している不死の魔女。彼女は不老不死の権能を持っている。
「……うむ、大変なことになったな。いきさつを話せ」
私はお菓子を食べたら子豚になってしまったと素直に話す。今頼れる者たちは彼らだけだ。
「……姿が変わった時、服はどうした?」
「服? そういえば、着たまま豚になったわ」
オオカミは少し考えると、なにかを確信したように頷いた。
「確実に権能による魔法だろうな。通常の魔法で姿を変える場合、体の形が変化するだけだから服はその場に残る。権能による魔法でなければ服ごと姿を変えるのは無理だ。……問題は、今浮遊島にいる九十七人の魔女の中に、変化かそれに類する権能を持ったものがいないということだ」
私の予想は当たっていたようだ。世界にきっかり百人しかいない魔女のうち、行方不明の魔女は三人。どこかに捕まっているのか自ら行方をくらましているのかわからない三人の中に犯人がいる。
「変化の権能っつーのは厄介だな。捕まえるのが難しい」
「それにあのガブリエルからの菓子で変化したのだろう。魔女と王子が手を組んだとしたら、トリスタンも危険かもしれん」
彼らの先祖は、初代トランプカードが救出した知性化生物だ。彼らが今トリスタン様を守っているのは、先祖の恩があるから。正直何十年も前の恩返しのために真面目に護衛をやっているとは思っていなかったけど、トリスタン様は彼らに慕われているらしい。自分のことではないのに少し誇らしい気持ちになった。
「ひとまず城内をくまなく探すか。望みは薄そうだが」
オオカミはため息をついて私を見る。元に戻るために協力してくれるようだ。動物とはいえ、味方ができて安堵する。
「私はシル。こいつはバンだ。よろしく頼む」
オオカミはシルでクマがバン。そしてタヌキがカエデ。バンは酒を飲むのをやめて、どっこいしょと起き上がる。
「そもそもなんでミニカが狙われたんだろうな。ガブリエルなら真っ先にトリスタンを狙いそうだが」
それは私も思っていた。私を狙ってガブリエル様に得はあるのか。私を花嫁候補から外すことが目的? そうすることに意味はあるのだろうか。
「情報収集はお前に任せるぞ、カエデ。人間の会話に聞き耳を立てるには私たちは大きすぎるからな」
「わかったの」
手がかりを探すため出発しようとすると、入り口の方から楽しそうな声がした。一人で会話しているように聞こえるそっくりな声はエース家の双子だ。一緒にいるトリスタン様の声も聞こえて、私は慌てて草陰に隠れた。豚になったところなんて、トリスタン様に見られたくない。




