8.子豚になった
どれくらい気を失っていたのだろう。目を開けると、薄暗い部屋の床が見えた。魔女の浮遊島のせいで昼間も薄暗いので、何時間経ったのかわからない。
あれは毒だったのか。体はどこも痛くないし、重くもない。念のためはやくトリスタン様に伝えなくてはと、両足に力を入れて起き上がろうとする。しかしいくら頑張っても立てない。バランスが取れないのだ。
何度か繰り返すうち、意識がはっきりしてきてやっと異常に気がついた。周囲のものが大きくなったように感じる。
「ぴぎい」
声を出した時、私は戦慄した。喋れない。それに今聞こえた音はなんなのか。まるで何かの鳴き声みたいだ。恐る恐る首を動かして、自分の体を見ようとする。目に映ったのは、自分の髪と同じピンクの毛皮。そしてそれにくっついた硬い蹄だった。
「ぴぎゃー」
人間ではない、私は動物になっている。しかもかなり小さい。トランプカードの優秀な頭脳をもってしても、動揺を禁じ得ない最悪の事態だ。人間は危機的状況に陥ると逆にとても冷静になったりする。
動物になったと気がついてしまった瞬間。私の頭の中ではいくつもの選択肢が駆け抜けた。しかし、打開策は思いつかない。
「ぴぎゅう」
私はひとまず四つ足で立ち上がった。テーブルがとても大きく見える。私は何の動物に変えられてしまったのか。おぼつかない動作で姿見の方へ歩き、自分の姿を見た。
「ぶぅ」
それはピンクの子豚だった。我ながら見た目は可愛らしい。でもそれがなんだというのだろう。いくら可愛かろうが、動物になってしまってはこの状況を誰かに伝えることすらできやしないのに。
きゅうきゅうと鳴きながらどうするべきかを悩んでいると、扉をノックする音がした。
「ミニカ? 私だ。相談があるんだ」
キャトリーだ! キャトリーならもしかしたら異変に気がついてくれるかもしれない!
「きゅー!!!!」
私は全力で鳴いた。幸い、部屋の鍵は閉めていない。異変を感じて部屋に入ってきてくれたら、なんとかなるかもしれない。
「ミニカ!? どうした。入るぞ!」
扉を開けて部屋に入ってきたキャトリーの元に走る。キャトリーは突然足元に走ってきた豚に身構えるも、すぐに明るく笑う。
「タヌキと一緒に来たのか? 可愛いお客様。どうしてミニカの部屋にいる?」
前足をキャトリーの足に乗せて、きゅうきゅうと私がミニカであると訴える。
「リボンが落ちているぞ。これがないと野生の豚に間違わせるから、つけてやろうな」
キャトリーは床に落ちていた白いリボンを拾うと、私の首に巻いた。それはガブリエル様からの贈り物に巻かれていたリボンで、知性化生物につけるリボンではない。色が同じだから勘違いしたようだ。
リボンを結ぶ間も、私はきゅうきゅう鳴き続ける。
「ミニカは君用のおやつでも貰いに行ったのか? 戻って来るまで私と遊んでような」
駄目だ、全く気がつかない。どうしたら気がついてもらえるのか。キャトリーに撫でまわされながら考える。
そうだ、書けばいい。私は蹄でキャトリーの左手をとんとんと何度も叩いた。
「なんだ? 手がどうかしたのか?」
首をかしげながら差し出した左手の甲に、前足で『ミニカ』と書く。豚の前足では難しかったけど、これで伝わるはずだ。
「すごいな、字が書けるのか!? 私の名前も書けるか? キャトリーだ」
言う通りにキャトリーと書くと、締め付けられそうなほどに抱きしめられる。
「なんて賢いんだ! 可愛らしくて賢いなんて、最高じゃないか! 良ければ私の家で暮らさないか?」
キャトリーは可愛さのあまり馬鹿になっているようだ。少しも疑問に思っている様子がない。しかも他の文字を書こうにも抱きしめられているから無理だ。真っ先に用件を書くんだった。
「しかしミニカは戻ってこないな。一緒にラウンジに行くか」
しばらく頬ずりをしていたキャトリーが、私を抱えて歩き出す。私がどこにもいなくなったとわかれば、子豚になったと気づいてくれるかもしれない。
キャトリーに会ってなんとかなるかもしれないと思ったら、だいぶ混乱も落ち着いた。キャトリーに抱かれてラウンジに向かう。ラウンジは候補者たちが自由に食事をとれる。食事は頼めば朝晩既定の時間に部屋に持ってきてもらえるけれど、ラウンジの方が好きなものを食べられるし、複数人で食べられるから人気だ。
「ミニカ、いないな……どこに行ったんだ」
キャトリーはラウンジを見回してため息をつく。
「とりあえず君のおやつを買おうか。何がいい?」
私は前足でキャラメルプリンを指す。王都に本店がある有名店の逸品だ。最近城のラウンジに出店を許されたばかりで、私の大好物である。
「君はミニカに似ているな。ミニカもこのプリンが大好きなんだ」
そこまでわかって私がミニカだと気がついてくれないのは寂しいような気がする。
キャトリーが買ってくれたプリンを食べさせてもらっていると、周りの視線が痛い。知性化生物は王家の客だ。いくら可愛いと思っても身分が低い人間は近づけないのだ。
「ねえ、君は誰なの?」
ふいに、声が聞こえた。可愛らしい男の子の声だ。耳からではない頭の中に直接響いたその声に驚いて、あたりを見回す。
「下なの」
言葉の通り下を見ると、昼間のタヌキが私を見つめていた。知性化生物は、言葉を解する。でも、話せるなんて知らなかった。




