10.かわいそうな子豚
「よー、酒はどうだ。相棒」
双子の片割れのカレットが、酒樽を担いでいる。シルとバンに手を振って、樽を置いた。一緒にトリスタン様を守っているから、シルとバンとは仲がよさそうだ。
「ここなら誰も来ないだろ。トリスタン様もたまには飲もうぜ!」
アレットがトリスタン様を誘っているけれど、トランプカードは酒に酔えないのに飲んでどうするのだろう。双子だってうわばみだ。樽いっぱい飲み干したところで酔うことはない。
酒を注いだアレットがソファに座ると、疲れたようにため息をついた。
「ったく、どこに行っても女どもが追いかけてくる。王子の花嫁候補として呼ばれたくせに俺に色目を使ってくるのはなんなんだよ」
なるほど、候補者たちは少しでも覚えてもらおうとトリスタン様たちを追い掛け回しているようだ。ここならば城の端だし、立ち入り制限のある王族の私室がある区域が近いので見つかりにくいだろう。
下級貴族の子は王族の嫁よりその側近の嫁を狙っている子が多いようだ。エース家の双子はいま二十歳だから、早く婚約者を見つけなければならないけれど、トリスタン様の花嫁が決まってからの選定になるだろう。家格や派閥のバランスも考える必要があるから。
「……客が増えたのか? 報告はうけていないが」
トリスタン様の声に心臓が跳ねた。気がついたらトリスタン様がじっとこちらを見ている。冷静に考えたら、私は兄のように気配を殺す訓練なんてうけてはいない。草むらに隠れただけではすぐに察知されるに決まっている。
「あれー、本当だ。俺も聞いてないけど……子豚か? こっちで一緒に飲もうぜ」
私は出ていこうか迷った。でもバレたのに隠れ続けるのもおかしい。私はそろそろと茂みから顔を出す。こんな姿をトリスタン様に見られるだなんて、屈辱だ。
「手掛かり探しはトリスタンたちが帰った後だな……」
シルがそう言って再び酒に手をつける。シルの声はトリスタン様たちに聞こえていない。
「今みんなで私の部屋に向かったら、トリスタン様に異変を伝えられないかしら」
「確かにそうだが、大騒ぎになるやもしれん。もしいなくなったことが大勢に知られたら、おかしな噂がたつぞ。それでもいいのか?」
シルは痛いところをついてくる。私はトリスタン様の婚約者候補筆頭。根も葉もない噂話で私を追い落としたい人間はたくさんいる。もし誘拐されて傷物になった、とでも広まったらトリスタン様と結婚できなくなるかもしれない。
「でもそれならどうやって元に戻るの。誰かの協力は必要だわ」
「お前が居なくなったとわかれば、きっとダイヤの娘が内密にトリスタンに話を持ってくるだろう。それからなんとか状況を知らせたらいい。字が書けるなら伝える方法はある」
シルは冷静だ。知性化生物とはいえここまで頭が良かったのかと驚いた。動物だからと、無意識の内に下に見ていたのかもしれない。認識を改めないといけないようだ。
自分は思ったほどピンチではないかもしれない。大丈夫、きっと元に戻れると自分に言い聞かせた。
そう考えていると、突然体を掴まれて持ち上げられた。じたばたと藻掻いて抜け出そうとするけど、無理だった。
「暴れるな、クッキーがある」
その声で私を持ち上げたのはトリスタン様なのだということに気がついた。思わず硬直して状況を理解しようとするけど、羞恥と混乱で何もできない。トリスタン様はソファの上に私を降ろすと、口元に小さく割ったクッキーを持ってきた。
「食わないのか?」
静かな目で私を見つめるトリスタン様に、私は魔法にでもかかったように逆らえなくなった。クッキーをもぐもぐ食べると、トリスタン様が次を差し出してくる。
視界の隅ではカエデがアレットに菓子をもらっていた。この状況は何だろう。カレットが皿にお酒を注いでくれたので一口飲むと、にやりと笑って言った。
「豚に酒を飲ますと肉が柔らかくなるんだよな」
食われる!? と思って動揺して皿をひっくり返してしまう。頭から酒をかぶった私は泣きそうだった。
「カレット。やめろ」
「はーい」
おかしそうにケタケタ笑うカレットは、絶対に反省していない。酒まみれで震える私を掴んだトリスタン様は、恐らくシルとバン用に作られたのだろう人工池に私を連れて行く。
「連れが失礼した」
そう言って私を池の水で洗う。池の水はほんのり温かい。魔女の技術が使われているのだろう。高位貴族の家にある浴槽と同じものだと思われる。
トリスタン様に洗われているという羞恥心で体が熱い。しかしトリスタン様は気づかず水をかけてくる。
「もうよさそうだな」
洗い終わったトリスタン様は、自分のマントを外して私を拭いた。トリスタン様が使っている香水の匂いがする。なんて幸せなんだろう。
「トリスタン様。その子気に入ったんですか? なんかミニカに似てますよね」
トリスタン様は無言で私をじっと見た。
「なるほど、確かに」
口数が少ないというのも考えものだ。トリスタン様が私に対して何を思ったのか全く分からない。嫌われてはいないようだけど、不安になる。
「伴侶もミニカで決定ですよね。他は物足りないし……俺らの嫁もさっさと決めていいですか?」
アレットの質問に呼吸が止まるかと思った。心臓がバクバクして答えを聞くのが怖い。
「いや……まだ悩んでいる」
その答えを聞いて、私は凍り付いた。先程まで熱を持っていた体が急速に冷めてゆく。
「えー、なに悩んでるんですか。他に気になる子でもいました?」
耳を塞ごうとしたけれど、豚の前足では無理だった。今すぐ逃げ出したい衝動にかられるけど、トリスタン様は私を落とさないように抱きしめているから抜け出せない。
「いや、いない」
「はぁ? じゃあミニカでよくないですか?」
気になる子がいないと聞いても、私の心は晴れない。だってそれは私に何か不足があるということだろう。何がダメなのだろう。直すから教えてほしい。
「……かわいそうだと、思う」
小さな呟きに、思わずトリスタン様を見上げた。なぜかトリスタン様は私を見ている。その目にほんの少しだけ、感情の色が見えた気がした。




