第三章 ミュオパル誕生
みゅ。
それは、聞き間違いみたいに小さな声だった。
お風呂の給湯音にまぎれてしまいそうで、洗面所の換気扇の音に消えてしまいそうで、でも確かに、理央の手の中から聞こえた。
「……今、しゃべった?」
理央は、オパールを顔の高さまで持ち上げた。
濁った白い石の奥で、小さな光がゆれている。
青。
緑。
金色。
それから、淡い桃色。
さっきまでくもっていたはずの石の中に、いくつもの色が、ころころと転がっていた。
「陸!」
思わず呼びかけてから、理央はあわてて口を押さえた。
だめだ。
陸に見せて、もし気のせいだったら恥ずかしい。
それに、陸は絶対に大声を出す。
お母さんが帰ってきたら、また説明しなきゃいけなくなる。
理央はオパールをぎゅっと包みこみ、洗面所から飛び出した。
「陸、お風呂わいたら先に入ってて!」
「えー、理央は?」
「あとで!」
「なんで?」
「いいから!」
理央は自分の部屋に駆けこんだ。
部屋といっても、六畳の小さな部屋だ。机とベッドと本棚でほとんどいっぱいになる。机の上には、学校のプリント、削りかけの鉛筆、消しゴムのかす、そして創作ノートが広がっていた。
理央はドアを閉め、鍵はないので、かわりに通学リュックをドアの前に置いた。
それから、机の上にオパールをそっと置いた。
「……しゃべった?」
オパールは、しんとしている。
「さっき、みゅって言った?」
返事はない。
理央は、石をじっと見つめた。
胸がどきどきする。
怖いような、楽しみなような、変な感じだった。
「……あのさ」
理央は、石に向かって小声で言った。
「しゃべれるなら、もう一回しゃべって」
しばらく何も起こらなかった。
やっぱり気のせいだったのかもしれない。
そう思った瞬間。
ころん。
オパールが、机の上で小さく転がった。
「わっ」
理央は後ろに下がり、椅子にぶつかった。
オパールは、机の真ん中でぴたりと止まった。
その表面に、細い光の線が入る。
ひび、ではない。
割れているのではなく、石の内側から、何かがふくらんでいるようだった。
光の線が、ぱあっと広がる。
オパールの中から、白いもこもこしたものが、むにゅ、と顔を出した。
「……え」
小さな耳。
丸いおでこ。
青くて大きな目。
額には、米粒ほどのオパールのしずく。
ふわふわの白い体に、半透明の小さな羽のようなものがついている。
長い耳の内側は、青や緑や金色にきらきら光っていた。
それは、うさぎにも、猫にも、鳥にも似ていて、でもどれとも違う、小さな生きものだった。
生きものは、オパールの上にちょこんと座り、ぱちぱちと瞬きをした。
「みゅ……」
理央は、声も出なかった。
生きものは、理央を見上げて、もう一度言った。
「みゅ。はじめましてですみゅ」
「……」
「ミュオパルですみゅ」
「……」
「理央のジュエモンですみゅ」
「……」
「みゅ?」
理央は、口をぱくぱくさせた。
言いたいことはたくさんあった。
何。
誰。
どこから。
本物。
夢。
Fランクじゃなかったの。
ジュエモンって、こんなふうに生まれるの。
けれど、最初に出てきた言葉は、それではなかった。
「かわいい……」
ミュオパルは、ぱっと顔を輝かせた。
「みゅ!」
耳がぴょこんと立つ。
立った耳の内側で、オパールみたいな光がきらきら流れた。
「かわいいって言われたですみゅ!」
「いや、だって、かわいい……」
理央は、そろそろと机に近づいた。
ミュオパルは逃げなかった。
オパールの上で、ふわふわの胸を張っている。
「ほんとに、私のジュエモン?」
「そうですみゅ」
「Fランクなのに?」
「みゅ?」
ミュオパルは首をかしげた。
「Fランクって、よわいってことでしょ。価値なしって」
自分で言って、少し胸が痛んだ。
でも、ミュオパルはきょとんとしていた。
「ミュオパル、価値なしじゃないですみゅ」
「でも、鑑定で」
「鑑定は鑑定ですみゅ。ミュオパルはミュオパルですみゅ」
「そんな言い方ある?」
「ありますみゅ」
ミュオパルはきっぱり言った。
小さいのに、やけに堂々としている。
「ミュオパル、まちがえてませんみゅ。理央のところに来たかったですみゅ」
理央は、息を止めた。
理央のところに来たかった。
そんなふうに言われたのは、初めてだった。
いい石に選ばれたかった。
すごいねと言われたかった。
がっかりされたくなかった。
お母さんに申し訳なさそうな顔をしてほしくなかった。
そんな気持ちを、理央はずっと胸の中にしまっていた。
でも、ミュオパルは、まっすぐ理央を見ている。
「……ほんとに?」
「ほんとですみゅ」
「間違えて落ちてきたんじゃなくて?」
「ちがいますみゅ」
「補助護符がなかったから、ほかの子のところに行けなかったとか」
「ちがいますみゅ」
「私で、よかったの?」
「理央が、よかったですみゅ」
理央は、何も言えなくなった。
胸の奥が、ぎゅうっと痛い。
でもそれは、鑑定堂で感じた痛みとは違っていた。
少し痛くて、少しあたたかい。
ミュオパルは、ふわっと浮かび上がった。
羽のようなものが小さく動き、理央の目の前までやってくる。
「泣いてますみゅ?」
「泣いてない」
「目、きらきらしてますみゅ」
「してない」
「してますみゅ」
「してないってば」
理央は袖で目をこすった。
泣いてなんかいない。
たぶん。
ミュオパルは、理央の鼻先に小さな前足を伸ばした。
ちょん、と触れる。
とても軽い。
綿あめが触ったみたいだった。
「理央、よろしくですみゅ」
理央は、ゆっくり息を吐いた。
「……よろしく、ミュオパル」
そう言った瞬間、机の上の創作ノートが、ぱさりと音を立てた。
「え?」
理央が振り向くと、ノートのページが、ひとりでにめくれていた。
ぱら。
ぱらぱら。
ぱらららら。
「ちょっと、何?」
「みゅ!」
ミュオパルがうれしそうに耳を立てた。
「理央のノートですみゅ!」
「見ないで!」
理央はあわててノートを押さえようとした。
けれど、ノートはするりと手の下をすり抜けるように、さらにページをめくった。
炎のたてがみのジュエモン。
氷の羽のジュエモン。
葉っぱ耳のジュエモン。
音符のしっぽのジュエモン。
影の猫。
星の魚。
月を食べる白いきつね。
全部、授業中や寝る前に、理央がこっそり描いたものだ。
「うわ、やだ、ほんとに見ないで!」
「すごいですみゅ!」
「すごくない!」
「いっぱいいますみゅ!」
「落書きだから!」
「落書きじゃないですみゅ。理央のスターワールドですみゅ」
理央は手を止めた。
「……スターワールド?」
ミュオパルは、ノートの上に降りた。
小さな前足で、ページのすみに描かれた白くて丸いジュエモンを指す。
それは、ミュオパルに似ていた。
いや、似ているどころではない。
耳の形も、丸い体も、額の小さな宝石も、ほとんど同じだった。
理央はその絵を見つめた。
いつ描いたのか、覚えている。
雨の日の国語の授業中だ。
黒板の文字がぼんやり見えて、先生の声が遠くなって、窓の外の水たまりに空が映っていた。
その水たまりの中から、こんな子がころんと出てきたらいいのに、と思った。
だから描いた。
横には、小さな字でこう書いてある。
“よわいけど、そばにいてくれる子”
理央は、指でその文字をなぞった。
「……これ、ミュオパル?」
「みゅ。たぶん、ミュオパルですみゅ」
「たぶん?」
「理央がずっと描いてくれてたから、ミュオパル、形を思い出せたですみゅ」
「形を、思い出す?」
ミュオパルは、うーんと首をかしげた。
説明する言葉を探しているみたいだった。
「スターワールドは、遠いところで、近いところですみゅ」
「どういうこと」
「みんなの心の光が、おほしさまや、おはなや、きらきらになって集まる場所ですみゅ」
「心の光?」
「うれしい、たのしい、かなしい、さびしい、だいすき、ほんとはいやだ、でもがんばる、そういうのですみゅ」
理央は、よくわからなかった。
でも、ミュオパルの声は、ふしぎとすとんと胸に入ってきた。
「ジュエモンは、そこから来るですみゅ。でも、外からぽんって来るだけじゃないですみゅ」
「じゃあ、どこから来るの」
「その人の中から、スターワールドを通って来るですみゅ」
理央は、ミュオパルを見た。
「じゃあ、ミュオパルは……私の中から来たの?」
「みゅ」
ミュオパルは、うなずいた。
「でも、ミュオパルはミュオパルですみゅ。理央とは別ですみゅ。でも、理央とつながってるですみゅ」
「むずかしい」
「むずかしいですみゅ」
「自分で言ったのに」
「みゅ」
ミュオパルは、少し得意そうに胸を張った。
理央は思わず笑った。
そのとき、ドアの向こうから陸の声がした。
「理央ー! お風呂入っていいー?」
理央は飛び上がった。
「だ、だめ!」
「なんで?」
「いや、いい! 入って! 入っていい!」
「どっち?」
「入って!」
「変なのー」
陸の足音が遠ざかる。
理央はほっと息をついた。
「ミュオパル、人に見えるの?」
「見える人には見えるですみゅ」
「何それ」
「ジュエモン持ちには、だいたい見えるですみゅ。まだ宝石に選ばれてない子には、ぼんやりだったり、声だけだったりしますみゅ」
「陸には?」
「たぶん、白いもこもこくらいですみゅ」
「それ、ぬいぐるみって言い張れる?」
「みゅ?」
「いや、いい」
理央は、ミュオパルをそっと両手で包もうとした。
ミュオパルは、ふわりとその手の中に降りた。
びっくりするほど軽い。
あたたかい。
心臓みたいに、かすかにとくん、と震えている。
「ほんとにいるんだ」
「いますみゅ」
「夢じゃない?」
「夢だったら、もっとふかふかの雲の上がいいですみゅ」
「そういう問題?」
「みゅ」
理央は、また少し笑った。
今日はFランクだと言われた日だった。
価値なしだと笑われた日だった。
お母さんに申し訳なさそうな顔をさせてしまった日だった。
からあげ弁当を陸にゆずって、ハンバーグ弁当を食べた日だった。
でも今、手の中にミュオパルがいる。
そのことだけで、今日という日が少しだけ違って見えた。
「ねえ、ミュオパル」
「みゅ?」
「あんた、何ができるの?」
ミュオパルは、ぴたっと固まった。
「……みゅ」
「え、何その顔」
「ええと」
「もしかして、何もできない?」
「何もできなくはないですみゅ」
「じゃあ何ができるの」
「理央のそばにいられますみゅ!」
ミュオパルは、きらきらした顔で言った。
理央は黙った。
「……それだけ?」
「大事ですみゅ!」
「いや、大事だけど」
「すごく大事ですみゅ!」
「うん、大事だけど、ジュエモンって、もっと火を出したり、水を操ったり、空飛んだりするんじゃないの?」
「ミュオパル、ちょっと飛べますみゅ」
ミュオパルは、ふわふわと十センチくらい浮いた。
そして、ぽすんとノートの上に落ちた。
「……ちょっとだね」
「ちょっとですみゅ」
理央は、肩の力が抜けた。
やっぱりFランクなのかもしれない。
そう思った。
でも、不思議とさっきほどがっかりしなかった。
「まあ、いいか」
「みゅ?」
「そばにいてくれるなら」
ミュオパルの耳が、ぴこっと動いた。
「いてくれれば、いいよ」
理央がそう言うと、ミュオパルは一瞬、何かをこらえるような顔をした。
それから、ぽすんと理央の胸元に飛びついてきた。
「みゅううう!」
「わっ、ちょ、くすぐったい」
「ミュオパル、そばにいますみゅ! 理央のそばにいますみゅ!」
「わかった、わかったから」
「お弁当の日もいますみゅ!」
「うん」
「算数わからない日もいますみゅ!」
「それはちょっと黙ってて」
「猪狩にいやなこと言われた日もいますみゅ!」
理央は、少しだけ黙った。
ミュオパルは、理央の胸元から顔を上げた。
「理央、いやでしたみゅ?」
「……別に」
「いやだったですみゅ」
「何でわかるの」
「ミュオパル、理央のジュエモンですみゅ」
理央は、視線をそらした。
「言い返せなかっただけ」
「みゅ」
「Fランクなのは本当だし」
「みゅ」
「役に立たなそうって言われたのも、たぶん本当だし」
「違いますみゅ」
ミュオパルの声が、急にきっぱりした。
「理央も、ミュオパルも、価値なしじゃないですみゅ」
理央は、ミュオパルを見た。
小さなジュエモンは、真剣な顔をしていた。
丸くてふわふわで、どう見ても強そうではないのに、その目だけはまっすぐだった。
「でも」
「でもじゃないですみゅ」
「鑑定で」
「鑑定は鑑定ですみゅ」
「またそれ」
「大事なことなので、もう一回言ったですみゅ」
理央は、少し笑った。
ミュオパルは、本気で怒っているようだった。
そのことが、少しうれしかった。
お風呂から陸の歌声が聞こえてくる。
お母さんはまだ帰らない。
お父さんもまだ帰らない。
家はいつもみたいに静かで、少しだけ寂しい。
でも、机の上にはミュオパルがいる。
「ミュオパル」
「みゅ?」
「明日、学校行ったら……猪狩くんにも、ミュオパル見えるかな」
「たぶん見えますみゅ」
「また笑われるかな」
「笑ったら、ミュオパルが怒りますみゅ」
「どうやって?」
「みゅーって言いますみゅ」
「弱そう」
「気持ちは強いですみゅ」
理央は吹き出した。
「そっか」
「そうですみゅ」
ミュオパルは胸を張った。
その姿がかわいくて、理央はもう一度笑った。
その夜、理央はなかなか眠れなかった。
お母さんが帰ってきたときには、もうミュオパルはオパールの中に戻っていた。
理央は鑑定の話を少しだけした。
Fランクだったことも、言った。
お母さんはやっぱり申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんね、理央。護符、買ってあげられなくて」
「いいよ」
「でも」
「ほんとにいい。オパール、かわいいし」
理央は、前より少しだけ本気でそう言えた。
お母さんは理央の頭をなでた。
その手は冷たかった。
外から急いで帰ってきた手だ。
「今度のお休み、ケース見に行こうか」
「うん」
理央はうなずいた。
本当は、今日一緒に選びたかった。
でも、それも言わなかった。
言わなかったけれど、胸の奥で小さく思った。
今度は、ほんとに行けたらいいな。
その夜、ベッドの中で、理央はオパールを枕元に置いた。
部屋の電気を消すと、オパールの中で小さな光がころんと動いた。
「ミュオパル」
小声で呼ぶと、石の中から、眠そうな声がした。
「みゅ……」
「おやすみ」
「おやすみですみゅ、理央」
「明日もいる?」
「いますみゅ」
「ほんとに?」
「ほんとですみゅ」
理央は布団をかぶった。
外では、遠くの車の音がしている。
家の中では、お母さんが台所で何かを片づけている音がした。
いつもなら、その音を聞くと、少しだけ胸がしんとする。
今日話したかったことを、今日中に話せなかった気がして、さびしくなる。
でも今夜は、枕元のオパールがほんのり光っていた。
理央は目を閉じた。
夢の中で、星の川が流れていた。
その川のほとりで、小さな白いジュエモンが、ころんと転がって笑っていた。




