第二章 星屑古道具店
スターワールド鑑定堂からの帰り道、理央はいつもの商店街を歩いていた。
右手には、スーパーの袋。
中には、からあげ弁当とハンバーグ弁当がひとつずつ入っている。
弟の陸は、からあげが好きだ。
理央も本当はからあげがよかったけれど、売り場に残っていたからあげ弁当はひとつだけだった。だから、理央はハンバーグ弁当にした。
別に、ハンバーグも嫌いじゃない。
嫌いじゃないけれど、今日は何となく、からあげの気分だった。
「……まあ、いいけど」
理央は、誰に言うでもなくつぶやいた。
左手には、鑑定でもらった小さな布袋がある。
中には、あの濁ったオパールが入っていた。
鑑定堂では、宝石をそのまま持ち帰るための専用袋が配られる。高ランクの宝石をもらった子たちは、首から下げられる立派なケースを買ってもらったり、宝石店にそのまま寄って加工の相談をしたりするらしい。
でも、理央のオパールは、鑑定堂の簡単な布袋に入ったままだった。
Fランク。
価値なし。
役に立たなそう。
猪狩くんの声が、何度も頭の中でくり返される。
理央は、袋をぎゅっと握った。
「うるさいな」
小さく言った。
誰もいないのに、恥ずかしくなって、理央はうつむく。
商店街は、夕方の買い物客で少し混んでいた。
八百屋の前には大根やキャベツが並び、肉屋からはコロッケの匂いがした。パン屋のガラス窓には、星形のクリームパンが飾られている。スターワールドジュエル鑑定の日に合わせた限定商品だ。
星形パン。
星形クッキー。
星形コロッケ。
町じゅうが、十二歳の子どもたちを祝っているみたいだった。
でも、理央は少しも祝われている気がしなかった。
Fランクの子も、祝ってくれるのかな。
そんなことを考えて、理央はすぐに首を振った。
やめよう。
考えたって仕方ない。
家に帰って、陸にお弁当を食べさせて、宿題をして、お風呂を入れて、お母さんが帰ってくるまで待つ。
今日やることは、それだけ。
それだけでいい。
そう思って角を曲がったとき、理央は足を止めた。
「……あれ?」
いつもの道のはずだった。
スーパーから家へ帰るとき、何度も通った道だ。
右にはクリーニング店、左には古い文房具屋。その先に小さな公園がある。
そのはずなのに。
文房具屋の隣に、見たことのない細い路地があった。
夕方の光が届きにくい、暗い路地だった。
奥のほうに、ぼんやりと黄色い明かりが見える。
木の看板が、風もないのに、ぎい、と揺れた。
そこには、かすれた字でこう書いてあった。
星屑古道具店
「こんなお店、あったっけ」
理央は思わず声に出した。
商店街は、理央が小さいころからほとんど変わっていない。新しい店ができたら、すぐにわかる。
でも、こんな店は知らない。
それなのに、路地も店も、ずっと前からそこにあったみたいに古びていた。
帰らなきゃ。
弟が待っている。
お弁当も冷める。
そう思ったのに、理央の足はなぜか路地のほうへ向いた。
一歩、二歩。
足元の石畳が、こつ、こつ、と鳴る。
店の窓には、変なものがたくさん並んでいた。
欠けた水晶玉。
錆びた銀の鍵。
羽根の形をしたしおり。
星の砂が入っているらしい小瓶。
顔のついた小さな木彫りの人形。
それから、古い宝石箱。
理央は、入口の前で立ち止まった。
扉には、丸い真鍮の取っ手がついている。
入っていいのかな。
そう思った瞬間、店の中から声がした。
「ヒッヒッヒ。入るならお入り。入らないなら、とっととお帰り」
理央はびくっと肩を揺らした。
声は、しわがれているのに、妙にはっきり聞こえた。
逃げてもよかった。
でも、逃げたら負けみたいな気がした。
何に負けるのかは、わからないけれど。
理央は、そっと扉を開けた。
ちりん、と小さな鈴が鳴った。
店の中は、外から見るより広かった。
天井からは、星の形をしたランプがいくつも下がっている。棚には、古い本や、木箱や、使い道のわからない道具がぎっしり詰まっていた。
ほこりっぽいのに、どこか甘い匂いがする。
砂糖菓子と、古い紙と、雨上がりの土を混ぜたような匂い。
カウンターの奥に、小さなおばあさんが座っていた。
黒い布を頭からかぶり、丸い眼鏡をかけている。しわしわの手には、細い銀の指輪がいくつもはまっていた。
おばあさんは、理央を見るなり、にやりと笑った。
「ヒッヒッヒ。価値なしオパールで、がっかりだねぇ」
理央は目を丸くした。
「なっ」
「Fランク。濁りあり。輝き弱し。おまけに補助護符なし。鑑定士どもは、そんなふうに言ったんだろう?」
「……見てたの?」
「見なくてもわかるさ」
おばあさんは、カウンターの上に置かれた小さな水晶玉を指でつついた。
水晶玉の中で、白い煙がくるりと回る。
「顔に書いてある」
理央はむっとした。
「別に、がっかりなんか」
「しておるさ」
「してない」
「しておる」
「してないってば」
「ヒッヒッヒ。子どもはすぐ顔に出るねぇ」
理央は唇を引き結んだ。
嫌な感じのおばあさんだ。
そう思ったのに、なぜか店を出ようとは思わなかった。
おばあさんの目は、からかっているようで、でも本当に馬鹿にしているわけではないようにも見えた。
「見せてごらん」
「え?」
「そのオパールさ」
理央は迷った。
でも、布袋を握ったまま立っているのも変だったので、そっと袋から石を出した。
濁った白いオパール。
店の黄色い光の下でも、やっぱりあまり輝かない。
おばあさんは、理央の手のひらの石をのぞきこんだ。
「ほう」
「……何」
「いや、なかなか」
「Fランクだよ」
「鑑定士の目なんぞ、あてになるときもあれば、ならんときもある」
おばあさんは、しわしわの指でオパールをちょんとつついた。
理央は思わず手を引っ込めそうになった。
「オパールはねぇ、プレイ・オブ・カラーというのさ」
「ぷれい……?」
「遊色効果」
おばあさんは、カウンターの下から小さな古い本を取り出した。
ページを開くと、そこにはいくつものオパールの絵が描かれている。赤、青、緑、金、紫。石の中に虹が閉じこめられているようだった。
「石の中に、虹が眠っている。見る角度、光の当たり方、持つ者の心。そういうもので、いくらでも色を変える」
「でも、私のは濁ってる」
「今はね」
「Fランクだし」
「今はね」
おばあさんは、にやりと笑った。
「輝くのも、輝かぬのも……おまえさんしだいさ」
理央は眉を寄せた。
「それって、私のせいってこと?」
「そう聞こえたかい?」
「だって、私しだいって」
「責めているんじゃないよ」
おばあさんの声が、少しだけ低くなった。
「石を光らせようと無理にこすっても、だめなものはだめさ」
「じゃあ、どうするの」
「先に見るんだよ」
「見る?」
「その石の中に、何色が眠っているのかをねぇ」
理央は、手のひらのオパールを見た。
白く濁っている。
何色が眠っているのかなんて、わからない。
「……意味わかんない」
「今はそれでいい」
おばあさんは、ヒッヒッヒと笑った。
「意味がわかるころには、もう少し光っているだろうさ」
「ほんとに?」
「さあねぇ」
「さあねぇって」
「未来をぜんぶ教える古道具屋なんて、つまらないだろう」
理央は、ますます眉を寄せた。
やっぱり変なおばあさんだ。
でも、さっきまで胸の奥に固まっていた重たいものが、少しだけゆるんだ気がした。
価値なし。
Fランク。
そう言われたオパールの中に、もしかしたら何かが眠っているかもしれない。
ほんの少しだけ、そう思えた。
「それ、いくら?」
理央は古い本を指さした。
「売り物じゃないよ」
「じゃあ、何か買わないと出られないとか?」
「そんな悪徳商売はしとらん」
おばあさんは鼻で笑った。
それから、棚の奥から小さな布切れを取り出した。
夜空みたいな紺色の布だった。端に、銀色の糸で小さな星が刺しゅうされている。
「ほれ」
「何これ」
「石を包む布」
「買えないよ。今、お弁当のお金しか」
「いらん」
「え」
「お代はもうもらっている」
「払ってない」
「今日のおまえさんのがっかり顔。なかなか見ものだった」
「ひどくない?」
「ヒッヒッヒ」
おばあさんは笑って、紺色の布を理央に押しつけた。
「石は、雑に扱うんじゃないよ。価値なしと言われたからって、自分までそう扱うんじゃない」
理央は、言葉につまった。
おばあさんは、もう理央を見ていなかった。
カウンターの上の水晶玉を布で拭いている。
「ほら、帰った帰った。弁当が冷めるよ」
「あっ」
理央はスーパーの袋を見た。
からあげ弁当とハンバーグ弁当は、たぶんもう少し冷めている。
「……ありがとう」
小さく言うと、おばあさんは片目だけで理央を見た。
「礼を言うのは、まだ早いねぇ」
「何それ」
「そのうち、面倒なことになる」
「えっ」
「ヒッヒッヒ」
おばあさんは、それ以上何も言わなかった。
理央はあやしい店を出た。
外に出ると、商店街のざわめきが戻ってきた。
人の声。
自転車のベル。
揚げ物の匂い。
さっきまでの路地の静けさが、うそのようだった。
理央は振り返った。
星屑古道具店は、そこにあった。
でも、看板の文字は夕闇にまぎれて、もうよく読めない。
「……変なお店」
理央はつぶやき、オパールを紺色の布で包んだ。
すると、ほんの一瞬だけ、石の奥がきらりと光った。
青とも、緑とも、金ともつかない、小さな光。
理央は息を止めた。
でも、次の瞬間には、ただの濁った白い石に戻っていた。
「……今、光った?」
答える声はなかった。
理央は首をかしげながら、家へ向かって歩き出した。
家に着くと、弟の陸がソファでゲームをしていた。
「おかえり。お腹すいた」
「ただいまが先でしょ」
「ただいま。お腹すいた」
「帰ってたのはそっちでしょ」
理央は靴を脱ぎながら言った。
陸は小学校三年生だ。理央よりずっと素直で、ずっと甘え上手だ。
「からあげ?」
「陸はからあげ。私はハンバーグ」
「やった」
陸はすぐにゲーム機を置いて、テーブルについた。
理央は台所でお弁当を温めた。
電子レンジの回る音を聞きながら、ポケットの中のオパールに触れる。
紺色の布越しに、少しだけ温かい気がした。
「ねえ、理央」
「何」
「宝石、何だった?」
「オパール」
「すごい?」
「……普通」
理央はそう答えた。
Fランク、とは言わなかった。
陸はあまり気にした様子もなく、「ふーん」と言ってテレビをつけた。
ニュースでは、今日のスターワールドジュエル鑑定の話題をやっていた。
画面には、どこかの町でSランクのダイヤモンドに選ばれた子が映っている。
アナウンサーが明るい声で言った。
『今年も各地で、将来有望なスタージュエルが確認されています』
将来有望。
理央は、温まった弁当を電子レンジから取り出した。
ハンバーグ弁当のふたが少しへこんでいる。
からあげ弁当を陸の前に置き、自分は向かいに座った。
「いただきます」
「いただきまーす」
陸はからあげをおいしそうに食べた。
理央はハンバーグを少しずつ食べた。
嫌いじゃない。
嫌いじゃないけれど。
今日は、からあげがよかったな。
そう思って、理央はまたすぐにその気持ちを飲み込んだ。
食べ終わったあと、陸は宿題を出した。
「理央、ここわかんない」
「私も算数そんな得意じゃないんだけど」
「でも、理央のほうが上じゃん」
「まあ、三年生よりはね」
理央は陸の隣に座って、宿題を見た。
引き算の筆算。
陸はすぐに飽きて、鉛筆を転がし始める。
「ちゃんとやって」
「理央だって、授業中に絵描いてるじゃん」
「何で知ってるの」
「前、ノート見えた」
理央はぎくっとした。
「見ないでよ」
「かわいかったよ。耳の大きいやつ」
理央は、思わず黙った。
耳の大きいやつ。
創作ノートのすみに描いた、白くて丸い子。
“よわいけど、そばにいてくれる子”
「……そう」
「名前ないの?」
「まだ」
「つけたら?」
「そのうち」
理央はそう言って、陸のノートを指さした。
「ほら、ここ。十の位から借りるの」
「めんどくさ」
「めんどくさくてもやる」
「理央、お母さんみたい」
「やめて」
反射的に言ってしまい、理央は自分で少し驚いた。
陸も目を丸くした。
「ごめん」
理央はすぐに言った。
「別に、怒ってない」
「うん」
陸は少しおとなしくなって、筆算を再開した。
理央は、胸の奥がもやもやするのを感じた。
お母さんみたい。
別に悪い言葉じゃない。
でも、今日はなぜか嫌だった。
お母さんが嫌いなわけじゃない。
家のことをするのが嫌なわけでもない。
でも。
でも、何だろう。
理央は、自分でもわからなかった。
陸の宿題が終わるころには、外はすっかり暗くなっていた。
お母さんからメッセージが届く。
『ごめん、少し遅くなる。お風呂お願いできる?』
理央は画面を見つめた。
しばらくして、返信を打つ。
『わかった』
送信。
それだけ。
本当は、今日の鑑定のことを話したかった。
Fランクだったこと。
猪狩くんに笑われたこと。
変な古道具屋に行ったこと。
オパールが少し光った気がしたこと。
でも、メッセージに書くには、どれも少し面倒だった。
理央はスマホを置き、立ち上がった。
「陸、お風呂入れるよ」
「はーい」
お湯をためながら、理央は洗面所の鏡を見た。
そこに映っている自分は、いつもと同じ顔だった。
少し疲れていて、少しむくれていて、でも泣いてはいない。
平気な顔。
理央はポケットから、紺色の布に包まれたオパールを取り出した。
洗面所の明かりの下で、布を開く。
やっぱり濁っている。
でも、理央にはもう、ただの価値なしには見えなかった。
星屑古道具店のおばあさんの声がよみがえる。
石を光らせようとするんじゃないよ。
先に見るんだよ。
その石の中に、何色が眠っているのかをねぇ。
「何色が眠ってるの」
理央は小さく聞いた。
そのとき。
オパールの奥で、何かがころんと動いた気がした。
理央は目を見開いた。
「……え?」
石の中から、ほんの小さな声がした。
「みゅ……」
理央は、息を止めた。
お風呂の給湯音が、遠くで鳴っている。
洗面所の明かりの下で、オパールが、今度ははっきりと光った。




