振り返れば
会議室を出る前に、結人はもう一度、天井を見上げた。
宇宙が、そこにあった。
どこまでも続く暗闇の中に、光の点が散らばっている。銀河があって、星があって、その中のどこかに、地球がある。
あの電車が走っている。
あの公園がある。
今日も誰かが、荷物を拾っているかもしれない。今日も誰かが、覚えていなくても笑っているかもしれない。それが、宇宙の中の、小さな一点の、さらに小さな出来事として、続いている。
何百年後かに、誰かがここでこの会議の記録を読んでいるかもしれない。三百七十八回目の会議で、天城結人という人間代表が何かを言った。その言葉が、全会一致を生んだ。そういう記録が、残っている。
自分がいなくなっても、言葉は残る。
祖母がいなくなっても、笑顔は残る。
荷物を拾った人たちが、その出来事を忘れても、その行動は起きた、という事実は残る。
「続いてる」
ひとりごとを言った。
誰も聞いていない。
でも、天井の向こうの星が、何かを知っているような気がした。
帰還後、結人の部屋には、牛乳が一本と、プリンが一個置いてあった。
「今日は揃ってる」
受け取って、牛乳を冷蔵庫に入れた。プリンはテーブルに置いた。
ソファに座って、今日のことを頭の中で反芻した。
全会一致。
初めての全会一致。
三百七十七回、誰かが保留にしてきた。でも全員が一致したことはなかった。どこかに留保があって、どこかに迷いがあって、それでも毎回世界は続いてきた。
今日は一致した。
全員が、同じ方向を向いた。
その中に、自分がいた。普通の会社員が、宇宙の会議室で、時間の神と天使と悪魔とAIと、同じ方向を向いた。
「なんか、変な話だな」
笑いながら言った。
本当に変な話だ。毎週月曜日が嫌いで、コンビニのスイーツが好きで、電車を乗り越すような人間が、宇宙の歴史に残る全会一致に関わった。
でも、そういうものかもしれない。
大事な場面に立ち会う人間が、特別な人間とは限らない。そこにいた、というだけで、何かに関わることがある。
プリンを食べた。
甘かった。スプーンを入れると、なめらかに沈んだ。プリンというのは、毎回同じように食べているのに、なぜか毎回うまい。それが少し不思議で、少し好きだった。
プリンを食べながら、今日のことを考えた。
ベルフェゴールが言った。「一生に一度しか言わない」と。
千年以上の「一生」の中で、一度だけ言った言葉。それを今日、この部屋にいる普通の会社員が聞いた。それも変な話だ。でも、変な話が起きた。
アトラスが「どういたしまして」と言った。感情のない声で。でも何か違った。
ラファエルの目が光っていた。涙が出そうで、出なかった。
クロノスが「嬉しかった」と言った。時間の神が、嬉しかったと言った。
全部、今日の出来事だ。
窓の外で、夜の街が光っていた。
どこかで誰かが、今日も生きている。
今日の会議の結果を知らずに、明日の朝を迎えようとしている。月曜日が嫌いなまま、好きなスイーツを楽しみに、誰かの声を聞きたいと思いながら、眠ろうとしている。
そういう人たちが、宇宙のどこかでの全会一致の理由になっている。
電車で荷物を拾っただけで。
覚えていなくても笑っただけで。
「人間って、捨てたものじゃないな」
ひとりごとを言った。
何度目かわからない。でも今日は、その言葉の重さが少し違った。
言葉というのは、どこかで何かをしている。
気づかなくても、届いている。
プリンを食べ終えて、スプーンをテーブルに置いた。
外の光が、窓に映った。街の明かりが、静かに光っていた。
「また次の会議で、か」
ひとりごとを言った。
次の会議が来るまで、また日常を過ごす。電車に乗って、周りを見る。公園に行って、鳩に独り言を言う。誰かに電話する。その日常の中で見るものが、また会議に届く。
それが続いていく。
大事な準備をしているわけじゃない。ただ、日常を、ちゃんと見る。
それだけでいい気がした。
翌朝、いつも通りの月曜日が来た。
アラームが七時に鳴った。スマートフォンを止めて、布団の中でしばらくいた。月曜日の朝は、どうしてもここが長くなる。
でも、起きた。
洗面台で顔を洗いながら、鏡の中の自分を見た。
普通の会社員がいた。
昨日宇宙の会議室で全会一致に立ち会った、その同じ顔が、普通の月曜日の朝に鏡の中にいた。
「変な話だな」
鏡に向かって言った。
出かける前に、コーヒーを飲んだ。窓の外を見ながら。
街がいつも通りに動き始めていた。犬の散歩をしている人がいた。早い時間に出勤している人が歩いていた。コンビニに入っていく人がいた。
みんな、それぞれの月曜日を始めていた。
誰も、宇宙のどこかで会議があったことを知らない。
でも、世界は続いている。
会議が続いているから、世界は続いている。
「そういうことか」
ひとりごとを言った。
コーヒーを飲み干して、鞄を持った。
今日も電車に乗る。周りを見る。
それだけでいい。
第7章終わりです!なんかめっちゃ終わりそうですが次で最終章です!




