表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/40

時の神とただの社会人

「少し、残れますか」


 クロノスが言った。いつもの流れだった。

「はい」


 円卓に、クロノスと結人だけが残った。

 退席した三人の気配が消えて、会議室が広くなった気がした。宇宙だけがある。地球の映像は消えていて、本物の宇宙だけがある。星がある。遠い銀河がある。光の届くところに、何かがある。

 どこかで今も星が生まれているかもしれない。どこかで今も星が死んでいるかもしれない。宇宙のスケールでは、それが同時に起きている。人間の時間とは、全然違う時間が流れている。


「今日は、特別な日でした」とクロノスは言った。

「全会一致のことですか」

「そうです。三百七十七回、一致したことがなかった。正確には、全員が同じ理由で一致したことがなかった。それぞれが違う理由で同じ方向を向いた今日も、同じではないかもしれない。でも、方向としては一致した。そういう意味での全会一致です」

「それぞれが違う理由、というのは」

「ラファエルは、祖母の話に新しいものを見つけた。アトラスは処理が遅くなった。ベルフェゴールは、お前の言葉が何かを引き出した。私は、議長として言えないことを代わりに言ってもらった。四人が、それぞれ別のことを経験して、同じ方向に向かった」

「それって、すごいことですね」

「そうです。一致するためには、一つの理由が全員を動かすより、それぞれが別の理由で動く方が難しい。それが今日起きた」

「なぜ今日起きたんでしょう」

「あなたがいたから、だと思います」とクロノスは言った。

「俺が特別なわけじゃないですが」

「特別な人間が来る必要はありません。普通の人間が、普通のことを話せばいい。普通のことを話す人間が来たことが、よかったのかもしれない」

「それはどういうことですか」

「特別な論理で説得しようとする人間は、この場では空回りすることが多かった。専門家として来た人間も、哲学者として来た人間も、政治家として来た人間も、それぞれに優秀でしたが、この場で届く言葉を持っていなかった」

「なぜですか」

「この場にいる存在たちは、人間を数千年見てきています。専門的な知識は、すでに知っている。新しい論理も、たいていは過去に聞いたことがある。でも、普通の一人の人間が、自分の目で見たものを話す言葉は、違う。三十七億人のデータよりも、一人の個人の記憶が、時に届くことがある」

「祖母の笑顔の話が、それだったんでしょうか」

「そうだと思います」とクロノスは言った。


「あの話は、誰も予測していなかった。ベルフェゴールも、ラファエルも、アトラスも。私も、です。予測していなかったものが届いた。それが、一致を生んだ」


 結人は少し、それを考えた。

 予測していなかったものが届く。

 それはたぶん、会議室の外でも同じことだ。予測していなかった言葉が、誰かに届くことがある。計算していない行動が、誰かを動かすことがある。

 荷物を拾った人たちも、計算していなかった。


「クロノスさんは」と結人は言った。

「今日の全会一致を、どう思いましたか」


 クロノスは少し間を置いた。


「……嬉しかったです」


 珍しい言葉だった。クロノスが嬉しかった、と言うのは。感情を表に出すことが、この人には少ない。議長だから、というのもあるだろう。でも今日は、言った。


「時間の神が、嬉しいと感じるんですか」

「感じます。たまに」とクロノスは言った。


「時間が見えすぎると、感情が薄くなることがある。何が起きても、いつかは変わると知っているから、強く感じにくくなる。嬉しいことが起きても、これもいつか変わると知っている。それが感情を薄くする」

「それは、つらくないですか」

「つらい、という感情も薄くなるので」とクロノスは言った。少し苦い口調で。

「なるほど」

「でも今日は、嬉しかった。今日この瞬間の全会一致が、嬉しかった。それがいつか変わるとしても、今日は嬉しい。それを感じられたことが、嬉しかった」

「嬉しいことが嬉しかった、ということですね」

「そうなりますね」とクロノスは少し笑った。


「会議室でそういうことを言うのは、議長として適切かどうかわかりませんが、今日は言ってもいい気がして」

「俺には言ってもらえるんですか」

「あなたは人間代表ですから。人間的な感情を持って聞いてもらえる」

「それは俺にも、少しわかります。知りすぎると、感じにくくなること」

「何がわかりますか」

「会社でも、業務に慣れるほど、最初に感じた喜びや驚きが薄くなっていく。初めて自分のプレゼンが通ったとき、本当に嬉しかった。今は、通っても当たり前のように感じてしまう。それが悪いことだとは思わないけど、あの最初の嬉しさは戻ってこない」

「似ていますね」とクロノスは言った。

「時間の神も、社会人も、慣れることがある」

「慣れないようにするには、どうすればいいんですかね」

「私が聞きたいくらいです」とクロノスは言った。

 ふたりで、少し笑った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ