採決:ラファエルの意見
「採決を行います」とクロノスが言った。
声のトーンが、少し変わった。
議長モードに入ったときのクロノスの声は、普段よりわずかに低くなる。会議を進行するための声だ。いつもと同じ言葉で、いつもと同じ場所で発しているのに、その瞬間だけ少し重さが加わる。結人はいつの頃からか、その変化に気づくようになっていた。
最初の会議のときは気づかなかった。声のトーンを聞き分けるほど、余裕がなかった。何が起きているか理解するだけで精一杯だった。でも今日は、気づく。それだけ、ここに慣れてきたということかもしれない。
「人類存続の継続審議か、滅亡プロセスの開始か。各委員の意見を聞きます」
円卓の中央に、映像が浮かんだ。
地球だった。
青い惑星が、宇宙の暗闇の中に浮かんでいる。白い雲が流れていた。大陸の輪郭が見えた。海が光を反射していた。採決の場面でいつも地球の映像が出るのか、今日だけなのか、結人にはわからない。でも、出てきた。
遠くから見ると、本当にきれいだ。
きれいだ、というのは感情的な評価で、審議の場には向かないかもしれない。でも、結人はそう思った。あれが今まさに議論の対象になっているものだ、という実感が、映像を見るたびに来る。
あの中に、電車があって、公園があって、荷物を拾った人たちがいる。笑顔で迎えてくれた祖母がいた。中田がいる。木村がいる。月曜日が嫌いな人間が、何億人もいる。今も誰かが昼休みにサンドイッチを食べている。今も誰かが鳩に向かって独り言を言っている。
結人はその映像を見ながら、自分が今どういう場所に立っているかを、もう一度確かめた。
宇宙の会議室に、一人の人間として座っている。この場所で何かを言える立場にいる。それが、どれほど奇妙で、どれほど光栄なことか。
最初は召喚されるたびに戸惑っていた。なぜ自分なのか、何を言えばいいのか、ここにいる意味があるのか。
でも今は、少し違う。戸惑いはある。でも、ここにいることが、何かの役に立っているかもしれない、という感覚が少しある。
「ラファエル」とクロノスが呼んだ。
「審議継続」とラファエルが言った。
迷いがなかった。一秒も置かずに言った。毎回そうだ。この一言を言うためにここにいる、という確信のある声だった。千年以上見てきた人間への愛着が、その一言に込められている気がした。
「以上ですか」とクロノスが確認した。
「以上ですが、一言だけ」とラファエルは続けた。
翼が少し広がった。言いたいことがある、というときにラファエルの翼は動く。結人はそれも、いつの頃か気づくようになっていた。
「今日の天城さんの話を聞いて、改めて思いました。人間は、何千年見ていても、新しいものを見せてくれます。祖母の笑顔の話は、私のこれまでの記憶の中にない種類のものでした」
「ない種類、というのは」
「知っていたはずなのに、知らなかった種類のものです」とラファエルは言った。「認知症になっても残るものがあるということは、知っていました。でも、それが一人の孫にとってどういう意味を持つか、そこは知らなかった。あなたが話してくれて、初めてわかりました」
「……ありがとうございます」と結人は言った。
「こちらこそ」とラファエルは言った。
「そういうことが、人間にはまだたくさんあると思います。何千年見ていても、まだ知らないことがある。それが、私が人間を見続ける理由の一つです」
ラファエルは微かに頷いた。翼が、今度は静かに折り畳まれた。




