議題:結人の意見(前編)
次の会議が来た日、結人は夕方に召喚された。
仕事が終わって、ビルを出たところだった。
秋の夕方の空が、オレンジ色に染まっていた。ビル街では、建物の隙間から空が見える。その隙間の形に切り取られたオレンジ色が、きれいだった。空全体を見ることはできないが、切り取られた形だからこそ、目に入る。
その色を見ながら歩いていた次の瞬間に、会議室にいた。
椅子に座っていた。いつもの円卓のそばに。
「今日はちゃんとした時間に呼ばれた」
「改善できました」とクロノスが言った。
少し、得意そうに。その表情が、時間の神にしては可愛らしかった。何百年も会議を仕切ってきた人物が、召喚の精度が上がったことに少し誇らしそうにしている。
「精度が上がったんですか」
「上がりました。夕方の召喚は安定しやすいことがわかりまして。日光の角度と、対象の意識状態の関係で」
「何が関係しているんですか」
「人間は夕方、少し気が緩む。午後の業務を終えて、意識の境界が少し柔らかくなる。そういう状態のほうが、召喚がスムーズに進むようです」
「つまり、俺が仕事終わりで少し解放された瞬間に引っ張ってくると、スムーズ、ということですか」
「概ねそういうことです」
「それはわかりやすい」
「全体的な改善まではまだ時間がかかりますが、少なくとも今日は」
「今日だけでも嬉しいです。朝シャワー中に召喚されなかっただけで、かなり助かります」
ベルフェゴールが「しょうもない会話だ」と言った。
でも、口元が少し緩んでいた。この人が完全に無表情のときと、少し緩んでいるときの違いが、最近少しわかってきた気がした。
「では始めましょう」とクロノスが言った。
「今日は、各委員と人間代表に、最終意見を聞きます」
「最終」と結人は聞き返した。
最終、という言葉が少し重かった。
「今回の審議についての意見集約、ということです。審議そのものは次回以降も続きますが、今回の会議での意見をそれぞれに聞きたい」
「わかりました」
「まず、アトラスから」
アトラスは静止から動き始めた。いつものように、データを参照しているような、少し遠い目をして。体の輪郭が、わずかに光った。
「私は、データに基づく判断を行います。現時点での滅亡確率は九十五パーセントです。合理的判断としては、コスト対効果の観点から、存続維持のリソース投入は非効率とも言えます。ただし、過去の人類評価において、合理的な判断が常に正しかったわけではありません。五パーセントの可能性を無視することは、データ的にも適切ではない。以上を踏まえ、私は判断を委員会に委ねます」
「委員会に委ねる、というのはアトラスさんらしい答えですね」と結人は言った。
「判断に必要な変数が多すぎます。私の処理では収束しませんでした」
「収束しなかった、というのは」
「通常、データが揃えば判断は一方向に収束します。しかし今回は、収束しませんでした。九十五パーセントの側に収束する根拠と、五パーセントの側に収束する根拠が、どちらも存在します。そのどちらを選ぶかは、データの問題ではなく、価値観の問題です。私にはその判断ができません」
「価値観の問題と言ったんですか」と結人は少し驚いて言った。
「はい」
「アトラスが、価値観という言葉を使うとは思わなかったです」
「このケースで最適な言葉を選んだ結果です」とアトラスは言った。
でも、その言葉を選ぶこと自体が、何かを示している気がした。価値観という言葉を「最適な言葉として選ぶ」ためには、価値観というものの輪郭を理解していなければならない。
「次、ベルフェゴール」
ベルフェゴールは腕を組んだ。
ゆっくりと、一拍置いてから、「人間は愚かだ」と言った。
「それは知っています」とクロノスが言った。
静かに、でも確かに。毎回聞いているような口ぶりだったが、聞き流しているわけでもなかった。
「言わせろ」とベルフェゴールは言った。
語気が強いわけじゃない。でも、言うと決めている声だった。
「人間は愚かだ。千年以上見てきて、根本的に変わっていない部分がある。同じ過ちを繰り返す。学ばない。忘れる。怒り、傷つけ合い、そしてまた始める。その繰り返しだ。歴史を振り返れば、何度同じことをしたか、数え切れない」
「はい」
「それが」とベルフェゴールは続けた。
今度は少し間があった。長い間だった。
「まあ——なんとも言えず、見ていたい気持ちにさせる」
会議室が少し静かになった。
ベルフェゴールがそういうことを言うのは、珍しかった。珍しいというより、普段は言わない。言わないけれど、思っていることが滲み出てしまっている、という感じが今まであったが、今日は自分から言った。腕を組んだまま、少し視線を落として、でも確かに言った。
「面白い、という言葉が適切かどうかわからないが」と続けた。
「予測通りにいかない。そこが、結局のところ、この会議が続いてきた理由の一つだと思う。予測できていたら、もう終わっていた。計算通りなら、議論の余地はない。でも計算通りにいかないから、見続けてしまう。見続けているうちに、また何か変わる。また見たくなる。その繰り返しだ」
「審議継続を支持する、ということですか」
「今回は、そういうことだ。滅亡プロセスの開始には同意しない」と言って、ベルフェゴールは少し視線を逸らした。
「以上だ」




