議題:結人の意見(プロローグ)4
ある日の夜、結人は一本の電話をした。
大学時代の友人に。
中田という男で、同じゼミにいた。今は別の会社で働いていて、連絡は年に数回あるかないかだ。特別な用事があるわけでもなかった。ただ、声を聞いたほうがいいと思った。なんとなく、そう思った。
電話する前に、少し迷った。
用事がないのに電話するのは、相手の時間を奪うことになる。そういう考えが昔からあった。メッセージなら非同期で読めるが、電話はリアルタイムで相手を拘束する。だから用事がないときは電話しない、が自分のルールだった。
でも、今夜は電話したかった。声を聞きたかった。それだけだった。
「久しぶり。元気?」
「まあ元気。お前は? こんな時間に何?」と中田は言った。
少し驚いたような声だったが、悪い驚き方じゃなかった。
「俺も。なんか急に電話したくなって」
「どうしたんだよ、気持ち悪い」と中田は笑った。
からかう感じの言い方で、心配しているわけじゃなかった。
「お前から電話してくることって、ほぼないじゃん。誕生日でも正月でもないし。こっちから連絡しても、既読ついてから返事まで数時間かかることもあるのに」
「ごめん、それは」
「気にしてないよ、別に。ただ、珍しいなと思って」
「俺も変だと思ってる」
「……大丈夫か、マジで」と声のトーンが少し変わった。
笑いから、心配の方向に傾いた。
「大丈夫。本当に。ただ、話したかっただけ」
「そっか」と中田は少し落ち着いた声で言った。
「まあいいか。久しぶりだし、どうせ今日は特に予定もないし。仕事どう?」
「まあまあ。いろいろある」
「お前いつもそれだよな」と中田は笑った。
「まあまあ、いろいろある。三年前から変わってないぞ、その回答。四年前もそう言ってた気がする。卒業してからずっとそれ」
「そう?」
「そう。心配するじゃないか、もうちょっと具体的に言えよ。まあまあって何がまあまあなんだよ」
「ん……」
結人は少し考えた。
うまく言えないのは、本当にうまく言えないからだ。会議室のことは言えない。でも、言えることもある。
「最近、少し考えることが増えた」と結人は言った。
「人間って、いいなあって」
「……お前、宗教にハマったか?」
「違う」
「あるいはヤバい壺でも買わされたか」
「違う。ちょっと、いろいろあって」
「いろいろある、また使った」
「ごめん。うまく言えないんだけど」と結人は続けた。「最近、周りの人を見るようになった気がして。今まで見てなかったわけじゃないけど、ちゃんと見るようになった、というか。電車で隣に乗ってる人とか、公園で座ってる人とか、なんか、それぞれに生活があるんだなって実感するようになって」
「それはいいことじゃないの」
「そうかもしれない」
「彼女でもできたか?」
「そんなんじゃない」
「確認しとかないと」と中田は言った。
「人間がいいなあ、ってさ、普段のお前が言わないセリフだぞ。大抵もうちょっと冷静な言い方するじゃないか。人間は面白い、とか、人間を観察するのが好き、とか。いいなあ、は出てこない」
「そうかな」
「そうだよ。で、うまく言えないけど、ちょっと聞いていいか」
「何?」
「お前、最近なんか悩んでたり、辛かったりした?」と中田は言った。「笑ってる感じだし大丈夫そうだけど、なんか聞きたくなって」
「辛くはないよ」と結人は言った。
「ただ……なんていうか、いろいろ考えることが増えた、のは本当で。人間って何なんだろうとか、世界って何なんだろうとか。普段あんまりそういうこと考えないのに」
「急にでかい話になったな」
「そうだな」と結人は笑った。
「すごくでかい話になったな、言いながら」
「まあ、そういう時期があってもいいんじゃないの」と中田は言った。
「三十歳くらいになると、なんか一回そういう感じになるって聞くし。俺も去年ちょっとそういう時期あったよ」
「そうなの」
「うん。別にどうってことないけど、なんか、自分って何なんだろう、みたいな。仕事も普通にやってるし、友達もいるし、特に不満もないのに、なんかこう、虚しいっていうか」
「今はどう?」
「今は普通。なんか、慣れたというか、それが普通になったというか。考えることをやめたわけじゃないけど、毎日考えてると疲れるから、考えたい日だけ考えるようにした」
「それ、うまいな」と結人は言った。
「でも、お前の場合は少し違う気がする」と中田は言った。
「虚しいって感じじゃなくて、なんか……目が開いた、みたいな。声がそういう感じする」
「目が開いた」
「うまく言えてるかわかんないけど」と中田は言った。
「なんか、丸くなった。声が。お前いつもちょっと尖ってるんだよ。現実主義っぽいというか、シニカルというか。言い方悪いかもしれないけど、物事に少し距離を置いて見てるみたいな感じがあって。それが少し減った気がする」
「俺、そんなキャラだったか」
「そうだよ。悪い意味じゃないけど。人間を分析するのが好きで、自分はそこから半歩引いてる感じがあった。それが今日は違う。距離が縮まってる気がする」
「距離が縮まった」と結人は繰り返した。
それは正しい表現だと思った。会議室に来るようになって、人間のことを真剣に考えるようになって、その過程で、人間への距離が縮まった。批評する視点から、参加する視点に、少し変わった。
「うまく言えてるかわかんないけど」と中田は言った。
「今日電話してきたのも、らしくない。でも」
「でも?」
「悪くない」と中田は言った。
「なんか、元気そうで安心した。お前が元気なのはよかった。また飲もうな。今度は直接。もうちょっと具体的な話を聞きたい。いろいろあった、じゃなくて」
「できる限り」
「できる限り、か。まあ、お前らしい答えだ」と中田は笑った。
電話を切って、結人は少し笑った。
友人に、会議のことを話せたら面白いだろうな、と思った。でも話しても信じてもらえないだろうし、信じてもらえたとしても、説明が難しすぎる。宇宙に会議室があって、時間の神と天使と悪魔とAIに召喚されて、人類の存続について発言しています。これを真面目な顔で言ったら、心療内科を勧められるかもしれない。
すみません、自分の書きたいようにかいて少し長くなってしまいました。




