議題:結人の意見(プロローグ) 2
みんな、それぞれの方法で月曜日と戦っている。
眠そうな顔で吊り革を持つ中年の男性がいた。目を閉じていたが、完全に眠っているわけじゃない。瞼が時々わずかに動いた。揺れに合わせて体が揺れるたびに、微かに顔の筋肉が反応していた。眠っているなら体が緩む。でもこの人の体は、力を抜きながらも、どこかで緊張を保っていた。電車を乗り過ごさないように、次の駅を意識し続けているのかもしれない。あるいは、今日やらなければならないことが頭の中でぐるぐるしているのかもしれない。
仕事の資料を必死に確認している若い女性がいた。薄いファイルを両手でしっかり持って、ページをめくるたびに表情が変わった。眉が少し上がる、顎が引く、目が止まる。何かを覚えようとしているのか、確認しているのか。口が微かに動いているときがあった。自分に言い聞かせているのかもしれない。今日のプレゼンに向けて、体に入れようとしているのかもしれない。その集中した横顔には、何かに向かっている人間の緊張があった。
ヘッドフォンをして目を閉じている大学生らしい男は、少しだけリズムに乗って体が揺れていた。音楽に浸っている人の、あのわずかな揺れ方だ。全身を動かすわけじゃない。ただ重心が、音楽のリズムに合わせて、ゆっくり傾く。好きな音楽を聴いているときの体というのは、本人が気づかないところで正直だ。
子供を膝に乗せて本を読んでいる父親がいた。三歳か四歳くらいの子供で、膝の上でもぞもぞしていた。それでも父親は本を手放さずに、子供が大きく動くたびに本から目を離して、子供の顔を確認してから、また本に戻った。確認する、という動作が、一秒も経たずに終わる。見て、大丈夫だと判断して、本に戻る。それをもう何千回もやってきた人間の動き方だった。子供のことを考えながら本を読んでいるのか、本を読みながら子供を感じているのか。どちらでもあり、どちらでもない。父親でありながら、一人の人間でもある、その両方が同時にある。
それだけだ。特別なことは何もない。
でも、一人ひとりに生活がある。
それぞれの月曜日がある。それぞれの疲れがあって、それぞれの楽しみがあって、それぞれの誰かを思っている。
中年の男性は、今夜どこかに帰る。帰る場所がある。ドアを開けて、ただいまと言える場所が、どこかにある。そこに向かって、今日も働きに行く。
若い女性は、今日のプレゼンを乗り越えたら、好きなものを食べに行くかもしれない。それを楽しみに、今この瞬間を耐えている。耐えている、というより、積み上げている。今日のこの頑張りが、夜の何かにつながっている。
大学生は、好きな音楽を聴きながら、今日一日を乗り越えようとしている。音楽というのは、自分だけの空間を作れるものだ。混んでいる電車の中にいながら、どこか別の場所にいられる。誰にも邪魔されない、自分だけの十五分を、毎日持っている。
父親は、膝の子供を、世界で一番大切なものとして抱えている。本を読みながら、でも意識の半分は常に子供に向いている。子供が急に動いても、すぐに反応できる姿勢を、ずっと保っている。それが疲れないのかどうか、結人にはわからない。でもたぶん、疲れるとか疲れないとか、そういう感覚の外側にある何かで、やっているのだと思う。
誰も、宇宙のどこかで自分たちの存続が会議にかけられていることを知らない。
知らずに、月曜日を過ごしている。
それが、なんとなく愛おしかった。
愛おしい、という感情が自分の中に存在することに、結人は少し驚いた。現実主義で、シニカルで、物事を感傷的に見ることが少ない、それが自分のキャラクターだと思っていた。他人の話を聞くのは好きだが、感傷に流されることは少なかった。感動した、と思っても、その感動を言語化する前に蒸発してしまう、そういう人間だった。
それが変わってきた。
会議室での時間が、何かを変えた。変えた、というより、開けた、という感じかもしれない。元々あったものが、表に出てきた。元々あったのに、どこかに押し込んでいたものが、戻ってきた。
会議室でベルフェゴールやラファエルやアトラスと話すようになって、人間の善悪を正面から考えるようになった。悪いところを言語化することで、逆に良いところも見えてきた。暗い部屋に光を当てると、影と一緒に光るものも見える。そういうことかもしれない。




