議題:恋愛(中編)
「恋愛ですか」と結人は言った。
「はい」
「それは……」と少し考えた。「人類の存続に、どう関係してくるんですか」
「直接的にも、間接的にも、関係します」とアトラスが言った。
「直接的には、繁殖行動の観点から。間接的には、人間の精神的充足と社会的紐帯の形成という観点から。さらに言えば、恋愛という行動原理は、人間の文化・芸術・宗教・経済にまで影響を及ぼしており、文明の形成そのものと不可分です」
「繁殖行動という言い方は、少し」と結人は言った。
「正確な表現です」
「正確なのはわかるんですが、なんか」
「気になりますか」
「少し。なんか、すごく機械的に聞こえるというか。恋愛っていう話をするのに、繁殖行動って言われると、気持ちが入りにくいというか」
「すみません。人間的な配慮が不足していました」とアトラスは言った。
「改めます。恋愛とは——好きな人ができること、ですね」
「そっちの方がずっといいです」
「そうですか。覚えておきます」
アトラスが映像を出した。
「恋愛の定義から始めましょう。恋愛とは、特定の個体に対して発生する強い感情的・生理的な愛着の一形態です。人間においては——」
「定義から入るのはいいんですが」と結人は遮った。
「まず聞きたいのは、この場にいる皆さんは、恋愛をしたことがあるかどうかです。経験者と未経験者で、話の角度が変わると思うので」
四人が結人を見た。
「唐突な質問ですね」とラファエルが言った。
「恋愛を議論するなら、経験者の視点と経験のない視点を分けて考えたい。データで語るのと、当事者として語るのは、たぶん違うと思うので」
「なるほど」
「クロノスさんは」
クロノスは少し間を置いた。視線が、少し遠くなった。
「時間の神というのは、少し特殊な立場でして。恋愛に相当するものを、何度か経験したことがあります。ただ、時間の概念が異なるので、人間の恋愛と同じかどうかは難しい」
「どう違うんですか」
「人間の恋愛は、ある時点で始まって、別の時点で終わるか変化するかします。記憶の中に、過去として蓄積されていく。しかし私の場合、時間が直線ではないので、始まりと終わりが同時に存在することがある。会った瞬間に別れを知っていて、別れた後も会う前を知っている。それが人間の言う恋愛と同じかどうか、判断が難しい」
「……それはなかなか、複雑そうですね」
「慣れると、別の見方もできます。全てを知っていながら、それでも大切に思うということの、一形態かもしれない」
結人は少し考えた。始まりと終わりを同時に知っていながら、それでも大切に思う。それは悲しいことのように聞こえるが、クロノスの声のトーンには悲しさがなかった。むしろ、どこか穏やかだった。
「ラファエルさんは」
「あります」とラファエルは言った。少し、柔らかい笑いが出た。翼が微かに動いた。
「人間を長い間見ていると、自然とそういう感情が生まれることがあります」
「人間に恋をしたということですか」
「恋、という言葉が正確かどうかわかりませんが。誰かのことを思い続けること、誰かが幸せでいてほしいと強く思うこと、その人の声が遠くなっていくのを見ながら、何もできないことが辛かったこと——そういう感情は、私にもあります」
「遠くなっていく、というのは」
「人間は、死にますから」とラファエルは静かに言った。
「私が覚えていても、相手は覚えていられない。でも、見ていることはできる。それが、私のやり方です」
「ベルフェゴールさんは」
「ない」とベルフェゴールは即答した。
「即答でしたね」
「ないものはない」
「一ミリも?」
「一ミリもない。人間に興味はあるが、恋愛とは別物だ」
「どう別物なんですか」
「昆虫学者が虫を愛でるのと、虫に恋をするのが違うように別物だ」
「……その例えは若干失礼な気がしますが」
「事実の観察だ」
「まあ、わかりました」と結人は言った。
「アトラスさんは」
「恋愛に相当する感情のアルゴリズムは持っていません」とアトラスが言った。
「ただ、恋愛を経験した人間のデータを大量に保有しているため、ある意味では最も恋愛に詳しい存在かもしれません。三十七億人分の恋愛データを参照できます」
「三十七億」と結人は繰り返した。
「はい。個人が一生で経験できる恋愛の数と比較すると、圧倒的に多い」
「そのデータで、何かわかったことはありますか」
アトラスは少し止まった。
「わかったこと、という評価は難しいですが、観察として言えることはあります」
「教えてもらえますか」
「最も多かった恋愛の終わり方は、どちらかが本音を言わなかった、というものです。好きだと言えなかった。嫌だと言えなかった。辛かったと言えなかった。言えなかったことが積み重なって、終わりになった恋愛が、データ上最も多い」
「俺も、そうだったかもしれない」
と結人は、少し間を置いてから言った。
「俺は」と続けた。
「したことがあります。今はしていませんが」
「なぜ今はしていないんですか」とアトラスが聞いた。
「……聞きますか、そこ」
「議題の参考にするために」
「うーん」と結人は頭の後ろを少し掻いた。
「端的に言うと、うまくいかなかった、ということです。お互いの気持ちの方向性が、だんだんずれていって、気がついたら一緒にいることが自然じゃなくなった。彼女も俺も、悪い人間じゃないと思うんですが、合わなかった」
「なぜ合わなかったのでしょう」
「一番の理由は……たぶん、お互いに本音を言わなかったことだと思います。言えなかった、という方が正確かも」
「言えなかった理由は」
「嫌われたくなかったから。がっかりさせたくなかったから。それと、言葉にすることで、何かが固まってしまうのが怖かった。あやふやなままにしておくほうが、楽な気がしていた。はっきりさせたら、そこで終わるかもしれない。だったら曖昧なまま続けたい、みたいな気持ちが、どこかにあった気がします」
「あやふやなままの方が楽、というのは興味深い観察です」とアトラスが言った。
「人間らしいと思いませんか」とラファエルが言った。
「データとして、その傾向は確認されています」とアトラスが答えた。「曖昧さを好む傾向と、明確さを求める傾向が、同じ個体に共存している。矛盾していますが、どちらも本物の感情です」
「矛盾ですね」とラファエルが言った。
でも批判的な言い方ではなかった。むしろ、愛おしそうに言った。




