金色の幼馴染
翌朝、僕はいつも通り、屋敷から少し離れた古い道場へ向かった。師のシャナのもとで剣を習うのは、僕にとって数少ない、器の色に関係なく評価される時間だった。
「遅いぞ、ロナン」
道場の前で待っていたフェリクが、木剣を放り投げて寄越した。危なげなくそれを受け取りながら、僕は苦笑する。
「まだ鐘が鳴って間もないだろう」
「俺が早いだけだ」
そう言って笑うフェリクは、昨日の器見の儀のことなど、まるで気にしていないようだった。彼にとっては、既に決まっていた結果を再確認しただけのことなのだろう。
道場の扉が開き、シャナが姿を見せた。白髪交じりの髪を無造作にまとめた、小柄な女性だ。かつて名を馳せた剣士だったと聞いているが、今のシャナからは、そんな武勇伝を感じさせる気配はほとんどない。飄々とした佇まいで、いつも何を考えているのか分かりにくい人だった。
「二人とも、朝から精が出ることだ」
「昨日の儀のことは聞いたか」
フェリクが聞くと、シャナは肩をすくめた。
「噂は耳に入ってくる。金色の器、おめでとう」
「どうも」
「それで、稽古の内容が変わるとでも思ったか?」
シャナの問いに、フェリクは一瞬言葉に詰まった。
「……いや、別に」
「なら早く構えろ。器の色は、剣の腕とは関係ない」
その一言に、僕は少しだけ救われた気がした。この道場でだけは、器の色は評価の対象にならない。剣の腕、反射神経、体力――そういう、努力すれば伸びる何かだけが、ここでは意味を持つ。
とはいえ、その「努力すれば伸びる何か」において、僕とフェリクの間には、はっきりとした差があった。
「そこ、隙だらけだ」
木剣が肩口を打つ乾いた音が響き、僕はよろめいた。フェリクの太刀筋は速く、正確で、無駄がない。同じ時間だけ稽古を積んできたはずなのに、彼の成長速度は僕のそれをとっくに追い越していた。
「悪い、力が入りすぎた」
フェリクはすぐに手を止めて、心配そうに僕を覗き込んだ。悪気はない。むしろ、彼は僕に対していつも公平であろうとしてくれている。だからこそ、その気遣いの裏にある実力差が、余計にはっきりと浮かび上がってしまう。
「大丈夫だ。続けよう」
「無理はするなよ」
「無理なんてしてない」
僕は木剣を構え直した。フェリクは少し困ったような顔をしたが、それ以上は何も言わずに構えを取った。
稽古が一段落した後、僕らは道場の縁側に並んで座り、水を飲んでいた。
「なあ、ロナン」
フェリクが不意に切り出した。
「お前、悔しくないのか」
「何がだ」
「器のことだよ。俺は金色で、お前は……」
言いかけて、フェリクは口を噤んだ。灰色、という言葉を、彼なりに気遣って飲み込んだのだと分かった。
「悔しいさ。当たり前だろう」
僕は素直に答えた。強がっても仕方がない。フェリクの前で見栄を張る意味はなかった。
「なら、なんでそんなに平然としてるんだ」
「平然としてるように見えるか?」
「見える。少なくとも俺には」
僕は少し考えてから、答えた。
「悔しくても、器の色は変えられない。それなら、変えられるものに時間を使ったほうがいいと思っただけだ」
「変えられるもの、って剣か」
「剣も、そうだな」
本当は、剣だけではなかった。何かを変えられるかもしれないという、根拠のない予感。それを口にするつもりはなかった。フェリクに話したところで、きっと同情されるだけで、何かが変わるわけでもない。
「お前は、いずれ何か大きなことを成すよ」
フェリクは前にもそう言ったことがあった。今日もまた、同じ言葉を繰り返した。
「根拠もないのに、よくそんなことが言えるな」
「根拠なんていらないだろ、こういうのは」
フェリクは笑いながら、そう言った。彼のその明るさが、時々、僕には眩しすぎた。
「フェリク、術者としての稽古も始めるのか」
僕が尋ねると、フェリクは頷いた。
「ああ。父上にも、シャナ殿にも勧められてる。金色の器だからな、活かさない手はない、と」
「そうか」
「お前も、いつか」
そこまで言って、フェリクはまた口を噤んだ。灰色の器で、魔力の系統すら定まらない僕に、その言葉は続けようがなかったのだろう。気まずい沈黙が、少しの間だけ僕らの間に落ちた。
「気にするな。分かってる」
僕がそう言うと、フェリクは申し訳なさそうな顔をした。
「悪い」
「謝るようなことじゃない」
本当に、謝るようなことではなかった。フェリクは何も悪くない。悪いのは、僕の器が灰色だという、ただそれだけの事実だった。
その日の稽古が終わる頃、道場の外から、慌ただしい足音が聞こえてきた。屋敷の使用人が、息を切らせて道場に駆け込んでくる。
「ロナン様、フェリク様! 至急、旦那様のもとへ」
その声の緊迫感に、僕とフェリクは顔を見合わせた。
「何かあったのか」
「国境の方で……見張りの兵から、連絡が」
使用人はそこまで言うと、言葉を濁した。詳しいことは、屋敷に戻ってから話すつもりなのだろう。
僕は木剣を置き、シャナのほうを見た。シャナは既に、何かを察したような顔をしていた。
「行け、二人とも。稽古はまた明日だ」
「シャナ殿は?」
「私も後で顔を出す。年寄りにも、聞いておきたいことがあるのでな」
その言い方に、僕は微かな違和感を覚えたが、深く考える余裕はなかった。フェリクと二人、道場を飛び出し、屋敷へと急ぐ。
国境沿いの森。昨日、父の口から出たその言葉が、頭の中で不穏な音を立てていた。




