↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能の器と嗤われた少年は、誓いだけを胸に立ち上がる  作者: 冬城 透真


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/42

窮地

翌朝、キアンはいつも通りの足取りで、水汲みに出かけていった。


「行ってきます」


その声は、普段と何一つ変わらなかった。だからこそ、誰も引き止めなかった。水場は宿営から目と鼻の先、木柵のすぐ外にある、見慣れた場所だ。何百回と繰り返されてきた、ただの日課だった。


僕とフェリクは、朝の鍛錬のために訓練場へ向かっていた。冷え切った空気に、吐く息が白く尾を引く。木剣を構え、いつものように型をなぞり始めて間もなく、木柵の方角から、悲鳴にも似た叫び声が響いた。


「キアンの声だ」


フェリクの顔から、血の気が引いた。二人同時に、木剣を放り出して駆け出す。


*


水場に着いた時、キアンは雪の上に倒れ込んでいた。彼を取り囲むように、統率された魔物が数体、じりじりと間合いを詰めている。傷ついた足を庇いながら、キアンは必死に槍を構えていたが、明らかに劣勢だった。倒れた水桶から零れた水が、赤く滲んだ雪に染み込んでいく。


「な、なんで、こんな場所に」


キアンの声は、震えていた。水場は、これまで一度も襲撃を受けたことのない、安全な場所だったはずだ。


「キアン!」


フェリクが叫び、真っ先に飛び出した。僕も剣を抜き、後を追う。


一体の魔物がキアンに飛びかかる寸前、フェリクが割って入り、剣で弾き返した。だが、残る魔物たちはひるまず、じりじりと包囲を狭めてくる。


「囲まれてる、数が多い!」


「引くな、キアンを死なせるわけにはいかない!」


僕は(ちかい)の力を引き出しながら、剣を振るった。一体を斬り伏せ、返す刀でもう一体の攻撃を弾く。息が上がり、腕の感覚が鈍り始めていた。それでも、倒しても倒しても、新手が茂みの奥から湧いて出てくる。まるで、誰かが意図的に、この場所へ差し向けているかのようだった。


「まさか」


嫌な予感が、背筋を駆け上がった。


その予感を裏付けるように、木々の合間から、灰色の布を纏った人影が、ゆっくりと歩み出てきた。


*


「――使徒(しと)


フェリクが、絞り出すようにその名を呼んだ。


「随分と、賑やかな朝だな」


平坦な声が、緊迫した空気の中に、不釣り合いなほど静かに響いた。使徒は、戦況を静観するように、少し離れた場所に立っている。


「お前が、仕組んだのか」


僕は剣を構えたまま、そう問うた。


「仕組む、というほどのことでもない。ただ、少し背中を押しただけだ」


その平然とした答えに、怒りがこみ上げた。だが、今は問い詰めている場合ではない。キアンの足に、深い傷が刻まれていた。魔物の爪によるものだろう。血が、雪を赤く染めている。意識はあるが、立ち上がる力はもう残っていないようだった。


「キアン、しっかりしろ!」


フェリクがキアンを庇いながら叫んだ。だが、囲みはまだ解けていない。魔物の一体が、大きく口を開けてキアンに迫った。


間に合わない――そう思った瞬間、体が勝手に動いていた。


僕は誓の光を全開にし、地を蹴った。鍛え直した足運びが、限界を超えた速さを生む。魔物とキアンの間に、間一髪で滑り込む。剣を横に薙ぎ、迫る顎を弾き返した。


「キアンを引きずってでも、後ろへ下げろ!」


フェリクに叫びながら、僕は残りの魔物へ向き直った。誓の力と、積み重ねた剣の型。その両方が、今、初めて完全に噛み合っていた。一体を斬り伏せ、返す刀でもう一体の脚を払う。息が上がり、視界の端が霞み始めても、足は止まらなかった。


最後の一体を斬り捨てた瞬間、膝から力が抜けそうになった。肺が焼けるように痛み、剣を握る腕が痺れている。それでも、僕はキアンの方を振り返った。


フェリクが、キアンを抱えて後方へ下がっている。荒い息をつきながらも、キアンの目には、まだ確かな光があった。生きている。それだけで、十分だった。


「キアン、聞こえるか」


「……はい、なんとか」


か細いながらも、はっきりとした返事だった。フェリクが、大きく息を吐き出した。


だが、安堵する間もなく、僕は視線を上げた。使徒は、まだそこに立ったままだった。戦いの結末を、まるで観劇でもするかのように見届けている。その仮面の奥にある感情を、僕は読み取ることができなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。