対等の一歩
「本当に、いいんですか」
翌朝、東の宿営の外れで、僕はフェリクにそう尋ねた。夜明け前の空気は刺すように冷たく、集まった兵たちの吐く息が、白い靄のように立ち上っていた。目の前には、寄せ集めの哨戒部隊が集まりつつある。数はさほど多くない。斥候と、護衛の兵が数名。小規模な哨戒任務だと聞いていたが、それでも、初めて実戦の場に立つのだと思うと、手のひらにじわりと汗が滲んだ。
昨夜、屋敷を出てから初めて、僕は自分の得物として実戦用の剣を支給された。木剣とは違う、刃の重みと冷たさが、腰にしっくりと馴染まない。それでも、この重みこそが、これから僕が踏み出す一歩の証だった。
「隊長には俺から話を通した。お前の腕、この目で確かめておきたい」
フェリクの声には、以前とは違う、確かめるような響きがあった。信じたい気持ちと、まだ信じきれない気持ちが、半々に滲んでいる。それでいい、と僕は思った。信頼は、口約束では取り戻せない。
「隊長、こいつがロナンだ。俺の幼馴染で、腕は保証する」
フェリクがそう紹介すると、一人の若い兵が、興味深そうにこちらを見た。まだあどけなさの残る顔立ちに、人懐っこい目をしている。
「初めまして、ロナン様。俺はキアンです。フェリク様の下について、まだ半年ほどですが」
「様はいらない。ただのロナンでいい」
「そうですか? じゃあ、ロナン殿で」
キアンは屈託なくそう言うと、白い歯を見せて笑った。フェリクの部下だと聞いていたが、纏う空気はどこか軽やかで、この重苦しい戦場には不釣り合いなほど明るかった。
「キアンは、うちの部隊で一番の新入りだ。だが、目端は利く」
フェリクがそう補足すると、キアンは照れくさそうに頭をかいた。
「フェリク様には、いつも助けられてばかりで。俺なんて、まだ半人前ですから」
「半人前でも、腐らず前に出てくる奴は貴重だ」
フェリクがそう言うと、キアンは嬉しそうに目を細めた。二人の間には、上下関係を超えた、確かな信頼が感じられた。フェリクが部下を大切にしていることが、こうした何気ないやり取りからも伝わってくる。
隊長からの出発の合図が響き、僕らは並んで歩き出した。
*
哨戒路は、雪に覆われた森の外縁を辿るように延びていた。木々の間を縫うように進みながら、僕は誓の光をいつでも引き出せるよう、意識の片隅で構えていた。踏みしめる雪の音、遠くで鳴く鳥の声、木の枝がきしむ音。屋敷の道場では聞こえなかった音の一つひとつが、やけに鮮明に耳へ届いた。
隊列の先頭をフェリクが歩き、キアンが僕の隣についていた。緊張しているのか、キアンの槍を持つ手には、絶えず小さな力が入っている。
「森の中は静かなもんですね。こういう時が、一番落ち着かない」
キアンが小声でそう呟いた。フェリクが頷く。
「静かすぎるのは、悪い兆候だ。気を抜くな」
その言葉が終わるかどうかというところで、前方の茂みが、大きく揺れた。
「来るぞ!」
フェリクが叫ぶと同時に、灰色の毛並みをした獣――統率された魔物の一体が、雪を蹴立てて飛び出してきた。牙を剥き、まっすぐこちらへ向かってくる。
キアンが短く悲鳴を上げ、槍を構えるも動きが硬い。フェリクはすでに剣を抜き、迎撃の体勢に入っていた。
僕は実戦用の剣を鞘から引き抜いた。冷たい柄の感触が、掌に食い込む。半歩踏み込み、相手の動きを見極める。以前なら、ここで足がすくんでいたはずだ。今は違う。シャナと交わした数え切れない稽古が、体に染み付いている。
魔物の爪が振り下ろされる。僕は横に体を流し、爪先が空を切る音を耳のすぐそばに聞きながら、その懐に潜り込んだ。剣を返し、一撃を叩き込む。骨に届く手応えがあった。魔物が怯んで体勢を崩した隙に、フェリクの剣が止めを刺す。断末魔の唸り声が、森の中に一度だけ響いて消えた。
一瞬の静寂の後、キアンが呆然とした声を上げた。
「今の……すごいじゃないですか、ロナン殿」
「たまたまだ」
そう答えながらも、僕の中には確かな手応えがあった。誓の力に頼らず、鍛え直した剣術だけで、一撃を通せた。
*
哨戒を終え、宿営へ戻る道すがら、フェリクが横に並んできた。
「見せてもらった。お前の剣」
「どうでしたか」
「悪くない。いや――正直に言えば、驚いた。数ヶ月でここまで積み上げるとは思っていなかった」
その言葉に、僕は素直に嬉しさを覚えた。フェリクからの評価は、以前の僕にとって、いつも遠いものだった。
「これからは、俺の判断だけで動くんじゃない。お前の意見も聞かせてくれ」
「フェリク」
「対等にやろう、ってことだ。今更、気恥ずかしいけどな」
フェリクはそう言って、ばつが悪そうに笑った。その笑顔は、再会した時よりも、少しだけ以前の彼に近づいていた。
「ただし、油断はするな。今日のは、まだ本当に小さな相手だ。使徒とやり合った連中の話を聞く限り、この程度で済むとは思わない方がいい」
「分かってる」
「分かってるならいい」
そう言葉を交わしながらも、フェリクの目の奥には、まだ拭いきれない緊張の色が残っていた。あの日、部下を守り切れなかった記憶は、そう簡単には消えないのだろう。
キアンが後ろから駆け寄ってきて、二人の間に割り込むように歩き出した。
「俺も混ぜてくださいよ、お二人とも息ぴったりで羨ましいです」
「お前も、いずれこうなる。焦るな」
フェリクがそう返すと、キアンは満更でもなさそうに笑った。その屈託のない声に、張り詰めていた空気が、少しだけ和らいだ気がした。
宿営に戻る道のりが、来た時よりも短く感じられた。誓に頼らずとも、鍛えた剣術一つで敵を仕留められたという実感が、僕の足取りを軽くしていた。それでも、今日の敵はまだ「小さな相手」に過ぎない、というフェリクの言葉が、頭の片隅に小さな影を落としたままだった。




