再会
東の宿営は、本営よりも小さく、静かだった。
かがり火の数も少なく、天幕の並びにも、どこか野戦めいた簡素さがある。行き交う兵たちの顔には一様に疲労が滲んでいたが、本営で見たような混乱はなかった。少なくとも、ここでは指揮系統が機能しているらしい。雪を踏み固めた地面には、幾筋もの轍と足跡が交差し、絶え間なく人が行き来してきたことを物語っていた。
夕暮れが近づき、空は薄い橙色に染まり始めている。冷たい風が、頬を刺した。
「フェリクという騎士見習いの居場所を」
シャナが近くの兵にそう尋ねると、兵は槍の柄で東の外れを指し示した。
「訓練場の方に。今の時間なら、まだいらっしゃるかと」
礼を言って歩き出す。心臓が、また重く脈打ち始めていた。何を話そうか、何度も頭の中で言葉を組み立てては崩し、結局何も決まらないまま、僕は指し示された方角へ足を向けた。
*
訓練場は、雪を踏み固めただけの、簡素な広場だった。その中央で、一人の男が木剣を振っていた。
一目で、フェリクだと分かった。それでも、僕は一瞬、声をかけるのをためらった。振り下ろされる剣筋は以前よりも鋭く、迷いがない。だが、その横顔には、記憶にあるフェリクとは違う何かが刻まれていた。頬がこけ、目の下には薄い隈がある。何より、木剣を振るその表情に、以前のような高揚感が見当たらなかった。ただ、義務のように、機械のように、剣を振り続けている。
声をかけるべきだろうか。いや――ここまで来て、迷っている場合ではない。僕は一歩、雪を踏み込んだ。
「フェリク」
僕がそう呼びかけると、剣筋がぴたりと止まった。フェリクがゆっくりと振り返る。
「……ロナン?」
信じられない、というように目を見開いていた。木剣が、彼の手から滑り落ちそうになる。
「なんで、お前がここに」
「討伐隊が壊滅したと聞いて、お前の安否を確かめに来た」
「馬鹿な」
フェリクは思わず、というように声を荒らげた。
「ここがどれだけ危険な場所か、分かってて言ってるのか。お前は跡継ぎだぞ」
「分かってる。それでも、来た」
僕がそう答えると、フェリクは何かを言いかけて、口をつぐんだ。しばらくの沈黙の後、彼は乱暴に頭をかいた。
「相変わらず、頑固だな」
「お前ほどじゃない」
軽口のつもりだったが、フェリクの表情は、思っていたほど和らがなかった。
「怪我は」
「見ての通り、無事だ。多少、擦り傷は増えたがな」
フェリクはそう言って、自分の腕を軽く叩いてみせた。だが、その仕草はどこかぎこちなかった。無事だと言い張ることで、何かを覆い隠そうとしているように見えた。
「良かった。本当に」
言葉にすると、これまで積み重ねていた不安の重さが、急に実感として胸に迫ってきた。目の奥が熱くなるのを、僕は必死にこらえた。
「お前の方こそ、無茶しすぎだろう。屋敷を出て、ここまで来るなんて」
「シャナ殿が、一緒だったから」
「それでもだ」
フェリクは呆れたように言ったが、その声には、確かな安堵も滲んでいた。
*
訓練場の隅、風を避けられる場所で、僕らは並んで座った。フェリクは水筒の水を一口飲み、ようやく肩の力を緩めたようだった。
「殿を務めたと聞いた。皆を逃がすために」
「ああ」
「無事に、逃がせたのか」
フェリクの表情が、わずかに翳った。
「……半分は」
その一言に、僕は言葉を失った。フェリクは水筒を握りしめたまま、視線を地面に落とした。
「俺の下についていた奴らのうち、三人が、戻ってこなかった。俺が殿を引き受けて時間を稼いだのに、それでも、間に合わなかった」
「フェリク」
「一番若い奴は、まだ十五だった。剣より、字を書く方が得意な奴でな。それでも、討伐隊に志願してきた」
フェリクの声が、そこで一度途切れた。
「お前が来る前、俺はずっと考えていたんだ。もっと早く判断していれば。もっと違う指示を出していれば、と」
その声には、以前の彼らしからぬ、隠しきれない自責が滲んでいた。金色の器を持ち、いつも迷いなく前へ進んできたはずのフェリクが、今は僕の知らない重さを一人で抱え込んでいる。
「お前のせいじゃない」
「分かってる。分かってるが、それとこれとは、別だ」
フェリクは短くそう言うと、僕の方を見た。
「お前は、屋敷で大人しくしていろ。ここは、お前が来る場所じゃない」
その言葉には、以前のような突き放すような響きはなかった。むしろ、僕を案じる響きの方が強かった。それでも、僕は素直に頷くことができなかった。
「もう、待っているだけの僕じゃない」
「……そうか」
フェリクは僕の顔をしばらく見つめてから、小さく息を吐いた。
「お前がそう言うなら、止めはしない。だが、無茶はするなよ」
かつてのように対等な軽口を交わすには、まだ何かが足りない。二人の間にある距離は、以前とは違う形で存在していた。以前は器の色が作っていた距離だったが、今はフェリクが一人で抱え込んでいる重さが、その距離を作っている。それでも、こうして隣に座り、同じ空気を吸っていること自体に、確かな意味があるはずだった。
夕闇が、訓練場を静かに覆い始めていた。かがり火の炎が、フェリクの横顔を橙色に照らしている。僕らはしばらくの間、何も言わず、ただその炎を見つめ続けていた。
少し離れた場所で、シャナがこちらの様子を静かに見守っていた。声をかけずにいてくれるその気遣いが、今はありがたかった。
「これから、どうする」
やがて、フェリクがぽつりと口にした。
「明日、部隊の哨戒に同行させてもらえないか、頼んでみるつもりだ」
「お前が? まだ、この場所に慣れてもいないのに」
「慣れるのを待っていたら、いつまで経っても何も変わらない」
フェリクは僕の顔をしばらく見つめてから、小さく笑った。以前とは違う、どこか疲れの滲んだ笑い方だった。
「相変わらずだな、お前は」
「お前ほどじゃない」
さっきと同じ軽口を、僕はもう一度返した。今度はフェリクも、少しだけ肩の力を抜いたように見えた。




