それぞれの選択
あの夜から、十日が過ぎていた。
僕とフェリクは、朝から晩まで剣を交える日々を続けていた。シャナの指導のもと、基礎の型を一から見直し、体の使い方、力の伝え方、そのひとつひとつを丁寧に叩き込んでいく。地味で、目に見える成果が出るまでには時間がかかる作業だった。それでも、以前のように闇雲に誓の発動だけを追い求めていた頃よりも、今の僕には確かな手応えがあった。
朝露に濡れた道場の床は、素足に冷たい。それでも、その冷たさが、意識を研ぎ澄ますのにちょうど良かった。何百回と繰り返した型を、また一つ、また一つと体に刻み込んでいく。フェリクの木剣が空を切る音が、隣で規則正しく響いていた。
「今日はここまでだ」
シャナがそう告げると、僕とフェリクはそろって膝をついた。全身が鉛のように重い。それでも、以前とは違う種類の疲労だった。
「随分、腕が上がったな。二人とも」
シャナの言葉に、僕は素直に頷いた。フェリクも同じように頷いていたが、その表情には、どこか晴れない翳りがあった。
「フェリク、何かあったのか」
道場を出たところで、僕はそう尋ねた。夕暮れの風が、火照った体に心地よく吹き抜けていく。フェリクは少し迷うような間を置いてから、懐から一通の書状を取り出した。
「王都から、正式に届いた。討伐隊の先遣として、実戦経験のある若手騎士を数名、各領地から選出するそうだ」
「それで」
「俺が、候補に挙がってる」
その言葉に、僕は一瞬、言葉を失った。
「金色の器と、これまでの実戦経験が評価されたらしい。断ることも、できるが」
フェリクにしては珍しく、歯切れの悪い声だった。
「行きたいのか」
「分からない」
フェリクは書状を握りしめたまま、夜空を見上げた。
「討伐隊に加われば、核との戦いに、もっと近い場所に立てる。実戦の中で、もっと強くなれるかもしれない。だが」
「だが」
「お前を置いていくことに、なる」
その一言に、僕の胸の奥が、小さく軋んだ。分かってはいたことだ。フェリクの器は金色で、僕の器は灰色。積み重ねてきた修行の量も、覚悟の重さも違う。いつかこうして道が分かれる日が来ることは、心のどこかで予感していたはずだった。
それでも、いざその瞬間が来ると、思っていた以上に、胸に応えるものがあった。
「行くべきだ」
僕は、できるだけ平静な声でそう言った。
「ロナン」
「本当に、そう思ってる。お前の器は、こういう場所でこそ活きる。それを腐らせておく理由はない」
フェリクは僕の顔をじっと見つめた。何かを探るような、それでいて申し訳なさそうな目だった。
「お前は、それでいいのか」
「良くはない。正直に言えば、悔しいし、寂しい」
僕は素直に、自分の気持ちを言葉にした。強がっても、フェリクにはどうせ見抜かれる。
「でも、僕には僕の戦い方がある。お前が前線に立つなら、僕はこっちで、自分の土台を固める。誓を、本当の意味で使いこなせるように」
「別々の場所で、か」
「同じ場所にいなくても、目指す方向は同じだろう」
その言葉に、フェリクは少しの間黙り込んだ。それから、ふっと表情を緩めた。
「お前がそう言うなら、決めた。行くよ」
「うん」
「だが、勘違いするなよ。お前を置いていくわけじゃない。先に行って、道を切り開いておくだけだ」
フェリクらしい、少し強がった言い回しだった。それでも、その言葉の裏にある本心を、僕はちゃんと理解していた。
「待ってる。お前が切り開いた道の先で、ちゃんと追いつくから」
「望むところだ」
フェリクは笑って、僕の肩を軽く叩いた。その手の重みが、いつもより少しだけ、名残惜しく感じられた。
出発の日は、三日後に決まった。
その三日間、フェリクはこれまで以上に稽古に打ち込んだ。出発前に、少しでも僕に何か残しておきたい、というような必死さが、その太刀筋から伝わってきた。僕もまた、その気迫に応えるように、限界まで体を動かし続けた。
出発の朝は、澄んだ青空だった。フェリクは旅装に身を包み、屋敷の門の前で僕と向き合った。
「行ってくる」
「ああ。無事で」
「お前もな。次に会う時は、もっと驚かせてくれ」
そう言い残し、フェリクは馬に跨り、王都から迎えに来た一行とともに、街道の向こうへと去っていった。その背中が見えなくなるまで、僕はその場に立ち尽くしていた。
夜、僕は一人で道場に残り、手のひらに意識を集中させていた。誓の光が、以前よりも安定して灯るようになっている。まだ格上の敵に通用するには程遠いが、確かな進歩ではあった。
「フェリクは行ってしまうのか」
いつの間にか、シャナが道場の入り口に立っていた。
「はい」
「寂しいか」
「少しは」
正直にそう答えると、シャナは小さく笑った。
「それでいい。寂しさを誤魔化さずにいられるなら、お前はまだ、腐っていない」
「僕はこれから、どうすればいいんでしょうか」
「決まっている。フェリクが前線で戦う間、お前はここで、誰よりも深く、自分の土台を鍛え上げる。誰かと競うためじゃない。お前自身の誓を、本当の意味で自分のものにするためにだ」
シャナの言葉には、いつになく重みがあった。彼女はふと視線を窓の外、遠く西の空へと向けたが、すぐにいつもの調子に戻り、それ以上は語らなかった。
「フェリクが切り開く道と、僕が鍛える土台。いつか、その二つが交わる日が来ますか」
「来るさ。お前たちが、それぞれの道を諦めなければな」
僕は手のひらの銀の光をもう一度見つめた。フェリクのいない修行が、これから始まる。寂しさは消えない。それでも、その寂しさの分だけ、自分を鍛え直す理由が、確かにここにあった。




