敗北の後で
屋敷に戻った僕らを迎えたのは、重い沈黙だった。
父は偵察部隊の報告を聞くと、しばらく目を閉じたまま何も言わなかった。ランプの灯りが揺れる執務室に、誰の呼吸の音まで聞こえてきそうな静けさが満ちている。
「討伐隊の到着を、早めるよう王都に催促する。それまでは、街道の完全な封鎖と、領民の避難範囲の拡大で凌ぐしかない」
父はそう結論づけると、僕とフェリクを見た。
「怪我はないか」
「腕に少し。大したことはありません」
「そうか」
短いやり取りだったが、その一言に、父なりの安堵が滲んでいる気がした。いつもと変わらない硬い声のはずなのに、なぜかその奥に、何か別の感情が透けて見えた気がする。理由を深く考える余裕は、今の僕にはなかった。
自室に戻ってからも、僕はずっと今日の光景を反芻していた。銀の光を弾き飛ばした、あの圧倒的な一撃。フェリクの剣が、まるで枝のように弾かれた瞬間。何もかもが、これまでの修行の成果を嘲笑うかのようだった。
窓の外はすっかり暗くなり、遠くで虫の声だけが規則正しく響いている。いつもなら心地よいはずのその音が、今夜はやけに耳障りに感じられた。このままでは駄目だ、と分かっている。それでも、何をどう変えればいいのか、答えは容易に見つからなかった。
夜も更けた頃、道場の灯りがまだついていることに気づき、僕は足を運んだ。案の定、シャナがそこにいた。
「眠れないか」
「はい」
「無理もない。今日のあれは、誰にとっても堪える経験だ」
シャナは僕を手招きし、道場の床に並んで座らせた。冷たい木の感触が、じんわりと体に伝わってくる。
「シャナ殿は、あの魔物のことを何か知っているんですか」
「核の配下、ということ以上は分からん。だが、あの気配には、覚えがある」
「覚えが」
シャナは一瞬、言葉を選ぶように黙り込んだ。それから、ゆっくりと口を開いた。
「昔――随分昔の話だ。似たような気配を、一度だけ感じたことがある」
「それが、シャナ殿の誓と関係あるんですか」
その問いに、シャナは僕をまっすぐに見た。いつもの飄々とした表情の奥に、初めて見る種類の陰りがあった。
「いずれ話す。今は、お前が今日学んだことに集中しろ」
はぐらかされた、と分かっていても、それ以上踏み込む勇気は出なかった。代わりに、僕は今日の敗北について、率直に尋ねることにした。
「僕の誓は、なぜ通用しなかったんでしょうか」
「発動できたこと自体は、大きな進歩だ。だが、発動できることと、使いこなせることは、まったく別の話だ」
シャナは自分の手のひらを見つめながら、続けた。
「覚悟だけでは、力の形は定まらない。銀の光を、ただ闇雲に纏っただけでは、盾にも剣にもならない。技術と経験の裏付けがあって、初めて『力』として機能する」
「じゃあ、これからどうすれば」
「剣術を、もっと徹底的に鍛える。誓の力は、お前の技量の上に乗るものだ。土台が脆ければ、どれだけ強い光を灯しても、簡単に崩れる」
その言葉は、これまで聞いたどんな説明よりも、腑に落ちるものだった。誓は魔法のような特別な力ではなく、あくまで僕自身の力を底上げする仕組みに過ぎない。土台がなければ、意味をなさない。
「覚悟だけで勝てるなら、誰も苦労はしない。お前は、覚悟の先にあるものを、まだ何も持っていないんだ」
シャナの言葉は厳しかったが、不思議と反発する気持ちは湧かなかった。むしろ、霧が晴れていくような感覚があった。何が足りないのか分からないまま焦り続けるより、足りないものの正体がはっきりした今の方が、まだ前を向けそうだった。
道場を出ると、庭の隅にフェリクの姿があった。彼は月明かりの下、一人で黙々と素振りを繰り返していた。
「フェリク」
声をかけると、彼は木剣を止め、荒い息のまま振り返った。
「眠れないのは、お前もか」
「ああ」
僕はフェリクの隣に腰を下ろした。夜風が冷たく頬を撫でる。
「今日は、悪かった」
フェリクが不意にそう言った。
「何がだ」
「俺の剣も、全く役に立たなかった。お前を守ると言っておきながら、あの一撃で吹き飛ばされた」
その声には、これまで聞いたことのない弱々しさがあった。金色の器を持ち、いつも自信に満ちていたフェリクが、今は打ちのめされたように肩を落としている。
「フェリクのせいじゃない。あれは、誰が相手でも同じ結果だったと思う」
「慰めなくていい」
「慰めじゃない。本当にそう思ってる」
フェリクはしばらく黙り込んでから、小さく息を吐いた。
「なあ、ロナン。俺たち、本当に間に合うのか。核とかいうやつが、いつ動き出すか分からないのに」
「分からない。それでも」
僕は夜空を見上げた。雲間から覗く星が、いつになく遠く感じられた。
「間に合わせるしかない。今のままじゃ駄目だっていうことは、はっきりした。だったら、変えるしかない」
「変える、か」
フェリクは僕の言葉を反芻するように呟くと、木剣を握り直した。
「なら、俺も付き合う。お前が土台を鍛えるって言うなら、俺がその相手になってやる」
その申し出に、僕は素直に頷いた。
「頼む」
「その代わり、俺も置いていかれてられない。お前が誓を鍛えるなら、俺は俺で、もっと強くなる」
二人でしばらく、無言のまま夜空を見上げていた。風が止み、虫の声だけが辺りを満たしている。今日の敗北は、間違いなく大きな痛手だった。それでも、その痛みの中から、次に進むべき道筋が、少しずつ見え始めていた。
土台を鍛え直す。誓の力を、ただの偶発的な閃光ではなく、確かな武器へと変えていく。それが、これからの僕に課された、新しい修行の形だった。




