王都からの使者
修行を始めてから、一月が経とうとしていた。
誓の発動は、まだ安定しない。十回試して、成功するのは二回か三回。それでも、あの十日目の成功以来、僕の中には確かな手応えが積み重なっていた。灰色の器も、以前より僅かに、輝きやすくなっている気がした。
朝晩の冷え込みが、少しずつ強くなっていた。息を吐くと、白く曇るようになった道場の空気の中で、僕は今日も手のひらに意識を集中させていた。フェリクは少し離れた場所で剣を振り、その規則正しい音が、静かな朝の道場に響いている。
そこへ、屋敷の使用人が慌ただしく駆けてきた。
「ロナン様! 王都から、使者様がお見えです!」
道場の空気が、一瞬で張り詰めた。フェリクと顔を見合わせる。王都から辺境の男爵領に使者が来ることなど、滅多にない。それだけで、只事ではないと分かった。
屋敷に戻ると、広間には既に父と、見慣れない紋章を纏った騎士が待っていた。王家に仕える正式な使者の証だ。旅装のまま、埃を払う間もなく通されたのだろう、その表情には隠しきれない疲労が滲んでいる。よほど急いで来たことが窺えた。
「カルン男爵、王都より遣わされました。此度の一件、既に王宮にも報告が上がっております」
使者の声は、事務的でありながら、どこか緊張を孕んでいた。父は表情を変えずに頷く。
「国境の魔物の件、ですな」
「はい。統率された魔物の群れが、辺境地帯で複数目撃されております。貴領だけでなく、隣接する二つの領地でも同様の報告が」
その言葉に、僕は思わず息を呑んだ。カルン領だけの問題ではなかったのか。
「王宮の見立てでは、これは単なる魔物の異常発生ではなく、何らかの意思を持って動かされている可能性が高いとのことです」
「意思を持って、とは」
父の問いに、使者は一枚の書状を取り出した。
「詳細はこちらに。ですが、要点だけ申し上げれば――魔物を統率する『核』のような存在が、この地方のどこかに潜んでいる可能性がある、ということです」
広間の空気が、一気に重くなった。核。統率者。それが何を意味するのか、僕にはまだ具体的には分からなかった。それでも、事態がこれまでよりも遥かに深刻なものへと変わりつつあることだけは、はっきりと感じ取れた。
「王宮は、討伐隊の派遣を検討しております。ただし、編成には時間がかかります。それまでの間、各領地には独自の警戒態勢の維持と、情報収集への協力を要請いたします」
「承知した」
父はそう答えると、使者を客間へと案内するよう家臣に指示した。広間に残された僕とフェリクは、しばらく無言のまま立ち尽くしていた。
「核、か」
フェリクが呟いた。
「もし本当にそんなものがいるなら、俺たちが今まで戦ってきた魔物は、その一部でしかなかったってことだよな」
「そうかもしれない」
「なあ、ロナン。お前の誓は、まだ数秒しか持たないんだろう」
「ああ」
「もし、その『核』とやらと相対することになったら」
フェリクは言葉を切り、僕の顔を見た。その目には、これまでにない真剣な色が浮かんでいた。
「間に合うのか、修行は」
答えられなかった。正直、分からなかったからだ。一月かけて、ようやく数秒の発動に至った僕の誓が、本物の脅威と渡り合えるだけの力になるのか。誰にも分からない。シャナにさえ、分からないだろう。
無言のまま俯く僕を見て、フェリクは小さく息を吐いた。責めるつもりで言ったのではない、と分かってはいたが、それでも胸の奥がちくりと痛んだ。
「間に合わせるしかない」
僕は、自分に言い聞かせるようにそう答えた。フェリクは少しの間僕を見つめてから、小さく頷いた。
「そうだな。俺も、もっと稽古をつける」
その日の夕方、道場に戻った僕を、シャナが待っていた。使者が来たことは、既に耳にしているようだった。
「聞いたか、核の話」
「はい」
「厄介なことになったな」
シャナの声は、いつもの飄々とした調子とは違い、どこか硬いものを含んでいた。
「シャナ殿は、何か知っているんですか」
僕がそう尋ねると、シャナは一瞬だけ、僕の目をまっすぐに見た。それから、視線を逸らすように空を仰いだ。
「昔、似たような話を聞いたことがある。それだけだ」
「どんな話ですか」
「今、話すべきことじゃない」
シャナはそう言って、話を打ち切った。その口調には、拒絶というより、まだ言葉にする準備ができていない、というような重さがあった。それ以上、僕は踏み込めなかった。だが、その横顔には、単なる昔話では片付けられない何かが滲んでいる気がした。
「修行を続けるぞ、ロナン。時間は、思っているより残されていないかもしれない」
「はい」
僕は木剣を握り直した。手のひらの奥に、まだ覚束ないながらも確かに宿る、あの銀の光の気配を意識しながら。
王都からの使者がもたらした知らせは、静かだったこのひと月の修行に、新たな緊張感を運んできた。核と呼ばれる何か。それがどんな姿をしているのか、僕にはまだ想像もつかなかった。それでも、遠くない未来に、それと向き合わなければならない予感だけが、確かに胸の中にあった。




