第二話 姿の見えない死神
レイルミナス帝国の西に位置し、広大な領土を持つヴァルクレイ辺境伯領。
領土の大部分を占めるヴァルクレイ山脈が、国の西側を守る自然の防壁とされている。
魔物の討伐や国境の警備を行う騎士団が配置されているが、騎士団関係者以外で民はいないため、数年前までは国が直接管理を行っていた土地だ。
セリスティアは嫁ぐ前に少しエリアスのことを調べた。
彼はこの国の貴族で最も序列の高いケイオッド公爵家の長男であった。しかし、エリアスは成人するとすぐに実家から追われるようにして、辺境伯位とヴァルクレイ領を賜る。
そうして新しく、ヴァルクレイ辺境伯が誕生したのだ。
ヴァルクレイ辺境伯邸は高台の、深い森に囲まれた場所にあった。
「奥様、本日の朝食はいかがいたしましょうか。旦那様は、その……」
「わかってるわ。私からも一応声をかけてみるけど……とりあえず私の分だけ用意してくれるかしら」
「はい、かしこまりました」
セリスティアがこの屋敷に移り住んでからすでに一ヶ月。
死神と恐れられる人物のもとに嫁ぐなんて──と、ここに来るまでさんざん憐れみ半分、下世話な興味半分で煽られ続けたセリスティア。
どんな人物と、どんな悲惨な生活を送ることになるのか、さすがに怖気づいていた彼女だったが、今のところ平穏な生活を送っている。
というのも、セリスティアはいまだエリアスと会ったことすらなかった。
歓迎されないと覚悟していたとしても、まさかこれほどまでに徹底して避けられるとは。
しかし、姿が見えず何もされない状態が一ヶ月も続けば、もはやそれはいないのと同じ。恐ろしいという気持ちはいつしか薄れ、幽霊と同居しているような気分でセリスティアは過ごしている。
返事をされたことはないが、セリスティアはそれでも一応毎日エリアスの部屋まで行き、ドア越しに挨拶をしていた。
「エリアス様。おはようございます、セリスティアです」
『……』
「本日もお先に朝食をいただきます。失礼いたします」
『……』
(相変わらず、寝ているのか起きているのか、本当に部屋にいるのかも分からないわね)
形式的に挨拶をして去ろうとしたとき、セリスティアはふと窓の外に目をやった。
今日は気持ちがいいほどに晴れていて、ヴァルクレイ山脈が綺麗に見渡せる。
「今日は外で朝食もいいわね」
思わず口に出してしまってから、まだドアの前だったことを思い出すセリスティア。
(恥ずかしい、大きな独り言をしちゃったわ……)
「え……エリアス様も今日は外を見ながら召し上がってはいかがでしょう」
ごまかすように一言添えて足早に去る。
(気まずくてますます変なこと言ってしまった……!)
顔を赤くしながら戻ると、ちょうど侍女のニーナと鉢合わせる。
「奥様、朝食はやはり……」
「一人で食べるわ。あ、そうだ。今日は天気がいいから外で食べたいの」
「かしこまりました。お庭に用意させますね……奥様? 少し顔が赤いようですが」
「え? ええ、ちょっと暑くて」
「そうでしたか……朝食は日差しのあたらない場所に用意しますから。すぐにお水もお持ちします」
「ありがとう」
東屋で朝食をとりながら、セリスティアは改めてこの生活に想いを巡らせていた。
(使用人は最低限の人数だけど皆気を遣えるいい人たちだし、お金も普通に暮らす分には不自由ない。おまけに社交も必要ないし、女主人のやることはとても少ないわ。びっくりするほど穏やか……だけど何かしら、この安心できない感じは)
もともと田舎でのんびり暮らしたがっていたセリスティアにとって、状況だけ見れば今は願ってもない待遇だった。
しかし、『死神』の噂の真相はずっと分からずじまいで、エリアスとは言葉を交わすこともない。
使用人ですら、食事は部屋の前に置いておくだけ。気づけば食べ終わった食器が外に戻されていて、それを回収するそうだった。
(結婚したことはさすがに承知してるのよね? 式なんかやらないでしょうけど……私のことは本当に認めてるのかしら。というか、本当にこのまま一生会わないつもり?)
避けられることに慣れたとはいえ、仮にも夫婦である。
将来はどうするつもりなのか不安だし、本当に一生このままだとしたら、なんだか居候のまま生涯を終えるようで複雑な気分だった。
(……考えてもキリがないわ。少し歩いて気分転換しましょ)
朝食のあと、広い庭を散歩することにしたセリスティア。
ニーナと他愛もない会話をしながら歩いていると、少しは気分が紛れた。
「薔薇が綺麗に咲いておりますね」
「ええ、そうね。大振りだし色もいい。そうだ、少し摘んで花瓶に生けてはだめかしら?」
「とてもよいお考えだと思います! 準備しますので少々お待ちください!」
道具を取りに少しの間ニーナがそばを離れる。
ちょうどその時……頭上でカタン、と小さな物音がした。
ふと目を向けると、三階の窓が開いていて、誰かがそこにいるのが分かった。
(遠くてよく見えないけど……あれはもしかして、エリアス様?)
セリスティアがじっと見ていると、その人物もセリスティアを見た気がした。
二人とも、何をするわけでもなく立ち尽くす時間がしばらくの間続く。
「奥様! お待たせいたしました」
「ああ、おかえりなさい。取ってきてくれてありがとう」
ニーナの声がして振り返り、すぐにもう一度窓の方を見ると、その人はいなくなっていた。
「どうかされました?」
「あそこ……エリアス様の部屋よね? 外を見ていらしたのかしら、さっき窓のところにいたのよ」
「ええっ、珍しいですね……旦那様のお姿を見たのですか?」
「いいえ、遠くてよく見えなかったわ」
「そうでしたか……」
「あなたもまだ見たことがないのよね?」
「はい。一度もございません」
彼女はセリスティアのために用意された侍女で、この屋敷では新顔だった。
裏表がなく素直な彼女とは、この一ヶ月でかなり信頼関係を築いている。セリスティアは少し踏み込んだ話をしてみることにした。
「私、嫁ぐことになるまで、エリアス様のお名前も聞いたことがなかったのよ。なぜ死神だなんて言われているのか知ってる?」
「正直、私もよく知らないのです……なんでも、目が合っただけで命を奪われるとか、噂されていたのはお聞きしましたが……」
「まぁ。それは恐ろしいけど……そんな魔法は聞いたことがないし、誇張されていそうね。でも、そんな主人のもとに来るのは恐ろしくなかった?」
「もちろん、恐ろしかったです。でも私の家は男爵とはいえ貧しく……働き口を探しておりましたから。身も蓋もない言い方になってしまいますが、お給金がかなりよかったのです」
「そうだったのね。人数も少ないし、いろいろ大変だものね」
「でも、奥様はお優しく、屋敷の人たちも皆いい人たちなので、働いてみたら大変なんてことございませんでした! 恐ろしいことも特に起こっていないです」
「よかったわ。私も散々脅かされてきたのだけど、想像していた生活とは違ったの。エリアス様はあの調子だし」
「……旦那様は、屋敷に長く務める使用人ですらほとんど見たことがないそうです。気配を感じることすら珍しいとか。皆さん噂を知っていて怖がってはいるようですが……何かされたという人はいないようです」
「そう……」
(さっき……外を眺めようとしたのかしら。もしかして、今朝の私の言葉を聞いて?)
エリアスには取り付く島もないと思っていただけに、今までまともに交流しようとしたことがなかったとセリスティアは気づいた。
(ドア越しに、ちゃんと言葉を聞いてくれている可能性があるのなら……)
「ニーナ。薔薇は少し多めに摘みましょう。エリアス様にも届けてあげたいの」
「! はい、そういたしましょう!」
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