第5話:王都、第一声で国が勘違いする
王城は、でかかった。
ただただ、でかかった。
門をくぐるだけで首が痛くなるくらいでかく、廊下はどこまでも長く、天井は無駄に高い。石畳の一枚一枚が、ユウの実家の床面積より広い気さえした。
「……」
ユウは無言で歩いていた。 というより、歩くしかなかった。
前には先導する騎士が二人。横にはミツキ。後ろにはケンジ。 逃げ場がない。
廊下の両側に立つ衛兵たちが、ちらり、ちらりとこちらを見る。
(見るな) (見ないでくれ)
心の中で懇願するが、当然届かない。
「立派な城ね」 ミツキが感心したように言う。
「……はい」
「緊張してる?」
「……いいえ」
「そう」
(してます)
「堂々としてるわね」 ミツキが満足げに頷いた。
後ろでケンジが小声で言う。 「堂々としてないよ。あれは固まってるだけだよ」
「同じことよ」
「全然違う!」
ユウは聞こえないふりをした。 もうそういうものだと理解し始めていた。
やがて、巨大な扉の前に辿り着く。
「勇者候補ユウ・アサギリ、入室!」
重々しい声と共に、扉が開かれた。
その瞬間。
空気が、変わった。
広い。
とにかく、広い。
左右には整列した騎士たち。 その外側には、着飾った貴族たち。 そして奥の高台、玉座に座る国王。
全員が、こちらを見ている。
「……っ」
ユウの足が、一瞬だけ止まった。
「歩きなさい、ユウ」 ミツキが小声で言う。
「……はい」
一歩。
また一歩。
玉座までが、やたらと遠い。
(なんでこんな遠いの) (途中で帰りたくなる設計やめてほしい)
そんなことを考えながら、なんとか歩く。
「……見ろ」 貴族の一人が呟いた。
「あの歩き方……」
「一歩ごとの重心が、まるで揺れていない……」
「無駄がない……!」
(膝、めちゃくちゃ震えてます)
ユウは前だけを見ていた。 横を見たら倒れる気がしたからだ。
やっとの思いで、玉座の前に辿り着く。
止まる。
国王が、ゆっくりと立ち上がった。
白髪の老王。 その視線が、真っ直ぐユウを射抜く。
「よく来た、勇者候補よ」
「……」
何か言わなければ、と思う。
でも。
喉が。
「……」
完全に、固まった。
ケンジがすかさず叫ぶ。 「すみません陛下! こいつ緊張しすぎて喉が癒着してるだけなんです!」
「……なるほど」
国王は深く頷いた。
「王の威光すらも、己の内面を乱すに足らず、か」
「違います!」
「凄まじい精神力だ」
「話聞いてください!?」
ミツキが静かにケンジの脇腹をつつく。
「お静かに」
「なんで!?」
「あなたが騒ぐほど、評価が上がるのよ」
「そんな仕様ある!?」
会話の流れは、完全に「高潔な勇者一家」で固定されていった。
ユウはもう、呼吸すら怪しかった。
そのまま、国王が一歩前に出る。
「勇者候補よ」
謁見の間が、静まり返る。
「魔王の軍勢は勢いを増し、我が国は危機にある」
重い声が響く。
「民は怯え、希望を失いつつある」
すべての視線が、ユウに集まる。
「問おう」
国王が、手を差し伸べた。
「汝、この国を救ってくれるか?」
静寂。
完全な静寂。
ユウの頭の中は、真っ白だった。
(無理) (無理無理無理) (なんで俺) (帰りたい) (今すぐ帰りたい) (でも何か言わないと)
喉が、震える。
声が、出ない。
時間だけが、過ぎる。
三秒。
五秒。
十秒。
「……」
限界だった。
何でもいい。
とにかく、何か——
「……はい」
かすれた、小さな声だった。
その瞬間。
「おおおおおおおおっ!!」
謁見の間が、爆発した。
「迷いなき承諾だ!」
「あの沈黙……覚悟を定める時間だったのか!」
「国家の命運を受け止めた上での一言……!」
「震えは武者震い……!」
騎士たちが剣の鞘を鳴らす。 貴族たちが立ち上がる。 拍手と歓声が渦になる。
「違うんだって!!」
ケンジが叫ぶ。
「今のは『はい(助けて)』の『はい』だから! 承諾じゃないから! 救難信号だから!!」
「……謙虚な父上よ」
国王が静かに言った。
「息子の偉大さを、そこまでして隠すか」
「隠してないし偉大でもない!」
「その愛情、見事である」
「話が通じない!!」
ミツキが一歩前に出る。
「陛下」
優雅に一礼する。
「この子は昔から責任感が強く、問われれば必ず応える子なのです」
「左様か」
国王が満足げに頷く。
「『はい』と言ったからには、最後までやり遂げるでしょう」
「ええ」
ミツキが微笑む。
「魔王の首を獲るまで、きっと止まりませんわ」
(そんな予定ないです)
ユウの心の叫びは、誰にも届かなかった。
そのとき。
玉座の脇、少し離れた場所から一つの視線が向けられていた。
王女レティシア。
金の髪に青い瞳。 静かに、ユウを見つめている。
「(……変ね)」
彼女だけが、違和感を覚えていた。
あの「はい」。
周囲は「覚悟」と言う。 「決意」と言う。
でも——
「(あれは……)」
震えていた。
間があった。
そして、あの一瞬の表情。
「(……助けを求めているように見えた)」
レティシアは、わずかに首を傾げる。
「(気のせい……?)」
しかし、その疑問は消えなかった。
謁見が終わり、廊下に出る。
「……」
ユウは壁に手をつき、小さく息を吐いた。
「よく頑張ったわ」 ミツキが背中を軽く叩く。
「……はい」
「陛下も気に入ってくださったわ」
「……はい」
「夕食も用意してくださるそうよ」
「……はい」
「食べられそう?」
一瞬の間。
「……いいえ」
「そう。無理しなくていいわ」
ケンジが壁にもたれ、天井を見上げる。
「俺、今日何回『違う』って言った?」
「七回です」
「増えてる!?」
「途中で一回空振りしましたから」
「カウントやめて!?」
ユウは窓の外を見た。
王都の夕暮れが、橙色に染まっている。
きれいだった。
村とは違う色だった。
(違う)
(帰りたい)
そう思いながら、それでも少しだけ見入ってしまう。
「ユウ」
ミツキが静かに呼ぶ。
「……はい」
「今日はよく頑張ったわ」
「……」
ほんの少しだけ、間があった。
「……はい」
その一言だけが、わずかに違う重さを持っていた。
本人にとっても。
誰にも気づかれないまま。
第5話 了




