第4話 王都行きの馬車で、すでに英雄扱い
馬車は、思ったより揺れた。
がたん。
「……っ」
がたがた。
ユウ・アサギリの肩が、小さく跳ねた。
視線が泳ぐ。
手が膝の上で固まる。
それでも姿勢だけは、不自然なほど崩れない。
完全に「揺れに耐えている人間」だった。
「落ち着きなさい、ユウ」
隣でミツキが、いつも通りの調子で言う。
「王都へ向かう道よ。これくらい普通です」
「……」
返事はない。
ただ、背筋がすっと伸びる。
「……見ろ」
向かいの商人が、小声で呟いた。
「微動だにしない……」
兵士の一人が目を細める。
「この揺れで、あの安定感か……」
「体幹が違うな……」
ユウの指先は、ほんのわずかに震えていた。
だが——
誰もそこを見ていない。
「……なるほど」
商人が深く頷く。
「この程度の揺れなど、問題にもならぬということか」
ユウは、何も言わない。
言えない。
結果——
沈黙。
「しかし最近は物騒でしてな」
しばらくして、商人が話題を変えた。
「この先の森、盗賊が出るという話で」
「ほう……」
兵士が顔を引き締める。
「人数次第では、我々二人では厳しいかもしれん」
空気が、少し重くなる。
商人が、ちらりとユウを見る。
「……怖くないんですか?」
一瞬の沈黙。
ユウの喉が、かすかに動く。
そして——
「……いいえ」
小さく、短い一言。
「……っ」
兵士が息を呑んだ。
「今……“いいえ”と……?」
「この状況で……?」
「死を恐れぬ覚悟……」
「いや……」
商人が震える声で言う。
「そもそも恐怖という概念が……」
「違うんだ!」 ケンジが割って入る。
「今のは反射! ただの反射だ! こいつめちゃくちゃ怖がってるから! 内心たぶんパニックだから!」
「お父上」
商人が静かに首を振る。
「もうよろしい」
「よくない!」
「息子さんの覚悟は、隠しきれるものではありません」
「隠してない! そもそもない!」
「ケンジさん」
ミツキが穏やかに言った。
「あなたが説明するたびに、話が大きくなるのよ」
「……え?」
「“謙虚な父が、息子の偉大さを隠そうとしている”に見えるの」
「……」
「黙っていなさい」
ケンジは、ゆっくりと口を閉じた。
そのとき。
がくん、と馬車が大きく傾いた。
「うおっと!?」
御者の声。
「ぬかるみだ! 車輪がはまった!」
全員が外に出る。
泥に沈んだ車輪。
兵士たちが押す。
動かない。
「角度が悪い!」
「いや、荷重の問題だ!」
「このままでは時間が——」
議論が飛び交う。
ユウは、少し離れた場所に立っていた。
(……靴、汚れる)
それだけを考えていた。
なるべく泥の少ない場所へ移動する。
一歩。
また一歩。
(……ここなら、まだマシ)
ちょうど、車輪の横。
少しだけ地面が固い場所。
近くに岩がある。
ユウは、そこに体重を預けた。
ただ、立ち疲れただけだった。
「……っ」
ミツキの目が細くなる。
「ユウ、そこね」
「……?」
「そこが支点」
兵士たちに向き直る。
「今よ。ユウが重心を固定してる」
「なに?」
「反対側を斜めに押して。泥の抵抗が抜ける角度ができてるわ」
「お、おう!」
兵士たちが構える。
ユウは、岩にもたれたまま、転ばないように足に力を入れた。
ただそれだけだった。
「せーの!」
ぐっ、と押す。
――ずるっ。
車輪が抜けた。
「抜けた!?」
「今のは……!」
兵士が目を見開く。
「一箇所を固定しただけで……!」
「荷重の逃げ道を作ったのか……!?」
「偶然ではない……!」
商人が震える。
「地面の構造を読んだ……?」
「……」
ユウは何も言わない。
(たまたまです)
「……はい」
小さく、肯定してしまった。
「……っ」
「やはり……!」
「説明すらしない……!」
「当然だからか……!」
「違うんだってば!!」
ケンジが叫んだ。
「こいつただ休んでただけだから! 靴汚したくなかっただけだから!」
「お父上」
兵士が静かに言う。
「見苦しいぞ」
「なんで俺が責められる側なんだよ!?」
ミツキが満足そうに頷く。
「ユウは昔からこういう子なのよ」
「どこが!?」
再び馬車が動き出す。
空気は、完全に変わっていた。
商人の姿勢が妙に丁寧になる。
兵士たちはやたら背筋を伸ばしている。
「勇者候補殿」
「……はい」
「どのような鍛錬を?」
「……はい」
「剣術も?」
「……はい」
「魔法も?」
「……はい」
「すべてを修めておられる……!」
「なんでそうなる!?」
ケンジが崩れ落ちた。
王都が近づく。
夕日が街道を染める。
遠くに、城壁が見えた。
「ユウ、着いたらすぐ城よ」
「……はい」
「疲れてない?」
一瞬、間。
「……いいえ」
(疲れてる)
「頼もしいわね」
ミツキが微笑む。
「本物だ……」
商人が呟く。
兵士たちが静かに頷く。
ユウは、窓の外を見た。
何もしていない。
本当に何もしていない。
それなのに——
全部、勝手に意味がついていく。
「……」
言葉は出ない。
出せない。
だから、もう考えないことにした。
(……何も言わない方がいい)
沈黙が、また一つ評価を上げる。
本人の意思とは、関係なく。
城壁が、目前まで迫っていた。
(……帰りたい)
その願いだけが、やけに現実的だった。
第4話 了




