第23話「帝国宰相ヴァルケン」
帝国大使館。
王都の喧騒とは対照的に、内部は静まり返っていた。
重厚な扉の向こう、灰色の絨毯、簡素だが上質な調度。
その中央に、ヴァルケン・ロドスは立っていた。
「来たか」
低く、落ち着いた声。
レオンは一礼する。
「交渉に参りました」
「交渉か」
ヴァルケンは椅子に腰を下ろす。
「君は交渉より、計算のほうが速いだろう」
「計算は手段です」
「目的は?」
「損失回避」
ヴァルケンの口元がわずかに歪む。
「誰の」
また同じ問い。
レオンは答える。
「全体の」
「全体とは曖昧だ」
ヴァルケンは机に指を置く。
「帝国民の損失は?」
「封鎖が続けば増大します」
「王都の損失は?」
「増大します」
「ならば?」
沈黙。
レオンの視界に、最短の線が走る。
帝国通貨の信用不安を誘発。
同盟内部に疑念を流す。
共和国の債務を揺らす。
三手。
封鎖は崩れる。
帝国は後退する。
だが――
視界が白くなる。
音が遠い。
「……実行しません」
ヴァルケンが目を細める。
「なぜだ」
「世界が均質化します」
「均質化?」
「揺らぎが消えます」
ヴァルケンはしばらく黙り、やがて静かに言った。
「君は合理を恐れているのか」
「違います」
「ならば何だ」
「合理の先にあるものを」
白い世界。
無音。
無色。
夢で見た光景が脳裏をよぎる。
ヴァルケンはゆっくりと立ち上がる。
「私は合理を信じている」
「承知しています」
「合理は国家を強くする」
「同意します」
「だが」
彼はレオンの目を真っ直ぐ見る。
「合理は常に誰かを削る」
静かな言葉。
「君は削られる側だ」
レオンは否定しない。
「許容範囲です」
「嘘だ」
ヴァルケンの声は低い。
「君は既に削れている」
セレネの言葉が重なる。
『色が』
レオンは目を伏せる。
「封鎖を解く条件を提示します」
「聞こう」
「関税一部撤廃と引き換えに、帝国商会に共同市場参加枠を与えます」
「帝国を内部に入れるのか」
「排除は不安定を生みます」
「内部から崩す気か?」
「崩しません」
ヴァルケンはわずかに笑う。
「君は面白い」
「感謝します」
「だが甘い」
「承知しています」
再び沈黙。
ヴァルケンは窓の外を見る。
王都の市場が遠くに見える。
「君は市場を守りたいのだな」
「はい」
「では、帝国も守れ」
意外な言葉。
「?」
「我々の商会を救え」
レオンの視界に、新たな線が走る。
帝国市場支援。
通貨安定協力。
信用共同保証。
複雑だ。
最短ではない。
だが可能。
「……時間がかかります」
「構わん」
「損失は」
「双方にある」
ヴァルケンは手を差し出す。
「合理を暴力にしないなら、私は敵にならない」
レオンは一瞬だけ迷う。
最短ではない。
だが壊さない。
手を取る。
「暫定合意です」
◆
大使館を出ると、セレネが待っていた。
「どうでした」
「封鎖は段階的に緩和されます」
「最短を使いましたか」
「いいえ」
「なら、なぜそんな顔を」
レオンは空を見上げる。
色は薄いが、消えてはいない。
「最短を見ました」
「実行しないのに?」
「見ただけで、削れます」
セレネは息を呑む。
「それが限界ですか」
「まだです」
市場の喧騒が遠くから聞こえる。
封鎖は完全ではない。
外交は続く。
だが帝国は、完全な敵ではなくなった。
合理は力だ。
だが、力の使い方を誤れば、世界は白くなる。
レオンは歩き出す。
最短を知りながら、
あえて遠回りを選ぶ総務として。
その背中を、セレネは静かに見つめていた。
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