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冴えない私が輝く星と出会った  作者: 雪見遥
第16章 傷の中で生まれた決意

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第2話 かすかに疼く静けさ

 午後の体育の着替えの時間になると、その微妙な違和感はさらにくっきりした輪郭を持ち始めた。


 更衣室は、もともといつも騒がしい場所だった。ファスナーを下ろす音、ロッカーの扉がぶつかる音、着替えながら交わされる女の子たちの笑い声。そういうものが全部混ざり合って、むっとするくらい賑やかな空気をつくっている。


 普段なら、自然とその輪の中に引き込まれていた。昨日のドラマがつらすぎたとか、クラスの男子がまた変なことをしたとか、そんなたわいもない話をしながら、みんなで笑っていた。


 でも今日、私が更衣室に入った瞬間、さっきまで話していたはずの何人かの声が、ふっと少しだけ落ちた。ぴたりと止まったわけじゃない。ただ、誰かが無意識に音量を絞ったみたいに、急に低くなった。その変化はほんのわずかだったのに、あれだけ騒がしい空間の中では、かえってひどく目立ってしまった。


 顔を上げなかった。ただ何も気づいていないふりをして、自分のロッカーの前まで歩いていき、制服のブレザーを脱いで丁寧に掛ける。それでも、背後で視線がぶつかって、すぐに逸らされるような気配は、薄い霧みたいにじわじわとまとわりついてきた。誰かが私を見て、そして慌てて視線を引っ込める。


 ロッカーの扉を開けたとき、背中の方から、抑えた声がいくつか聞こえてきた。


「ねえ、あとで先にバドミントンのラケット取りに行く?」


「……まだ着替えないほうがいいかも」


「え、なんで?」


「ちょっと待って」


 私は振り向かなかった。ただ黙って体操服を取り出す。


 すると背後から、また別の声が小さく聞こえた。


「……あの子、あそこにいるし」


 空気がほんの一秒だけ止まった気がした。流れていたものが、誰かの手でそっと押さえつけられたみたいに。


 そして、さらに小さな声が続いた。


「……あの子って、女の子が好きなんでしょ?」


「ねえ、じゃあ今ここで着替えるの……ちょっと変じゃない?」


「だよね……」


「見られたらどうする?」


「なんか、ちょっと無理かも……」


 声をできるだけ抑えて話していた。でも、その抑えた話し方のほうが、かえってはっきり耳に残る。聞かれたくないのに、でも言わずにはいられない、そんな感じだった。


 背中を向けたまま、指先でゆっくりシャツのボタンを外していく。動きはいつも通りで、何も変わらないはずなのに、その言葉だけは、はっきりと耳に届いてしまう。


「まだ着替えないほうがいいよ」


「離れてから着替えよう」


「うん……なんか慣れないし」


「もしじっと見られたら嫌じゃない?」


「だよね……ああいう人に見られるのって……なんか気持ち悪いし」


 誰かが小さく笑った。その笑いは大きくないのに、どこかぎこちなくて、無理に軽くしようとしているみたいだった。気まずさを冗談で覆い隠そうとしているような、そんな笑い方だった。


 それ以上は、もう何も言われなかった、けれど、それだけで十分だった。


 自分のロッカーの前に立ったまま、シャツのボタンを外していた手をほんの一瞬だけ止めた。それからまた何事もなかったみたいに動かし始める。でもその瞬間だけ、指先は少しだけ言うことを聞かなかった。手が滑って、さっき外したばかりのボタンを、危うくまた留めてしまいそうになる。振り向かなかったし、彼女たちを見ることもなかった。ただ俯いたまま制服を脱いで、体操服に着替えていく。


 胸の奥に、言葉にできないような気まずさが広がっていく。こんな何でもないことまで、もう別の目で見られてしまう。


 本当に、彼女たちを見てなんかいなかった。顔すら上げていない。それなのに、警戒されているような感覚だけは、はっきりと伝わってくる。


 まるで私は、もうただの「クラスメイト」ではなくなってしまったみたいだった。そこにいるだけで意識されて、距離を取られて、少し避けられる存在。そんなふうに変わってしまった気がした。


 今、彼女たちは私を見ながら、あの日のことを思い出しているのだろうか。女の子同士で付き合うなんて、やっぱり変だと思っているのだろうか。もしかして、本当は私の前で着替えること自体、嫌だと思っているのだろうか。


 だって彼女たちの目には、私はもう「同じ女の子」じゃない。「女の子が好きな人」として見えてしまっている。


 だからきっと、私の視線も、もうただの視線としては受け取られない。何か別の意味を持つものとして、勝手に色づけられてしまう。そう思うだけで、どうしようもなく落ち着かなかった。本当なら何でもないはずの着替えさえ、急にひどく気まずいものに変わってしまう。


 そういう考えが一度浮かんでしまうと、もう止まらなかった。波のように、少しずつ、でも確実に胸の中へ満ちてくる。こんなふうに考えてはいけないって分かっている、みんながみんな、本当にそう思っているわけじゃないことだって分かっている。


 それでも、背後であんな声が交わされて、目の前であんなふうに避けられてしまったら、どうしたって心は揺れてしまう。


 私は体操服の袖を整えながら、胸の奥にぽっかりと空いたような感覚を抱えていた。まるで遠くのほうから、小さな声がそっと問いかけてくるみたいに。


 ——星奈があの日、みんなの前で私の手を取ったあの瞬間から、私はもう、みんなの中で前の私ではいられなくなってしまったのかな。


 ふと、自分が少し滑稽に思えた。


 誰かに面と向かってひどいことを言われたわけじゃない。露骨に仲間外れにされたわけでもない。表面だけ見れば、すべてはまだ穏やかで、むしろみんな十分すぎるくらい「気をつかってくれている」とすら言えるのかもしれない。笑われたわけでもない。指をさされたわけでもない。あからさまな悪意が向けられたわけでもない。


 なのに、こういう静けさのほうが、かえって痛かった。どこにもはっきりした傷口は見えないのに、そこだけずっと鈍く疼いているみたいに。言葉にできない距離感が少しずつ胸の奥に積もっていって、呼吸さえどこか浅くなっていく。


 本当に苦しいのは、きっと嵐そのものじゃない。嵐が過ぎ去ったあと、何もなかったみたいな顔をして残される、この静けさのほうなんだ。


 まるで自分だけが、透明なガラスの箱の中に閉じ込められているみたいだった。みんなの姿は見えるし、声も聞こえる。


 あの笑い声も、あの会話も、前なら当たり前みたいに私のところまで届いていたはずの日常も、全部ガラスの向こう側にある。空気の中を軽やかに行き交っているのに、そのどれ一つとして、本当には私のところまで届いてこなかった。

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