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冴えない私が輝く星と出会った  作者: 雪見遥
第15章 風の音に溶け合う守り

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第5話 終わりじゃない、立ち上がるという選択

 教室で彼女に強く抱きしめられた、あの日以来私たちは、あの聞くに堪えない言葉のことを二度と口にしなかった。忘れたわけでも、逃げたわけでもない。ただ……分かっていたのだ。もし話題にしてしまえば、私はきっとまた泣いてしまうし、彼女の眼差しも、必要以上に真剣なものになってしまう。


 その視線は、いつも私の胸を締めつける。


「もう大丈夫だよ。あなたは、ちゃんと頑張った」そう言ってあげたくなるほどに。だから私たちは、言葉にしないまま、あの傷を沈黙の奥にしまい込み、毎日のほんの小さな優しさで、少しずつ痛みを和らげていった。


 放課後、家へ帰る道では、星奈がいつも先に手を伸ばし、何事もなかったみたいに私の手を取る。前方から何人かの生徒がすれ違っても、視線が遠慮なく絡みついてきても、彼女はただ静かに言うだけだった。


「もう、下を向いて歩かせたりしない」


 私は何も返さず、ただ黙って、さっきよりも強く彼女の手を握り返す。いつも、私が沈みかけるその瞬間に、柔らかく、それでいて確かな力で、闇の底から引き上げてくれる。その勇気は、まるで私全体を包み込むみたいで、「生きている」ということが、まだ光を持っているのだと、思い出させてくれた。


 けれど私は知っていた。物事は……まだ本当には終わっていない。


 ***


 その日の放課後、私は宿題のサインの件で、先生に呼ばれて職員室へ行っていた。教室を出るころには空はすでに薄暗くなり、廊下にはまだ帰っていない数人の生徒の気配だけが残っている。夕暮れ特有の静けさと、ひんやりとした空気が漂っていた。


 私は静かに階段を下り、校舎を出ようとした。そのとき、踊り場の向こうから、聞き覚えのある笑い声がいくつも重なって響いてきた。胸がきゅっと縮み、反射的に俯いて、歩調を速める。


「あれ? あのレズ佐藤じゃない?」


「また一人なの〜? 今日は彼女、護衛に来てないの?」


「やめなよ〜。今日はヒーローが助けに来るのを待ってるのかもよ〜」


 笑いを含んだその声は、鋭くて、耳障りで、細い針みたいに胸の奥へ突き刺さる。


 私は唇を噛み、聞こえないふりをして、足をさらに速めた。けれど、わざと距離を詰めるように、誰かが後ろから歩調を上げてくる。靴底が階段を擦る音が、じわじわと背後から迫ってきた。


「……そんなに急いでどうしたの? やましいことでもあるわけ?」


 階段を駆け下りて逃げ出そうとした、その瞬間、冷えた刃物みたいな一言が、突然、あの笑い声を真っ二つに切り裂いた。


「何をした?」


 その声は大きくはないのに、空気を一瞬で凍りつかせるような圧を帯びていた。


 私ははっと振り返る。階段の上には星奈が立っていた。長い髪がわずかに風に揺れ、視線は冬の夜風みたいに冷たい。夕焼けを背にした逆光の中、そのシルエットはあまりにもはっきりとしていて、思わず目を逸らしたくなるほどだった。


 彼女は急ぐこともなく、ためらうこともなく、一段ずつ階段を下りてくる。声は相変わらず落ち着いているのに、その一言一言が、冷え切った刃のように震えていた。


「言いなさい。さっき、何を言ったの? 何をした?」


 突然の登場に、数人の男子は完全に不意を突かれたようだった。からかうようだった表情は一瞬で崩れ、気まずさと動揺が浮かぶ。慌てて手を振り、へらへらと笑いながら言い訳を始める。


「え、ええ? 誤解だって〜。冗談だよ、神崎さん。そんなに本気になることないでしょ……」


「そういう『冗談』が嫌い」


 その声に、もう柔らかさはなかった。鋭く、端的で、逃げ道を与えない響き。次の瞬間、星奈は私の隣まで歩み寄り、迷いなく一歩前に出る。そして、私をその背中で完全に庇った。


 私は、背中を見つめていた。風の中でも一歩も引かず、視線も言葉もすべてを引き受けるように立つ、その姿を。


「この学校で、これからも顔を上げて過ごしたいなら、覚えておきなさい」


 彼女の眼差しは刃物のように冷たく、男たち一人一人を静かに射抜く。


「二度と触れない。二度と、口にもしない」


 語調はゆっくりで、声を荒らげることもない。けれど、その場の空気には、目に見えない一本の境界線がはっきりと引かれていた。重苦しい沈黙が落ち、誰も言葉を返せない。


 数秒後、男たちは気まずそうに笑い合い、興ざめしたように背を向けて去っていった。


 星奈は振り返って私を見る。瞳にはまだ怒りが残っていたけれど、その奥には、それを必死に抑え込むような痛みと心配が滲んでいた。


「大丈夫……私がいる」


 私は彼女の顔を見つめたまま、言葉を失っていた。心臓の鼓動が速すぎて、胸の外に飛び出してしまいそうだった。


 そのとき、私はようやく気づいた。この想いは、ただ好き合っているだけじゃない。彼女は、私を守るために、私たちの関係を守るために、世界を相手取ることすら厭わないのだと。


 肩を並べて立つ、その感覚。それはどんな言葉よりも、信じたいと思わせるものだった。


 あの日の黄昏は、まるで私たちのためだけに用意された舞台みたいだった。夕陽は沈み、空はゆっくりと暗さを深めていく。その光と闇の境目で、私は初めて「勇気」というものの温度を知った。


 これから先、どれだけの嵐が待っているのかは分からない。それでも、星奈がそばにいてくれるなら。私はきっと、また立ち上がれる。

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