旅立ち
ここから三部です。
ラインハルトたちが帰ってからきっちり二週間後、お妃様レースの時と同じように、大公家の馬車が迎えに来てくれた。
今度は従者まで付いている。
しっかりとした体つきの青年だ。
どこかで見たことがある。
少し考えて、ランスだと気づいた。
びっくりする。
(どうして従者の格好を?)
わたしは困惑した。
そんなわたしを見て、ランスはルイスからの手紙を差し出す。
わたしはその場で手紙を開封した。
手で手紙を開けたわたしを執事が渋い顔で見る。
(ごめんなさい)
わたしは心の中で謝った。
だが、開けてもらうまでなんて待てない。
ランスに何かあったのではないかと心配した。
正確には、ランスと結婚するルティシアのことを案じる。
夫に何かあったら、妻は大変な思いをする。
手紙には、安全のためにランスを従者としてつけると書いてあった。
どうやら、仕事として従者のふりをさせられているらしい。
(お妃様レースの時にはニセ王子様。今回は従者。ランスってコスプレ要員なのかしら?)
暢気なことを考えてしまったが、そんな場合ではないだろう。
数日前、迎えの馬車を出す旨を知らせる手紙がルイスから届いた。
そこには最近の王宮の様子が書き添えてある。
ラインハルトの結婚が決まり、王宮はざわついているそうだ。
国王の妃である王妃たちがピリついているらしい。
二人の王妃は、一度はわが子が国王になることを諦めた。
現国王の第三王子贔屓は露骨で、自分たちの息子にはチャンスがないのは誰の目にも明らかだ。
だが、そのラインハルトは年頃になっても結婚しない。
次期国王になるには、後継ぎとなる王子がいることが必須条件だ。
その条件を満たさなければ、どんなに溺愛されている王子でも次期国王にはなれない。
王妃は一度諦めた夢を再び抱いてしまった。
自分の息子はすでに跡継ぎである王子を儲けていて、次期国王の資格を持っている。
しかしラインハルトの結婚が決まってしまった。
それも本人が強く望んでいた。
婚姻の準備のために遠い故郷に帰ってしまった婚約者を追いかけるほど溺愛していると、すでに城では噂になっているらしい。
お子様に恵まれるのも遠い話ではないだろうと評判になっているそうだ。
ずいぶん勝手なことを言ってくれると呆れるが、人なんてそんなものだ。
見たいものしか見ないし、信じたいものしか信じない。
そこに真実がなくても構わないのだ。
噂している人たちの多くはラインハルトに王子が誕生することを願っているのだろう。
嫁ぐ前から、わたしにはプレッシャーがかけられているようだ。
ルイスはわざと子供に関する噂を書き添えたのかもしれない。
だがルイスの本当の用件は、道中、気をつけるようにとの忠告だった。
わたしが狙われることは十分に考えられるらしい。
そしてルイスはルイスなりに手を打った。
ランスを寄こすということはわりと本気で危険な状態なのかもしれない。
気をつけようと思った。
ランスは護衛だけではなく、ちゃんと従者の仕事をしてくれる。
わたしと父の荷物を馬車に積んでくれた。
(確かランスは子爵だったはず)
男爵の荷物を子爵に運ばせるのはなんとも奇妙な話たが、今は従者なのだから仕方ない。
気にしたら身が持たないと思ったので、その件に関しては意識の外に追い出すことにした。
父にも、ランスが子爵の子息であることは言わない方がいいだろう。
気を遣わせるのは可哀想だ。
そんなランスの様子を横目で見ながら、わたしは見送ってくれるシエルに行って来ますの挨拶をした。
ランスロー家を出たらわたしはこの家の人間ではなくなってしまう。
だが、二度と会わないつもりはなかった。
何があろうと父にも弟にも会うし、ここにも一年に一度は帰ってくる。
マルクスがランスローに住むことになったのも、ルークやユーリと約束したのも、わたしにとっては幸運だったようだ。
ランスローに旅行する言い訳が出来る。
マルクスは正式にわたしの畑と土地を借りることが決まった。
家の建築も来週には始まる。
屋敷ではなく部屋数の少ない平屋の家なので、思ったより早く建つそうだ。
マルクスはかなり楽しみにしているらしい。
わたしとマルクスは手紙のやり取りをしていた。
国王の許可はすんなり出たそうだ。
どうやら、マルクスが王宮を離れるのは国王としても都合がいいらしい。
長期にわたり王宮を離れることは、次期国王になるつもりがないことのアピールにもなる。
マルクスは一年の半分はランスローに滞在するつもりのようだ。
可能なら、もっと長く居たいらしい。
王宮に出来るだけ戻りたくないというのが本音のようだ。
もともとマルクスには国王になるつもりなどない。
しかし本人にその気がないのと周りがどう思っているのかは別だ。
マルクスの母である第二王妃の実家は公爵家で、マルクスを国王にするためならどんなことでもやるらしい。
マルクスもそれがわかっているから、自分は王宮を離れたほうが良いと判断したようだ。
自分の趣味を邁進するためのわがままだと思っていたが、違ったらしい。
そんな深い考えがあるとは思わなかったので、軽く考えていたことを申し訳なく思った。
「一緒に行けないのが寂しいよ」
シエルはしんみりする。
「わたしもよ。でも、会えなくなるわけでも帰って来られなくなるわけでもないわ」
わたしはそっとシエルの頬に触れた。
自分のことより、シエルが心配でならない。
狙われるのはわたしより弟の方ではないかと思った。
わたしを知る人なら、その方が本人を狙うより効果があることを知っている。
「何があるかわからないから、戸締りには十分に気をつけてね。父様が留守の間はアークに泊まりこんでもらうことになっているから大丈夫だとは思うけど」
父の留守中、アークはこの家に泊まってくれることになっていた。
幸い、ここは田舎だ。
みんな顔見知りなので、知らない人間は目立つ。
怪しい人がいたら、直ぐに知れ渡るだろう。
それが二人、三人となればなおさら目立つ。
何かするにしても大人数で動くことは考え難かった。
こちらの人数が一人でも増えれば、防犯的には効果がある。
「僕は大丈夫だから、姉さんは自分の心配をして」
シエルは苦笑した。
「そうね」
わたしも苦く笑う。
シエルに見送られ、わたしと父はランスローを出発した。
お妃様レースの時とはだいぶ違う気持ちで、わたしは故郷を後にする。
振り返ったら泣いてしまう気がして、後ろは見られなかった。
本当に狙われているかどうかは別にして、ルイスは万一に備えて準備をするタイプです。