28.認識
この先、私は人を愛することができないかもしれない。
それどころか、誰かを信じることさえ。
「入るぜ」
「入室を許可した覚えはないわよ」
ドアを開けてからノックするという無礼さを発揮した従兄を、エヴリーヌはじろりと睨む。
おおこわっとおどけているが、ヴィクターに何か依頼した覚えはない。
現在、情報はエドガーにすべて集約されるようになっている。必要があれば、伝えられるはずだ。先日の侯爵家の調査のような個人的なものならともかく。
「何か用? あなたの相手をするほど暇ではないのだけれど」
「そう言いながら、持ってる本、1ページも進んでないくせに?」
いつから見られていたのか。
内心苦々しく思いながら、集中できていないのは確かなので否定はしない。肯定するのも癪なのでしないけれども。
溜息をついて、本を閉じる。
「それで? 用件は?」
「なんか、ギスギスしてんな。きれーな顔が台無しだぜ?」
「はぐらかさないで。何もないのに来るほど、あなただって暇じゃないでしょう」
「まーそこそこやることはあるわなー」
相変わらず、本題に入るまでが長い。
父にもこうなのかと聞いたことがあるが、そんなことはないらしい。
今はあまり、人と関わりたくないというのに。
メアリでさえ、私が呼ぶまで側にもいない。多分、1人になりたいというエヴリーヌの気持ちを察して。
「エヴリーヌ」
ヴィクターが改まった呼び方をするのが滅多にないので、思わず視線を向けた。これまた珍しく、真面目な顔をしている。
「…何?」
「例の、侯爵家の坊ちゃんと何かあったのか?」
「…何もないけれど」
「本当に?」
「むしろ何故そんなことを聞くの?」
本当に何もなかった。
ロイドは何もしていない。
問題があるのは、エヴリーヌの心の中だから。
「様子がおかしいってさ」
みんな心配してると、ヴィクターは言う。その従兄も、らしくなく心配そうな顔をして。
虚を突かれたとはこういうことをいうのだろう。
「ああもう…!」
いつまで思い悩んでいるのだ!と自分自身に渇を入れる。
ここにいるのは、エヴリーヌが生まれたときから仕えているものがほとんどだ。私の悩みに、葛藤に、気付かないはずがなかった。
何も話さないのに、何もない風を装って、私を思ってくれる人たちに、心配をかけている。
誰も何も聞かないのは、信頼もあるだろうが、エヴリーヌの意思を尊重してくれているからだ。
それに、私が甘えていただけなのだ。
「ヴィクター、行くわよ」
「え、どこに」
「いいからついてきなさい」
「お姫様の仰せの通りに」
気障な仕草で、ボウアンドスクレープを披露する従兄。
誰がお姫様よ。
「ここって、お前」
「数日前に来たばかりよ」
「…だよな」
私の行動が筒抜けなのは、今に始まったことではない。ヴィクターはそういう役目なのだし、今更気にもしない。
ロイドに誘われたローズガーデン。何故ここに?とその目は語っている。
薔薇は変わらず美しく咲いていて、訪れる者の目を楽しませている。
「置いていくわよ」
「あ、待てよ!」
迷いなく進むエヴリーヌに、感心しながら周囲を見ていたヴィクターが慌てて追いかけてくる。
奥に行くにつれ、人気がなくなってくる。やはり、目に鮮やかな方が好まれるのか。
さほど間を置かず開けた場所に出て、気持ちが落ち着いてきた。初めて見たときほどの感動はないけれど。
底の見えない湖面に、自分の内面を見たような、あのときのような揺らぎも。
「──ヴィクター」
「ん?」
「私ね、やっと気付いたの。自分が、誰も信じられないことに」
多分に前世の影響だから、すべて話すことはできない。許してくれる従兄に甘えている自覚もある。
「家族は別。今、屋敷にいる人たちも。あなたや、近しい人も。でも、他の人は」
「……それって、」
「別に、何か言われたわけでも、されたわけでもないの」
ただ、純粋な善意を素直に受け取れない自分に、気付いただけ。
これからも、誰も信じられないままなのだろうかと、どうしようもない感情を抱いただけ。
それだけのことだったのに、自分でも解きようのない思いで、私を思う人たちを思い煩わせてどうするのだ。
私が大切にすべきなのは、なに?
今、大切なのは?
そんなの、答えは決まっていたのに。
「──あんま、難しく考える必要はないんじゃねえの?」
「…え?」
「信頼なんざ、昨日今日で築けるもんじゃないだろ? 自分でどうしようもなくね? お前が特別人間不信ってわけじゃないと思うけどな」
そして、明快すぎるヴィクターの言葉に、狭まっていた視界が開けたような気がする。
この従兄は、分かりやすくていい。昔から。
「それに、他の人間が信用できないってんならさ。──俺にしとけば?」
「またそれ?」
何度か冗談めかして言われた台詞。
気落ちしている私を和ませようとしたのだろうと、何気なく隣を見ると。
「…待って」
「冗談だと思うか?」
「いえ、本当に待って」
「俺は、ずっと本気だった」
この上なく、真剣な顔で、見たことない男の顔で、エヴリーヌを見る従兄がいた。




