27.笑顔
取り敢えず、シェンデル侯爵家の内情を調べさせたのだが、何も出てこなかった。どこにでもある貴族家だ。
侯爵本人はもちろんのこと、夫人、令息共に素行も問題はなかった。借金があるわけでも、財政が傾いているわけでも、何かの介入があったわけでもなく。
それでは今回の件は、単に令息個人の意思だということだろうか。
公爵令嬢だったときは利用価値があるからか、擦り寄ってくる人間もいたが、今の私にどんなメリットが?
手紙には公演のチケットが同封されていて、返信不要、ご都合が合えばという誘いだ。私が来ても来なくても構わないというスタンス。
ますます、目的が分からない。
非礼を承知で、敢えて額面通りに受け取って返信しなかった。
真意を確かめるには誘いに乗ってみるしかないだろうとの結論で、護衛を連れて行ってみたけれど。
ロイドはエヴリーヌを責めるどころか、姿を見せたことにほっとしたような顔をしていた。
久しぶりの観劇だったが、何というか普通に楽しかった。よくある大衆劇で、内容こそ知っていたものの、演者で随分印象が変わるものだと感心しながら。
それとなく、令息を観察していたが、彼も観劇を楽しんでいただけだった。席は隣だったが、話しをしたのは、公演前と後のみ。そして劇場で別れた。本当に何なの。
それから1か月ほどして、また誘いが来た。今度は、水生庭園をご一緒にと。
場所は、ブラントでも有名なローズガーデンも併設されているところだ。
先日は目的も何も分からないままだったが、この際、ロイドに直接尋ねてみることにする。要らぬ気を回すのが面倒になったともいう。
「こんにちは、エヴァさん」
「ごきげんよう、シェンデル様」
「来ていただけて嬉しいです」
屈託なく笑うロイドに毒気を抜かれる。どこを探しても、他意など見えない。エヴリーヌが穿ち過ぎなのだろうか。
ちなみに、家族間以外では、私も母も略称のような通り名を使っている。
母はキャシー、私はエヴァというように。
「こちらの国に来られたばかりと聞いていますので、ご案内します。…女性は、華やかなローズガーデンの方に惹かれるかもしれませんが」
そういえば、ローズガーデンの方が有名なのに、ロイドの手紙には水生庭園とあった。
「少し、奥まったところにあるので」
私の歩調に合わせて、ゆっくりとロイドは歩く。
入って間もなく、色とりどりの薔薇が見えてきた。
左右対称の、見事な整形式庭園。色彩バランスも素晴らしい。アーチや生垣、木々の配置が計算し尽くされた美しさだ。
「腕のいい職人の方がいらっしゃるようですね」
「そのようです。季節ごとに特色もあって、いつ来ても楽しめるようになってます」
開花最盛期でもないのに、混雑というほどではないにしても人がいるのはそういうことか。急かされることなく鑑賞できるので、エヴリーヌとしてはその方がいいが。
そういえば、これほど穏やかな気持ちで景色を眺めるのも、久しくなかった気がする。出国してからも、慌ただしい日々を自覚なく送っていたような。
「こちらです」
薔薇以外にも、季節の花が植えられているようで、エヴリーヌの目を楽しませる。
徐々に、黄色やピンクといった明るい色から緑の割合が増えていき、順路に沿って行くと一気に開けた場所に出た。
「…!」
広がる景色に、エヴリーヌは息を呑んだ。
樹木に囲まれた、見渡す限りの湖面。周辺に群生している、マゼンダピンクの花。
薔薇のような華やかさはない。控えめに、それでも咲き誇っている花々に圧倒される。
「──…エヴァさんを初めて見たあの演奏会。周囲は熱狂と感動に包まれていたのに、あなただけが違った」
静かな美しさが、心まで染み入るよう。
「どうして、そんな痛みを堪えるような…哀しそうな顔をするんだろうって。そんな風に泣く人を、見たことがなかったので」
それで気になったのでしょうか、とロイドは言う。
「エヴァさんのためとかではなくて、僕があなたの笑顔を見てみたかったんです」
たぶん、エヴリーヌは自然に笑みを浮かべていたのだと思う。
私の笑顔を見てみたかっただけだと、ロイドは言った。
本当にそれだけだったのだと。
それに、打ちのめされたような気持ちになる。
人の好意を、厚意を、何か他意が、裏があるのではないかと。
私を何かに利用しようとしているのではないかと。
私を通じて、家族を利用しようとしているのではないかと。
他に何か目的があるのではないかと。
信用させて裏切るつもりではないかと。
近づく人間すべてが、そうではないことは分かっているのに。
人間がすべて悪意に塗れているわけではないことも分かっているのに。
善良な人間が存在することも、分かっているのに。
──…頭では、理解しているのに。
いつも心のどこかで、疑ってしまう。
頭の片隅にこびりついて、離れない。
クロヴィスへの愛が砕けたとき。
エヴリーヌの中の、人を愛する気持ちごと、人を信じる気持ちまで、砕けてしまったかのように──。
ここでやっとタイトル回収。




