25.想到─ミランダ視点
『ミラは、素直すぎるから心配だなあ』
それが、3つ年上の兄レナートの口癖だった。幼い頃から、何かにつけ言われた言葉は、学院に入学した今でも変わりない。
ミランダは、自分が直情型の人間であることは理解していた。というより、理解するようになった。
どうしても、胸の内に秘めておくことができず、勢いで発言しては落ち込むこともしばしば。
高位貴族として教育を受けていても、感情の制御だけはどうにもうまくいっていない。
だからこそ、兄は未だに、癇癪を起こして騒いでいたあの頃と同じ目を向けるのだろう。原因があの頃と違っていても。
「ミラ、入学式で騒ぎを起こしたって? アストレイ家の令嬢と」
「ど、どうして、そのことをご存じなのです、お兄様っ」
「………そういうとこだよ、ミラ」
呆れた目を兄に向けられ、ミランダは自分が失言したことに気付く。
学院を卒業している兄が知るはずがないことに動揺して、肯定するも同然の答えを返したのだ。
「おおよそは聞いてるけど、ミラはその衝動で発言する癖を直さないと、社交界で苦労するよ?」
「分かっては、いるのですが…」
「まあ、正直ミラにはそのままでいてほしい気持ちもあるけどね」
「……ですが、公爵家としては」
「うーん…その辺りも含めて、ミラを任せられる人がいれば」
難しい顔をする兄に、複雑な気持ちになる。
この国の3公爵家、アストレイ家は王家と縁を結んでいるし、アシャール家も婚約者は選定していないが、オールドリッジ家とは事情が異なる。
学院入学時には、半数以上が婚約者を決めている。
噂を鵜呑みにして、王太子の婚約者を狙っている家門も一部あるようではあるが。
「それ以前に、ミラをちゃんと見てくれる人じゃないとな。噂に踊らされてるようなのは問題外だね」
意図的にせよ、悪意にせよ、一度流れた風評というものは、簡単に払拭できるほど軽いものではない。真偽も確認せず、噂を信じる者は少なくないのだ。
──ミランダは、5歳のときにつけられた家庭教師と合わなかった。相性以前に、教師の思い通りにならないと鞭で叩かれる、その痛みと恐怖心が、ミランダに暴れるという行為で抵抗する事態を引き起こした。
その教師も、気に入らない生徒だけに体罰を加え、柔らかい口調で脅迫していたため、ミランダのことがあるまで表沙汰にならなかったらしい。
解雇された後に元家庭教師は、卑怯にもミランダに関する悪評を流した。公爵家が手を打っても、流れた噂までは消しようがなかった。
それが今でも先入観として残っている。
「…噂といえば」
「うん?」
「アストレイ家のエヴリーヌ様、噂とぜんぜん違いましたわ」
エヴリーヌ=アストレイ。アストレイ公爵家の嫡女。王太子殿下の婚約者。
学力は平均、対人能力も低く、語学も難航。王太子妃教育も進みが悪く、教師が頭を抱えている。学院卒業までに婚約解消になる可能性もあるかもしれない。
そんな噂が、まことしやかに社交界に流れている。
「そうなのか?」
「ええ。わたくしの暴言も笑顔でさらりとあしらわれて」
入学式でクラス編成を見たとき、あの噂は本当だったのかと、ミランダは勢いで詰め寄ってしまったのだ。別段、王太子の婚約者を狙っていたわけではないのだが。
銀色の長いストレートの髪、海の碧を思わせる深い色の目、あれほど綺麗なひとは、家族以外で初めて見た。
ミランダの周りは、男女問わず、笑顔を浮かべていても、どこか他意が見えるようで気持ち悪い人しかいなかった。
真っ直ぐに、ミランダを見る綺麗なひと。
「へえ…だとしたら、それはあまり他言しない方がいいかも」
「何故ですの?」
「アストレイ嬢が、望んで今の状況になってるかもしれないからさ」
「?? よく分かりませんわ。分かるように言ってください、お兄様」
「いいよ、ミラはそのままで」
訳の分からないことを言うレナートに疑問符を浮かべながらも、兄の言うことに間違いはないので、ミランダも頷いておいた。
それからしばらくして、エヴリーヌが事故にあったり婚約解消になったり、Aクラスの令嬢たちが退学になったりと話題に事欠かなかった。
アストレイ家が爵位返上したというのも、社交界を騒がせた。一族がヘーゼルダイン国を出たというのも。
エヴリーヌたちがいなくなった学院は、少し変わったのだと思う。
必然的に行われたクラス編成もだが、どことなく、空気が違うというか。あまり人の裏など読むことが苦手なミランダに、細かい違いは分からない。
心のどこかに空虚感のようなものを抱えながら、ミランダは変わり映えのしない日々を送っている。
その空虚感が何かは、分からなかったけれど。
ある日、ミランダ宛に小包が届いた。
オールドリッジ家に表立って敵対する家門はないが、やはり公爵家なのでいろいろあったりする。
なので、ミランダ宛とはいえ、開封して危険物でないことを確認された上で渡されるのだが。
封蝋はなく、差出人は名前だけ。
──エヴリーヌからだった。
今は帝国にいるはずの彼女は、落ち着いたら手紙を書くと言っていた。初めて届いた手紙に、ミランダは心の中に満たされる何かがあるのを感じる。
中は、近況とミランダが元気にしているかという、シンプルな内容の手紙と。
「……香水?」
ミランダをイメージして作ってみたから、よかったら使ってみてと締めくくられていた。
開封して確認してみると、優しい香りが漂ってくる。
「わたくし、こんなに優しい香りが似合うと思われてたの…」
つけてみると、涙が溢れそうになる。
ああ、自分は淋しかったのだ。
唯一、家族以外で心を許せそうな、友人になりたかった綺麗なひとが、傍からいなくなって。
学院に友人と呼べそうな人も、いるけれど。
やっぱり、彼女にしか埋められない何かがあったのだと。
もっと早く気付けばよかった。




