24.懐古
「──それで、何がどうなって、こんなことになったんです?」
エヴリーヌは久しぶりにドレスを着て、ブラントで最も規模が大きいといわれる、ミュージックホールに向かっていた。
同じくドレスアップしたキャロラインは、観客側ではなく、演奏側だったりする。
突然、演奏会を開くことになったのよと言われた私は、経緯を聞く前に現地まで連行されることになったのだ。
「何度か、ジャネットに誘われてお茶会に参加したのは知ってるわよね?」
「はい。この国の貴族夫人の集まりで、その時点で疑問だったのですが」
ジャネットもだが、キャロラインの今の身分は平民である。何故と思うエヴリーヌの感覚の方が普通のはずだ。
「そうね、ドレスショップで絡まれたのが始まりだったかしら」
不穏な出だしだ。まったく意に介していない辺りが、キャロラインのキャロラインたる所以である。
「ほら、わたくしたちって今は平民じゃない? 格の高い店に平民風情が、てね」
「ああ…どこにでもいるものですね」
「お店からすれば、等しくお客なのにねぇ」
呆れたように溜息をつく母。
その後どうなったかというと、叔母もろともお茶会に招かれ、庶民は楽器など触れたこともないでしょう?と晒し者にしたかったらしい招待主に、1曲披露してみせたそうだ。
それも、ヴァイオリンを。
「なるほど、納得しました」
キャロラインは大抵の楽器を弾きこなせるが、中でもヴァイオリンは別格だった。生国では『天上の調べ』とまで称されたくらいに。
芸術を解する心に国境はないのねとしみじみ思うエヴリーヌだ。
それからの展開は聞かずとも分かる。
ジャネットから、この国でもキャロラインの信者が着々と増えていると聞かされたとき、母のカリスマ性が留まるところを知らないなとほんの少し恐怖を覚えたものだ。
「それにしても、イヴの作ったこの香り、とても好きよ。いっそ香水で起業するのはどう?」
「気に入っていただいたのは嬉しいですが、単なる趣味ですし」
あれから何度か試作を重ねて、ようやく満足いくものが作れたので、キャロラインにエドガー、侍女たちにも贈ったら大層喜ばれた。
それに、あくまで個人のイメージで作っているので、不特定多数に向けて販売しようと思わない。
例えば母がつけているのは、エヴリーヌの思う、キャロラインのイメージを香水にしてみただけ。私にとってはそれだけのこと。
関りのあった令嬢たちにもそれぞれのイメージで作ったものを送ったが、そろそろ着いた頃だろうか。
エヴリーヌは観客側なので、キャロラインとは楽屋で別れ、指定された席につく。チケットは完売だったとのこと。
ブラントでは無名のはずなのにと思ったが、深く考えるのはやめた。母のことだし。
キャロラインと馬車で一緒に来たので、やはり開演まで時間がある。手持無沙汰になりつつ、母からもらったパンフレットを眺め、ゆったり過ごす。
こうして待つ時間は嫌いじゃない。始まるまでの期待と、気持ちを落ち着ける時間は。
やがて、ちらほらと客席が埋まり始める。このホールは定員500席だが、それ以上の人数が来る可能性があるとのこと。
…どんな前評判が広がったのか、とても興味がある。後で、ジャネットにでも聞いてみよう。きっと今日も来ているだろうし。
つらつらと思考を巡らせていると、いつの間にか席はすべて埋まり、通路にも人がいるようだった。
始まる前までは、人の話し声で賑わっていたホールも、ひとたび開演すると、響くのは奏者の音のみで。
キャロラインの音を聴くのはいつぶりだっただろうかと、目を閉じてエヴリーヌは聴き入る。
前世でヴァイオリンを教わったのは、5歳の頃。始めは当然だが上手く音さえ出せなくて、騒音が徐々に綺麗な音に変わるのが楽しかった。
私がヴァイオリンを弾いているときは、母はピアノで伴奏だったから、たまにしか弾いてくれなかったが、キャロラインの音が本当に好きだった。今でも。
曲調は明るいのに、あの頃のことまで思い出してしまった。
演奏が終わったと同時に、万雷の拍手。周囲は熱狂しているのに、久しく聴いていなかった音が、私の好きな音が、何故か哀しくて。
「──…よろしければ、どうぞ」
声をかけられ、見上げると、心配そうな顔をした見知らぬ男性がハンカチを差し出している。
「…?」
どうして私に?という疑問が浮かんでいたのだろうか。
「感動的な演奏でしたけど、あなたはそういうのではなさそうでしたから。…要らぬ気遣いでしたら申し訳ありません」
言われて初めて、自分が泣いていることに気付いた。




