21.不可欠─シリウス視点
「やけにあっさり引き下がったじゃないですか」
シドの顔には、不信と疑問がありありと浮かんでいる。普段は分かりやすく表情に出すことのない男が。これまでかけた時間と労力を考えると、無理もないか。
エヴリーヌの答えは『否』。エドガーやキャロラインと相談の素振りもなく、また彼女の決定に何の異も唱えることなく。そこにあるのは、絶対的な信頼なのだろう。
「言いたいことは分かるが、私はこれ以上彼らに手を出す気はないよ」
「わざわざ自らあんな小国に足を運んでまで、調べてたのにですか?」
シドの指摘通り、シリウスが現地に赴く必要などなかった。調査結果を待てばいいのだから。
簡単に行ける距離ではないというのもある。帝国最速の船でも5日はかかる上に、海路は必ずしも安全な道行きでもない。
「俺はてっきり、彼女を皇太子妃にでも迎えるのかと思ってましたよ」
「…殿下が女性に興味を持たれるのは、初めてでしたしね」
肩を竦めるシドと同意見らしいエリン。まあそう勘繰られても仕方ない。
「そうだな。直に会うまで、その考えがなかったわけではないが…」
「何です? 会って期待外れだったからってわけじゃないんでしょう?」
「お前にしては珍しく買っているな」
時に軽薄な態度で人に接するが、その実、シドほど警戒心の強い人間もそうはいない。人に対する評価も甘くないどころか、社交辞令でさえ称賛など聞いたことがない。身内の間なら尚更。
それでも社交界をそつなく渡っていっているのは、人のあしらい方に秀でているからだ。
「──大抵の人間は子供には油断するし、警戒しててもどこかで気が緩むものです。普通はね。でもあの家族、まったく揺らぐことがなかったんですよ。それも、自然体で。俺の正体見抜かれたのも初めてでしたし。
あとは、俺の豹変にも、泣き落としにも全然崩れなかったことでしょうか。動揺させることさえできませんでした。どんな教育受けたらああなるんですかね」
何があっても波立たない湖面のようで、下手な王族より読みにくいとシドは零している。
「確かに、彼女なら皇族の妃も務まるだろうな」
「でしたら」
「適性や器量の問題ではない」
本当に、どんな環境でどんな経験をしたら、彼女のような人間になるのか。短い邂逅ではあったが、その短い間でも窺い知れた。彼女、エヴリーヌは、家族以外には心を許さないだろうことが。他者を、そうと分からないように、だが完璧に拒絶していた。
自分の意に染まぬことを強要されようものなら、潔く死を選ぶような意志の強い目。
誰にも、何者にも屈しない誇り高さ。
惜しいと思わなくもない。
打算や損得で動くようなら、話しは簡単だった。そういった類の人間は、契約さえ交わしてしまえば、ある程度の働きが期待できる。エヴリーヌたちが当て嵌まらないことは、話す前から分かりきっていたことであるが。
シリウスの、帝国皇族の婚約者と聞いても、困惑はあれど、利用しようとする野心は欠片もなかった。それは、地位や権力に興味がなく、同時に屈しないということも意味している。
そして何よりも障害だと感じたのは、信頼を築くことが難しいという点だ。易々と人を信じるのは論外にしても、こちら側に引き込むならば、最低でもそれは不可欠だ。
でなければ、いつまでもお互いが探り合いになる。
「それに、気の進まない者に強制したところで、反感や不満を持たせるだけだ」
「ま、そっちの方が面倒ではありますね」
反感や不満は、目に見えないからこそ厄介だ。
有能な者であるほど、綺麗に内心を押し隠し、ここぞというときに裏切る。機を見計らい、最もこちらの痛手になることを、実行するのだ。
完全な味方になることがないのならば、敵対しないことが肝要である。そのために、相手の望まないことを強いるのは、愚策に他ならない。
シドもよくよくそのことを理解しているので、反論はしない。
「では、このまま諦める方向で?」
「そのつもりだ。これ以上は、労多くして益なしなのは目に見えている。潮時だな」
「エヴリーヌだけじゃなくて、エドガーやキャロラインも優秀な人材なだけに、もったいないですねえ」
「──シド」
側近のいかにも残念そうな口振りに、ここはきっちり釘を刺しておいた方がよさそうだと、シリウスは思った。
「何を考えてるかは追及しないが、やめておけ。あの中の誰か1人でも利用しようとしたら、一斉に牙を剥いてくるぞ」
そもそも利用しようとする前に気付かれそうではあるが。
「りょうかーい」
「……シド」
「ちゃんと分かってますって。彼女たちがいようがいまいが、俺らのやることは変わらないんですし」
「その通りだ」
ディールの国王を罷免するだけの材料は既に手にある。
できれば、エヴリーヌたちのように、国や民を思う人間に統治を任せたかったが、それは単にシリウス側の事情である。
──元アストレイ公爵領を視察したときに、改めて思ったのだ。
国民ひとりひとりが生き生きと働き、幸せを日々実感できるような、そんな国にしたいと。
シリウスの目指す先が、完成形が、そこにはあったから。




