20.腐敗
シドの懇願に負けたわけではないが、会わずにこの先何度も接触してくる可能性と秤にかけ、どちらに傾いたかは、帝国にいる時点でお察しというわけだ。いつまでも、動向を監視されているようでいい気持ちはしないし。
帝都に到着して間を置かずに、私たちは貴族の屋敷らしき場所に案内された。シドの言う主、帝国の皇太子と対面と相成ったわけだが。
「まずは側近たちの非礼を詫びよう。私は、シリウス=ライゼ=ノイベルトという。いろいろと不都合があるので、軽々に名を出すなと言い含めてあるのは事実だが」
詳細を聞いたらしいシリウスが側近、船上では顔立ちの分からなかったエリン、それにシドを睥睨すると、2人揃って視線を逸らす。
噂に聞く美貌は笑みを浮かべているのに、静かな怒りが透けて見えるようである。
「確かに、会って名乗るのが礼儀とも言ったな。…で、誰がどんな我儘を言ったと?」
「申し訳ございません…」
「いやその、悪ノリしてすみません。面白くてつい」
「必要以上に話を拗れさせるな」
シリウスは呆れを含んだ溜息をつく。
エリンは職務に忠実といった風だが、シドは絶対に違う。それに謝ってるのかどうなのか。反省はしてなさそう。
つまり、絶対に名前を教えるなと厳命されていたわけではなかったわけだ。まあ普通に名前を知らされたところで、信憑性がね…。
皇族の名を騙る勇気のある者がいたら、それはそれで度胸があるともいえるけれど。発覚イコール極刑だから。
「お話を伺う前に、失礼ながら、私は帝国の皇太子殿下のお顔を存じ上げません。何か証明できるものをお持ちでしょうか」
帝国の皇族の姿絵など一切出回っていない。かろうじて、名前だけが周知されている程度だ。
対応は、用件があるらしい私がしている。エドガーとキャロラインは近くのソファで成り行きを見守っている。
「シド」
「へーい」
シドが気安い返事と共に、シリウスから受け取ったものをエヴリーヌに見せる。帝国皇族の印章。
王妃教育がこんなところで役に立つとは思わなかった。王族だけが閲覧できる他国の資料。尤も、教育は印章そのものではなく帝国を象徴する印であったが。
通常持ち出すものではないのでは?と思うも、追及は無意味と頷くだけに留める。
「大変ご無礼をいたしました。お許しいただけますでしょうか?」
「構わない。君くらい慎重な方がこちらとしても話しやすい」
鷹揚な態度なシリウスに、胸を撫で下ろす。場所が場所なら、不敬罪で投獄されてもおかしくなかった。いや平民なら切り捨てられてもおかしくないのか。
「本題から、話そうか。──エヴリーヌ=アストレイ。君に、私の婚約者になってもらいたい」
「……恐れながら、今一度お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「畏まった話し方は不要だ。それからこれは、契約と取ってもらっていい」
「詳しいご説明を、お願いできますか?」
何故、平民となったエヴリーヌに、帝国の皇太子ともあろうものが、婚約など申し込んでくるのだ。それも、契約だと?
元の身分だとて、帝国からすれば、小国の公爵令嬢に過ぎないのだ。とても釣り合わない。
「そうだな…まず君は、帝国にどれだけの国があるか知っているか?」
「この大陸で、30国でしょうか」
「そうだ。すべて帝国領だが、中にはディールのように、帝国の目をかいくぐって犯罪が横行している国も少なくない。今の帝国を例えるなら、熟しきった果実といったところか」
完熟期を過ぎて、あとは腐るだけということか。いや、既に腐り始めていると言いたいのかもしれない。
「帝国は大きくなりすぎた。腐敗が進んでいるのは、目が届かないせいもある。だからといって小国を切り捨てるわけにもいかない」
帝国が圧倒的武力でもって支配しているからこそ、この大陸で戦争が起きることはない。支配とみるか、庇護とみるかは国力にもよるだろう。
戦争は人間が生んだ、最も愚かな行為だとエヴリーヌは思っている。人も土地も国も疲弊させるだけの、実に愚かな。
真っ先に犠牲になるのは、無辜の民たちだということも合わせて。
「つまり皇太子殿下は、国の膿を出すのに手を貸すようおっしゃっているのでしょうか」
「さすが話が早い」
「何故、私たちなのでしょう?」
「君たちは、現状、どこの国にも属していない、帝国貴族の息もかかっていない。そして有能であることも疑いようがないからかな」
エヴリーヌは思う。この提案、拒否権はあるのだろうかと。話を聞いた後で。聞いてしまった後で。
「──事の始めは、君たちが所有していたトレイス商会だ」
心中を見透かしたかのように、シリウスは何が私たちに着目する呼び水になったのかを話し出す。
「数回だが、帝国との取引もあった。堅実で誠意ある、それでいて抜け目のない商会だった。公爵家と縁を切られたとしても、弱体化するとは思えないほどに」
インフリックも同じようなことを言っていたらしい。ほんの数回、気の抜けない取引だったと。
「6年か? その間にトレイス商会は解体。レイア商会という新興の商会が台頭していた。始めから繋がりがある前提で、エリンの部下を潜入させ、数年かかってようやく判明した辺り、実に優秀と言わざるを得ない。それも偶然の産物だったと聞くから恐れ入るな。
商会と同時に公爵家の内情も調べさせた。資産の移転も、ヘーゼルダインの王家が気付かなかったのは、君たちのやり方が巧妙だったのもあるだろうが」
シリウスはその先を言葉にしなかったが、王家も間が抜けているとでも続けたかったのだろう。間違ってはいない。無能ではないが、有能でもなかったのだ。王も王妃も、クロヴィスも。
「アストレイ家の分家もだが、亡命でもするのかと注視していた。僅かな期間だったが、留学中に君も見た」
定まらなかったパズルのピースがはまっていくよう。
「君は、知識、知恵に加え、胆力と演技力も備えた逸材だと私は踏んだ。能力を隠して、王家を欺かなければならなかった理由は、分からず仕舞いだったがな」
その答えを持っているのは、私とエドガーだけだ。キャロラインすら知らない。明かすことは決してない、理由。
「婚約者に据えるのは、私たちが動きやすくするための措置でしょうか?」
「やはりいいね。できれば、このまま私の側近として傍に置きたいくらいだ」
「身分の問題はどう対処されるおつもりで?」
「それくらいどうとでも。従属爵位はシドもエリンも所持しているしな」
話せば話すほど、逃げ道を塞がれていく気がしている。さてどうしたものか。
「無論、無償で協力しろだなどと横暴を強いるつもりはない。差し当たって、ディールの統治権などはどうだろうか。どの道、頭は挿げ替える予定なのでな」
他に希望があるなら、自分の権限の範囲でなら叶えよう。
シリウスは、そう言った。




