2.逆行
「………」
ベッドの上で目覚めた。視線を動かす。王城ではない、公爵家の、自室だと分かった。時計の針は9時を指している。朝食は済んでいるようだが、纏っているのが寝衣なのが不思議だ。
次に手をかざしてみる。最後の記憶よりも小さい手。
驚きも混乱もない。この事象に見当がついているから。
しばらくぼんやりと自室の天井を眺めていると、コンコンとノックの音がした。
「どうぞ」
「起きてるかい、イヴ」
姿を見せたのは、記憶より若い父、エドガーだった。いつもならば、とうに王城へ出仕しているはずの時間だ。このタイミングで現れたということは。
「──お父様でしたか」
時間を巻き戻したのは。
考えるまでもなかった。条件を鑑みれば、他に行使可能なものがいない。直系はあの時点で、私、父、祖母しかいなかった。祖母は領地に下がって久しく、力があっても必要なものが手元にない。
アストレイ公爵家に伝わる、『時戻りの秘法』。嫡子だけに口伝される、門外不出の秘術。
秘術というだけに、多用できるものではない。
嫡子の血と家宝の魔石、加えて、大量の犠牲がいる。命というエネルギーでもって可能となる。
記憶を持つのも、公爵家の嫡子と行使者のみ。
「しかし、どうやって魔石を隠し持ったのです?」
「飲み込んでいたのだ。投獄前に」
「…他に手段はありませんわね。確かに」
囚人は一度衣服をすべて剝ぎ取られる。武器や毒薬を隠し持っていないか、調べられるのだ。無論、口の中も。
いち早く、私が捕縛されたことを察知したらしい父は、万が一に備えて魔石を隠し持っていた。逃れられないと悟った時に飲み込んで、隠し場所を変えたのだ。身体の中に。
「さて、これからの方針について少し話をしようか、エヴリーヌ」
「はい、お父様」
父が愛称で呼ばないときは、私的な話ではないという合図のようなもの。
公爵家の未来がかかっている。この先の判断次第で、同じ未来を辿る可能性もゼロではないのだ。
「では、着替えて執務室に来なさい。そこで話そう」
侍女を呼び、身支度を整え、改めて父の執務室へ向かう。
ノックすると応えを待ってから、扉を開ける。
中には、父以外の誰もいなかった。当然か。
父と視線を合わせると了解を得られたので、エヴリーヌは鍵をかけた。
「先に、前回の状況を聞こうか」
「はい、私は式と披露宴後に湯あみを済ませ、寝室で殿下をお待ちしていたところ、見知らぬ男が入ってきたのです。殿下以外が来るはずないという思い込みで、気付いた時には抵抗を封じられておりました。呼べど叫べど誰も来る気配がなく。穢されるのを覚悟したときに、殿下と衛兵が踏み込んだのです」
「誰も来なかった、か。予め、遠ざけられていたのだろうな」
「おそらくは。そして、殿下に不義の疑いによりその場で捕縛され、地下牢に入れられました」
「貴族牢ですらなかったというのか。…馬鹿にしてくれる」
エドガーの怒りが、エヴリーヌには救いだった。私が軽んじられたことに対する怒り。
「殿下が姿を見せたのは、1日後だったと思います。刑の確定を告げに来たのですが、そのときに私は殿下に裏切られたことを知ったのです。公爵家の財産、鉱山などが目的だったようです」
「王家はあれでいて、火の車だからな」
「…そうでしたね」
愛を餌に、どれだけ自分の目が曇っていたのか恥じ入るしかない。前回は、心からクロヴィスを愛していたのだ。
婚約が決まってからずっと、エヴリーヌに寄り添い、想いを伝え、優しかった彼を。
それも完全に過去のものと成り果てたが。他でもない彼の手によって、粉々に砕かれたのだから。
「私が嫁ぐだけでは足りなかったのでしょうね。公爵家そのものを陥れたわけですし」
「ああ。後は、王位継承権の問題もあるかもしれん」
「継承権第一位は、あの時点でクロヴィス王太子殿下。次は王弟殿下、第二王子殿下、第一王女殿下、その次がお父様、私はその次になります。それほど関りがあるとは思えませんが」
アストレイ公爵家を潰したところで王家の利はともかく、王権と関係があるとは思えず首を傾げる。
エドガーは少し迷った素振りを見せるが、意を決したように口を開く。
「確証はないが、殿下は王の血をひいていない可能性がある」
「…それは」
大きな声で言えないどころの話ではない。貴族は血筋を何より尊ぶ。王家ともなれば、言わずもがな。
「下手を打てば、クーデターになりますね…」
「お前の言うとおりだ。そして、エヴリーヌと結婚して公爵家の血を取り入れれば、王家も安泰だったというのに」
「王朝交代という、現王家にとって最悪の事態を、公爵家断絶によって完全に防いだということですか…。目立つ瑕疵なく第一王子以外を立太子すれば、議会からの追及は避けられなかったでしょうし」
「殿下の件は、まだ可能性の段階ではあるのだがな。かなり確度の高い情報だとしても」
「それはもう、確定していると言えるのでは?」
「王家のことは、慎重に動かねばならんのだ。分かるだろう?」
それはもう、身に染みて。
「今はそれより、今後の対策だ。お前に婚約を打診されるまで、あと1年はある。どう動くのが最善か」
「1年…ということは、私は今6歳なのですね」
「そうだ。婚約を回避できればこれからの面倒事はほぼなくなるが、王命を出されれば打つ手がなくなる」
「ならば、敢えて婚約をお受けしましょう」
「何か考えがあるのだな?」
「考えというほどではないのですが。まずお父様は、商会を目立たないよう隣国に規模を移していってください」
「ああ、そういえばそちらも目をつけられていたのだな。わかった、すぐに商会長と話をつける。確か、現時点では隣国に支店がなかったはずだしな」
「それから…」
親子の対話は、まだまだ終わりが見えなかった。




