17.接触
エヴリーヌは船内を把握するため、一通り見て回ることにした。
この船、『パルテンツァ号』は帝国所有、教養の一環で知識としてあっても、実際に見るのは当然ながら初めてだ。
やはり帝国の技術には目を瞠るものがあると、感心することしきりである。
分かりやすいところでは、施された精緻な装飾だが、要所要所と全体の造り、何よりもここが船上とは思えないほどの安定感。
ヘーゼルダイン国ではまだ帆船が主で、改良や進化しているものの、海難事故がないわけではない。もちろん、昔に比べると減少傾向にあるけれど。
それに、単純な事故だけでなく、船上の生活が長期間に及ぶと船員の体調にも支障が出てくる。
船という移動手段が開発されて、海を隔てた他国との流通が可能になった反面、そういった弊害もあった。
今では広く知られているが『壊血病』は、原因が判明する前、不治の病として恐れられていた。海上という陸地にない不安定さが、船員の恐怖を煽ったのもあるのだろう。
身体的症状だけでなく、進行すると精神の異常も見られたという、すべての船員の恐怖の対象であったこの病を解明したのも、帝国である。
帝国が優れているのは、造船技術のみならず、医療分野も発達しているということはこの一面だけでも窺い知れる。
バルツァルが薬学で名を馳せているのは、薬草の産地というだけではない。携わる人々の飽くなき探求心、熱意も含め、幾度となく重ねられた研究と試行錯誤の結果、そうなったに過ぎない。
そして、言うまでもなく、軍事面でも。
生国のある大陸は中小の国の集合体だが、私たちが目的地とする大陸はすべてが帝国領だ。これだけでも察することができる人間は多いだろう。
到着予定は8日後。船旅は快適に過ごせそうだし、どんな国なのか、エヴリーヌも楽しみにしている。
そんな私の前に、ひとつの人影。蛇足だが、護衛は見えるところにいるので、いつでも対応可能だが。
「──私に、何かご用かしら」
別名、帝国領の窓口と呼ばれる港町、キルシュはエヴリーヌの想像以上に賑わっていた。どこを見ても、人、人、人。下船に時間がかかるのも、仕方ないと思えるくらいには。
しかし、船内で接触してきた人物は一体何が目的だったのだろう。
『──失礼ながら、エヴリーヌ=アストレイ様でいらっしゃいますか』
疑問形ですらなかった。私がエヴリーヌと確信した上での問い。船内なのに、帽子を目深に被っていて顔立ちがよく分からなかった。意図的なものだったのだろうが。
『あなたは?』
『主が、あなたとお話したいと』
『そう。その主のお名前を伺っても?』
『お会いしてから、主自身が名乗られるかと』
弧を描く口元。断られることを微塵も思っていなさそうな口振り。考えるまでもなかった。
『お断りするわ』
エヴリーヌの迷いのない断りに使者は驚いたようだった。
『理由を伺ってもよろしいでしょうか?』
むしろ何故、疑問もなく付いてくると思われたのか。
『主が誰かも分からない。名乗らない。そんな正体不明の人間の要求を、無条件で呑む義理はないわ』
『しかし…』
『ついでに言うとね』
『はい』
『あなたの得体の知れなさも理由よ』
絶句したような使者を置き去りにその場を去ったが。
同じ船に乗っていたはずだ。まさか、下船した先で待っているなどという回りくどい誘いではあるまいし。
それとなく見渡したところで見つかるはずがない。この人の多さでは。
まあ、あちらが用があるというなら、いずれ会うこともあるでしょう。
そんな起こるか分からない先のことはさておき。
産業の発展に伴い、帝国は生国よりはるかに物資も人種も多種多様だ。そうなると、危惧されるのが環境と治安である。入ってくるものが善良な物、人であるとは限らないからだ。
こちらの港町では、厳格な入国審査が行われる。エヴリーヌたちのように、正規の手続きを踏んで入国する者は問題ないが、そうではない者もいる。そのため、警備も厳重だ。
それなりの待ち時間を経て、帝国入りしたエヴリーヌたちは、ひとまず馬車止めに向かう。
馬車に代わる移動手段が帝国にはあるが、まだ普及していない。近い将来、一部の特権階級しか所有していない”自動車”も帝国での主流となるのだろう。他国が追いつくのには、相当の年数を要することも想像に難くない。
技術と人材は、国の財産である。国を豊かに、栄えさせるのに必要なのは資金だけではない。
帝国はそれを十分理解している。国自体が、それを証明していた。
産業革命的にこの段階で車が普及してないのは矛盾と思われる方もいらっしゃると思いますが、意図的なのでお見逃しを。。




