15.処理
謁見の翌日、私は学院に退学届けを出した。爵位返上により平民になるため、不必要な手順かもしれないが、形式上の手続きとして。
実を言えば、召喚状が来た時点で用意していた。王城からの帰りに出してきた方が手間はなかったが、あまりに動きが早すぎると怪しまれかねないので、後日としたのだ。
さて、爵位返上ということは、貴族位だけではなく領地、財産も王家に返上ということである。
これまで移転してきた資産はアストレイ家の私財だ。記録を遡り調べた結果、王家から委譲されたのは、移転する前の公爵家資産の5分の1ほどだったのを、エヴリーヌは確認している。
一族が、ここまで発展させたのだ。先人たちの努力を理解した上で、築き上げた資産を各地に分散していた。王家に収奪される前に。
今、ここに残っているのは、相応のものということだ。
そして領地の方は、前々から準備はしていたので滞りなく引継ぎは済んだ。
領民の幸福度は貢献度と比例するというのが、父エドガーの持論でアストレイ家の方針だ。公爵領が豊かであるのは、領民あってのことだと。
故に、私たちがこの地を去ることを見越して優秀な代官を任命し、複数の補佐官、監査官をつけ、完璧に管理できるように取り計らっていた。何かあれば、すぐに王家に報告できるような態勢を整えた。誰が治めることになっても、領民には不自由なく問題なく過ごせるように。
アストレイ家が公爵位、領地返上になることを通達すると、領民たちは私たちと共にありたいと、多数の希望者が出た。
しかし、地域に根付き、平穏に過ごしてきた領民たちを巻き込むわけにはいかない。今後の展望が不透明な状況では。そう言って、説得した。
侍女や侍従、護衛たちの大半もエヴリーヌたちと同行することを希望したが、やはりこの国に家族がいるものや移動できないものたちもいる。
その者たちには、紹介状と十分な退職金を用意し、既に送り出していた。
次の拠点として目をつけたのは、バルツァルの近隣国である、ブラント国だ。こちらも帝国領。温暖な気候で治安もいいらしい。
この国と陸続きの国は、最初から除外していた。何かあったときに面倒だから。間に海くらいある方が都合がいい。
インフリックを通じて手頃な屋敷を見繕い、購入したのは数年前。現在は最低限の使用人を残して、私たちと同行希望の者に先んじて管理させている。
商会も、ブラントに手を伸ばしているとのこと。それも、屋敷の購入以前だったというから、先見の明があるというか何というか。インフリックを見込んだ、父の慧眼ぶりにも脱帽である。
船の手配も済んだ。公爵家内部の片付けも終わっている。旅立ちは、3日後だ。
「…向こうに着いたら、しばらくのんびりしようかしら」
「お嬢様、使わないと頭はすぐに退化いたしますよ」
「まあ、メアリったら手厳しい」
コポコポと心地よい音を立てて、お茶が注がれる。平和だ。
平和、なのだが。
「お嬢様、しばしお側を離れます。外が少々騒がしいようですので」
「…気にはしていたのだけれど」
報告を待ってもいいかと思い、放置していたのだ。今更、爵位返上した公爵家に、それも昼間から賊など考えにくい。私たちが狙いだとしても、護衛で撃退可能だろうし。
メアリがドアに向かうと同時に、ノックの音が響く。許可すると現れたのはエルマーで。
「失礼いたします。…先触れのないお客様がお見えなのですが」
「そう。誰?」
「それが、オールドリッジ公爵令嬢でして」
「いいわ。応接間にお通しして」
これまた珍しいお客様だこと。
「婚約解消って、退学って、どういうことなの?!」
ああ、この剣幕、入学式を思い出すわね。
さすがこういう噂が広まるのは早い。学院に届けを出したのは昨日のことだというのに。
「ミランダ様、落ち着いて。まずはお座りください」
「むしろどうして、こんなときまであなたは冷静なのよ!」
そう言いながらも素直にソファに座ったミランダに、お茶を出すよう命じた。
「大したおもてなしもできませんが、どうぞ」
にっこり笑うと、少しは落ち着いてきたのか、ミランダはカップを手に取ってお茶を口に含んだ。
ふう、と息をつくとエヴリーヌを正視する。真っ直ぐで綺麗な目だ。
「先日の事故の件も聞いたわ。…もう身体の方はいいの?」
「ええ。軽い打撲などで済みましたから」
「本当は、お見舞いに来ようと思っていたのだけれど、お父様に止められてしまって」
「お気になさらず」
事故というより事件だったので、軽々に動くなということだったのだろう。オールドリッジ公爵としては関わらせたくなかったはずだ。ミランダがこの件に無関係だと分かっていても。
「その後すぐに、Dクラスの男爵令嬢が捕まって、Aクラスも3人ほど退学が決まっていたわ」
「ああ…」
あの3人か。
「ずっと、エヴリーヌ様が嫌がらせを受けていたってことも、知ったのはそれからだった」
「……」
エヴリーヌは無言で微笑んだままだ。
嫌がらせは公然と行われていたわけではないので、気付かない者も当然いた。ミランダもその1人だったと、それだけのことである。クラスも違うし。
「悔しかった。…何もできなかったのが。身近でそんなことが起こっていたのに、気付かなかった自分にも、腹が立ったの」
「…そのお言葉だけで、十分です」
家族以外、公爵家の身内、使用人以外で、エヴリーヌ個人を案じてくれる人間がどれほどいるだろうか。
泣き出しそうなミランダの言葉は真摯で、疑う余地のないものだと、思う私は甘いのかもしれない。
「ミランダ様のご心配、嬉しいですわ…本当に」
「なっ?! し、心配したなんて、一言も…!」
「違うのですか?」
悲しそうな顔をすると、ぐっと詰まるミランダ。
「…違わないわ」
やはり、可愛いらしいのだ。
それから、少し話をした。
ずっと話しかけたかったけれど、入学式の件があってなかなか踏ん切りがつかなかったこと。
いつも遠目に見ていたこと。…視線のひとつはミランダか。
「ところで、今日、学院は?」
「…体調不良で早退よ」
「とてもそうは見えませんが?」
「…あなたに会いたかったのよ、悪い?!」
突然切れたように叫んだミランダに、声を立てて笑った。
ミランダさんが出ると言って聞かないので、旅立ちは次回になりました(笑)。




