#92 捨てられていたあるもの
「そ、そんなっ……!」
そんな驚きやら悲しみやら色んな感情が混ざり合った声を上げているのは、今日も今日とて朝市に来ているカスミだった。
というのも、カスミはある店の目立つ位置に置かれていたよく肥えた立派な鮭を買おうとしていて、それを店の人が捌いてくれたのだが、その時に事件は起こった。
まず、その鮭の腹を割った段階で、大きな粒を携えた筋子が露わになったのだ。
カスミが生きていた日本では、秋頃に鮭は卵である筋子…… 分かりやすく言うといくらを腹に抱えるものだったが、どうやらこちらの世界の鮭はちょうど今くらいの時期に卵を抱えるようだ。
しかもその筋子は、カスミが生きていた現代日本ではもう中々見れなくなった大層立派なサイズで、受け取るのがより楽しみになった。
ところが、捌き終わって渡されたのは、切り身状にされた鮭のみで、流石にあれだけ立派な筋子は別売りなのかなと思いながら、ダメ元のつもりでカスミがその筋子も欲しいと言うと、店の人はキョトンとした表情を浮かべた。
そしてその次には「こんなもん欲しいのかい? 何に使うんだ?」と不思議そうな表情を浮かべながら聞いてきたので、カスミは当たり前のように食べるんだと伝えた。
すると、店の人はさらにキョトンとした顔になり、その次には「これは食べ物じゃないよ?」と諭すように言われた。
その段階でカスミの脳裏には嫌な予感があったのだが、もしかしたらこの世界の鮭の卵は毒でもあるのかもと思い「危ないんですか?」と尋ねた。
それに対して店の人は「毒は無いけど内臓だから食べないよ」と当たり前のように答えた。
ここまでの話を聞いたカスミが辿り着いた事実は、どうやらこの世界では魚の卵や内臓は、食べずに捨てられてしまうということ。
つまり、カスミからすれば喉から手が出るくらい欲しい立派ないくらが、これまで数え切れないほど廃棄処分されてしまっていたのだ。
「……さい」
「ん?」
「とりあえずそれ、ください……!」
「あ、ああ、まぁ良いけど……」
その事実に愕然としつつも、カスミはとりあえず目の前の筋子は鬼の形相を浮かべながら店の人に欲しいと伝えた。
「それと、ほんの少しだけで良いので、調理ができるスペースを貸してくれませんか……?」
「な、なにするんだ?」
「いくらの美味しさを知ってもらいます……! 今まで捨てたことを後悔するくらい……!」
「わ、分かった。 奥のスペース使って良いよ」
子供の見た目のカスミだが、凄まじい圧を放ちながら場所を貸して欲しいと言うと、店の人はタジタジになりながら店の奥のスペースを使っていいと言ってくれた。
「30分くらいで仕上げるので、他の鮭を扱うお店の人にも良ければ声かけて集まって欲しいです……! 絶っっっ対に後悔させないので……!」
「は、はいっ」
さらに続いたカスミの圧に、思わず店の人は敬語で返事をして、周りの鮭を売っている店に声掛けを始めた。
「フィオさん、手伝ってください……!」
「は〜い……」
そんなこんなで、店の人が貸してくれた水道があるスペースに入ったカスミは、今日も一緒に朝市に来ていたフィオと一緒に作業を始めていく。
「カスミちゃん、凄い圧だったけど、そんなにそれ好きなの〜……?」
「大好物ですっ」
ここまでカスミが必死なのは、実はカスミはかなりのいくら好きで、どれくらい好きかというと、甘いものを除いたら確実に5本の指には入るほどなのだ。
前世では近年、いくらが高騰するわ、その辺の店で売られたり回転寿司で出されるものは粒も小さいわで、大粒の美味しいいくらを食べるために、カスミは休みの日に奮発して高級寿司に行くことがちょこちょこあったくらいだった。
そんな高級寿司店で扱われるような大粒のいくらが、まさかの捨てられているという事実に、カスミはもう我慢ならなかった。
なので、サクッと調理して、いくらの美味しさを知ってもらうことにする。
まずは鍋をコンロにかけ、40度くらいのぬるま湯を作り、小さじに軽く山ができるくらいの量の塩を加える。
次に筋子の外側の膜の切れ目に指を入れて、卵が表にくるように裏返す。
後はこれをぬるま湯に浸して、潰さないように注意しながら指で膜から剥がしていく。
「お〜、いっぱい落ちてきた〜……」
「新鮮でものが良いので、剥がしやすいですね」
新鮮で一粒一粒が大きく、ハリがあるいくらは非常に剥がしやすく、あっという間に筋子一つ分のいくらが剥がし終わった。
そうしたら、優しくかき混ぜたりして、浮いてきた膜の切れ端や、いくらに引っ付いている膜や血合いを取っていく。
これを湯を3回ほど変えながら繰り返していくと、ほとんどの膜は取れ、綺麗な状態になった。
そうして綺麗になったいくらはザルに上げて水気を切っておき、その間にカスミは鍋に酒、みりんを注いで火にかけ、アルコールを飛ばす。
アルコールがしっかり飛んだらそこへ醤油も加えて弱火で軽く煮詰め、ちょっと時間が惜しいので、フィオにお願いして氷魔法で鍋を冷やして粗熱を取っていく。
そうして出来上がった漬け汁を、綺麗なボウルに移したいくらの上からかけていく。
「フィオさん、これを半日くらい時間進めてもらえますか?」
「お安い御用〜……」
本来だったらこの状態で半日くらい置くのだが、すぐ食べたいので、フィオのタイムシフトの魔法でボウルの中のいくらの時間を進めてもらった。
すると、少しいくらの色が濃くなり、試しにカスミはスプーンでそのいくらを掬って口に運んでみた。
「ん〜っ! 美味しいですっ!」
すると、大粒で新鮮ないくらは、噛んでも中々潰れないくらいハリがあって、潰れたら潰れたで濃厚な旨味が口の中に広がっていった。
「フィオさんもどうぞっ」
「ん…… お〜……! 確かに美味しいね〜……!」
「そうしたらこれを……」
フィオにもお墨付きをもらったので、それからカスミはパパッとあるものを作り、店の前へと戻っていった。
するとそこには、先程話した店の人が集めてきた、近くで鮭を売っている店の者達が5名ほど集まっていた。
「お待たせしましたっ」
「ああ、言われた通り人集めてきたけど…… それがさっきの卵?」
「はい。 筋子から取ったいくらを、醤油やみりんという、もうすぐこの街でも発売される新しい調味料で漬けたものです。 で、良ければこちらをどうぞ」
そう言ってカスミが運んできたトレーの上には、海苔に巻かれたおにぎりが10個くらい並べられていた。
「これは?」
「ライスを海苔で包んだおにぎりというものです」
「ライス? ……ああ、そういえば最近、他の街でライスを食べたって言ってた奴がいたな」
どうやらこの街ではまだライスはあまり普及していないらしく、集まってきた者達はおにぎりを見て少し怪訝そうな顔を浮かべていた。
「このおにぎりの中にいくらを詰めてます。 騙されたと思ってお一つどうぞっ」
「ライスに卵…… ま、まぁ、そこまで言うなら食べてみるよ」
ライスも魚卵も馴染みが無い者からすると、目の前のおにぎりは全くの未知の食べ物だったが、カスミの熱意に押されて筋子をくれた店の男はおにぎりを口に運んでいった。
「おっ…… おおっ……!? う、美味いっ!」
するとその男は、想像以上過ぎる美味しさに目を見開きながら驚きの声を上げた。
「今まで食べてきたもので一番美味いかも……! お嬢ちゃん、これは凄いよ!」
「ふふ、そう言ってもらえて良かったです」
「皆んな、これ食べてみてくれ!」
それから他の集まってきた鮭を売っている店の者達も、続々といくらのおにぎりを口に運んでいった。
「な、なんだこれ、美味ぇ!」
「今まで捨ててきた卵がこんな美味しいものだったなんて……!」
その結果、全員がいくらのおにぎりを絶賛してくれ、同時にこんな美味いものを今まで捨ててきたという事実に少しショックを受けた。
「お嬢ちゃん、これは凄いよ!」
「ぜひ売ってみてください。 あ、筋子のばらし方もお教えしますね」
それからカスミは筋子のばらし方や、いくらの醤油漬けの作り方、あとは他にもいくらを使った料理について集まってきた者達に教えてあげた。
その途中で話を聞いたが、どうやら他にも美味しく食べられるのに捨ててしまっている魚卵や内臓があるみたいなので、また後日にしっかりと時間を取ってそれらについても教えて欲しいと頼み込まれた。
カスミはそれを快く了承し、一旦今日のところは作ったいくらの醤油漬けをお土産に、宿へ戻ることにした。
「思わぬ収穫でしたね」
「そうだね〜…… にしても、カスミちゃんまた目立ってたね〜……」
「あ…… た、確かに…… でも、居ても立っても居られなくて……」
「今度はなんて呼ばれるかな〜…… いくらの天使〜……?」
「や、やめてくださいっ! ま、まぁでも、一応調味料の件は秘密にしておいてと言っておいたので、大丈夫ですよっ」
「そうかな〜……」
まだこの街で発売されてない調味料に関しては、あと数日でデラフト商会から売り出されるから、一旦秘密にしておいてと頼んでおいたので、変に話が広まることはないだろうとカスミは高を括っていた。
しかし、この時すぐにでも戻って、いくらや調味料に関してではなく、カスミ自身に関することを広めないように忠告しなかったことにカスミは後々後悔することになるのだが、それはまた別のお話。
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