#146 不穏な影
「し、失礼します……」
カスミが帝国にいる頃。
ナステリア王国のとある屋敷では、その屋敷の主人の秘書が、ある書類を主人に提出していた。
「……なんだこれは?」
「こ、今年度末から来年度にかけての収支予測になります……」
そう秘書の男に言われた男…… アヴァリス商会の会長、マルズロは、面倒臭そうにその書類に目を通した。
「なんだこれは……! 赤字なんてものじゃないぞ!」
その書類にはアヴァリス商会が販売している商品や、携わっている事業の収支がまとめられていたのだが、どれを取っても赤字ばかりで、その額はこのままだと破産しかねない程だった。
「なぜこんなことになっている!」
「す、数年程前から手を出している新事業がまだ形になっておりませんし、その…… 主力商品の鉱物資源も取れておらず、鉱山の維持費が嵩むばかりで……」
「鉱山資源などいくらでも……!」
「き、去年の大規模採掘の影響で、鉱山資源はほとんど底を尽きています……! これ以上無茶な採掘を行えば、完全に枯れてしまいますっ……」
「……私のせいだと言いたいのか?」
「め、滅相もございませんっ!」
去年行った大規模採掘というのは、新事業に手を出しすぎて資金が心もとなくなったためにマルズロが命じたことで、一時は莫大な資金を手に入れることに成功した。
だが、鉱山というのは新たな資源を生み出すのに年単位の時間が必要で、しばらくはまともに採掘をすることはできない状態に陥ってしまっていた。
しかも、その資源で手にした資金も新事業に注ぎ込んだはいいが、事業というのは鉱山と同じで実利が出るには時間がかかるので、現状ただの金食い虫になってしまっていた。
「くそっ、デラフト商会め……!」
マルズロはそんなアヴァリス商会を困窮させている原因の一つである、デラフト商会への恨み言を口にした。
デラフト商会が売り出した新たな料理のレシピや調味料によって、アヴァリス商会を利用していた食品関係の顧客は、ほとんどが既にデラフト商会へ鞍替えしていた。
その流れで他の商品もデラフト商会製のものが売れるようになり、アヴァリス商会はもう鉱山から取れた宝石や鉄鉱石を使った商売でしかデラフト商会に対抗できないのだが、その鉱山資源もそう遠くない内に底を尽くだろう。
「……どうすればいい?」
「げ、現在投資中の事業から手を引くしかないかと……」
「あれだけ注ぎ込んだのだぞ!?」
「ひっ……! で、ですが、もう投資に回せる資金はありませんっ……!」
「ぐぬぬ……! おい、以前命じたデラフト商会の急成長の原因調査はどうなった……!」
「え、えっと、どうやらヒト族の少女がレシピや調味料の開発者だそうです……! 名は確か、カスミという……」
一応、カスミに関してはナステリア王家から不干渉のお触れが出ているものの、ある程度の権力を持った者なら名前や容姿くらいなら、密偵を使って調べを付けることはできる。
「少女だと……?」
「み、見た目の話ですので、実年齢は分かりませんが……」
「そんなことはどうだっていい! ……引き込めないのか?」
「そ、それは難しいかと…… デラフト商会と恐らく専属契約を結んでいるでしょうし、話によると彼女はかの冒険者パーティー、ビフレストのメンバーでもあるのだとか……」
「ビフレストだと……? ビフレスト、少女…… もしかして……」
そこまで聞いたマルズロは、以前ワイバーン肉を持参して無理やり参加した、この国の第二王女の誕生日パーティーの風景を思い出した。
そこには美女揃いのビフレストのメンバー達もいて、マルズロも思わず目を奪われたものだが、パーティーの途中からそのメンバー達の近くに黒髪の少女がいた。
「彼奴か……!」
さらに記憶を掘り返すと、その少女は以前、サミアンの街の商業ギルドを訪れた際、憎きデラフト商会の会長、シクウの近くにいた。
つまりはあの時から、アヴァリス商会の破滅へのカウントダウンが始まっていたということだ。
「引き込めないなら…… いっそ消すか」
「なっ! そ、それだけはいけません会長! かの少女は王家とも懇意にしていて、最近では他国の権力者とも繋がりを作っていると噂になっております! そんな重要人物に手を出したら……!」
「ええい、黙れ無能が! それならこの商会を立て直す案を直ちに出せ!」
「そ、それは…… た、立て直すのは無理でも、事業をいくつか売却すれば、店を畳むのは避けられます……!」
「ふざけるなぁっ!」
その後もマルズロの屋敷では、癇癪を起こしたマルズロの怒号が鳴り響き続けた。
彼は自分のことばかりしか気にしていないため気付いていないが、既に屋敷の使用人達は一人、また一人と数を減らしており、秘書の男も今は亡きアヴァリス商会先代会長の時代から支えている男だったが、マルズロにはもう何を言っても無駄かもしれないと見切りを付け初めていた。
そうして徐々に商会だけでなく、自らの足下までも崩れていっていることに、マルズロはまだ気付いていなかった。
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