混乱と既視感
「ルフェウス様とお会いできたのですね」
頭が真っ白になったまま帰宅し、今日あったことを打ち明けるとメアンは満面の笑みを浮かべた。
「……会ってよかったのかしら」
「会わないと始まらないではありませんか」
「それは、そうなのだけれど……」
実際に目の前で笑うルフェウスを見ることができると自分と関わらない方が彼は幸せなのではないかと思う。
精神が記憶の重みに耐えうる状態になれば『前回』の記憶が戻るとのことだが、ルフェウスの記憶は彼自身の『ギフト』の力で繰り返された結果、膨大なものになっている。
もしかすると生きているうちに記憶は戻らないのではないかとも思う。
そしてその方がルフェウスは屈託なく笑い年相応に振舞えるのではないかとも……考えてしまう。
当然、『前回』の記憶をもつルフェウスに会いたくない訳ではない。
けれどルフェウスを想うからこそ、純粋に幸せになってほしいと思うのだ。
「この先、どうなるのかわからないのです。記憶が戻るにせよ戻らないにせよ、ルフェウス様の人生で。今回フレイア様に関わろうとなさるのもルフェウス様の意志ですよ」
メアンはにこにこしたまま、けれど静かな声を返してくるので。思わずフレイアはメアンをまじまじと見つめた。
「そうね……私、何を勘違いしていたのかしら」
勿論、純粋にルフェウスの幸せを願うことがいけないというわけではないけれど。その考えはいささか独善的かもしれないと思った。
膨大な魔力と強大な『ギフト』を持ち、メナーディアも傍に居て、精霊達と交流を持っているせいで自分は知らず、傲慢になっていたのかもしれないとフレイアは密かに反省する。
「なるようにしかならないわよね。それに少し会ったくらいで何も変わりはしないわ。そもそもルフェウス様にはちゃんと婚約者が居らっしゃるし……」
ルフェウスは物腰が柔らかだが意志が強く真面目だ。
間違っても婚約者を裏切るような真似はしないだろうし。
ルフェウスの婚約者であるアルカインド侯爵令嬢フェルメーシュは病弱ではあるものの明晰な頭脳と飛びぬけた美貌を持つ少女だという。
フェルメーシュは領地で教育を受けていたため、彼女の姿を王都で見たことはなかったけれど。一度だけ相まみえたことがあるらしい父によると噂にたがわぬ美貌と才媛だそうだ。
「フレイア様は真面目ですね、こうも『前回』から変わっているのですからもっと自由に振舞われてもよろしいのではないでしょうか」
「それもそうね……」
髪に結んだリボンを解いて髪を梳ってくれるメアンの言葉に頷きながら、フレイアは取り敢えず、探究科に入るための勉強に本腰を入れることにした。
もしもルフェウスの人生と自分の人生が今回も交わるのなら嬉しいと思う程度にして過ごすか……もういっそ『前回』の記憶など薄れゆく十八歳の意識ごと忘れてしまった方がいいのかもしれないと思った。
だがそんな考えを掻き乱すように、ルフェウスからの封蝋のついた手紙が届いたのは城を訪れた夜の事だった。
極めて私的なものだったせいだろう。
城からの使者は手紙だけを使用人に渡すと帰ってしまい。
その話を聞いたフレイアは頭を抱えた。
良くも悪くもルフェウスの大胆な一面が発揮されている。
中身が純粋な九歳の子供ではない自分だから問題は起こらないが、私的な手紙を婚約者以外の令嬢に送った場合、とんでもないことになりかねないのに、ルフェウスは何を考えているのだろう。
……と。届いた手紙をティーテーブルに置いたフレイアはひとりであるのを良いことにせわしない足取りでテーブルの周りをまわっていた。
滅多にない主の奇行にふわふわと戸惑うように光が飛んでは、見つかるのを恐れるようにふわりと消える。
とうとう決心して手紙を取り上げたフレイアは手紙を開封し……あまりにも他愛のない内容に肩の力を抜いた。
要は……思慮深いし不思議な『ギフト』を持っているようだから将来的に腹心にならないかという誘いだ。
それもそれでどうかと思うけれど婚約者であるフェルメーシュに誤解されるようなことになればお互いのためにならない。
丁重にお断りすることにしてフレイアは机に向かった。
馴染み深いはずの自室が妙に他所他所しく感じるのは物心ついてから時折起こる現象だ。
なんというか……自分のために整えられている部屋に居るはずなのに『もっと自分は違う場所を知っている』という既視感のような、そうでないような妙な気持ちになってくる。
婚約者が二日ほど高熱を出したという知らせを受け、見舞いに行って会えないまま帰ってきたルフェウスは軽い疲労感を覚えて椅子に腰かけた。
机の上にはしまい込みたいのにずっと見ていたい気持ちになるので今宵も机の上に出してしまった封書がある。
中に入っているのは先日の茶会で王妃に招かれていたルーンベル伯爵令嬢フレイアからの返書だ。
茶会を辞してから居ても立っても居られない気持ちでしたためた手紙に対する返事は素っ気ないものだったけれど。流麗な筆跡は九歳の子供のものとは思えないほど整っていて。ずっと見ていたい気持ちと……以前から自分はこの文字を……あの令嬢のことを知っていたのではないかという気持ちになっている。
最近はもしかして自分は記憶を取り戻していない異世界からの『旅人』で。
彼女と何らかの縁があったのかもしれないと思い始めている。
だからずっと、物心ついた頃から欠乏感のような、違和感が付きまとっているのかもしれない。
『旅人』はある日突然、『以前』のことを思い出し、振舞いや思考が一気に変わるという。
自分が自分でなくなるのは恐ろしい気がするけれど。
変化した自分こそが恐らく魂として生きてきた自分で……だから、もしも自分の記憶がどこかにあるのなら早く戻ってほしいと思った。
けれど自分は王位を継ぐ予定がないとはいえ、婚約者が居て。
何故かその婚約者からは体調不良があろうがなかろうが、拒否されていて、もう半年は顔を見ていない。
アルカインド侯爵は商売上手で世知辛いが、野心家ではない。
令嬢が何を考えているのかわからないが、自分との結婚に前向きではない事だけは伝わってくる。
もしかすると自分の居場所がないような気持ちになるのはそんな状況のせいなのかもしれない……と考えながらルフェウスは知らず、そっと手紙を抱きしめてから鍵の付いた抽斗の中に手紙を仕舞った。




