九歳なんてこんなもの
「それにしてもフレイアちゃんは何故、緊張しているの。去年は平気だったしラクレスの為に何度も一人で王城に通っていたのに」
王城。
社交期を待ちかねたように王妃に招かれた母は馬車の座席で身を硬くして座っているフレイアを見て微苦笑を浮かべる。
「精神が体に引っ張られている感じがするのです」
本来王城は、九歳の伯爵家令嬢としては息をするのも躊躇われる場所だ。
去年はまだ情緒が十八歳の名残を強く残していたのでそこまでの緊張に見舞われなかったのだが一年経つと精神が肉体に馴染んだのだろうか。
手が震えるし変な動悸も止まらない。
あと、当然使用人たちが居るのだから鉢合わせするなんてことはないとわかっているのに、ルフェウスに偶然会ったらと思うとどうしても緊張してしまう。
「ふふー、そういう時はさ、掌にこう、人を書いて飲み込むといいんだよ」
そう言いながら母はフレイアの手を取ると掌に二回指先を触れさせてにこにことこちらを見つめてくる。
「呪術ですか?」
十中八九、異界の知識なのだろう。
文字とはいえ人を飲み込むというのがなんだか恐ろしく思えてフレイアは恐る恐る問いかけ、何故か母は楽しそうに笑うばかりだった。
「第三王子は所用で今日はバーネッタ公爵邸に行ってるらしいから鉢合わせすることはないよ」
「それはなによりです」
第三王子が不在であることは父に伝えられていたから知っていたけれど。気遣ってくれる母の気持ちが嬉しくてフレイアは微笑みを返した。
「……それにしても今日のドレス、派手ではありませんか?」
「今日の為に仕立てたのよー。お気に召さないかしらウルカンが開発した織機で作りあげられた新作『乙女目覚める朝露の薔薇』」
「綺麗ですけれど……お母様のドレスブランドのお名前は独特ですよね」
フレイアはそっとドレスを撫でた。
朝日に輝く、柔らかな薔薇を思わせる桃色の生地に。光の帯のようなほぼレースでできているのではないかと思うような淡い桃色のオーバードレス。いたるところに水晶が縫い付けられている様は確かに母の名付けた名前も納得の逸品なのだが……自分がそれを纏っているのが少し恥ずかしいと思う。
そんな気持ちを持て余しているうちに馬車は離宮へとたどり着き。
脚がもつれそうになりながらも、フレイアは母について歩いた。
昨年、初めて離宮を訪れた時の東屋には王妃と先代王妃、側妃、そしてラクレスと婚約したミネルが居る。
ミネルは母とフレイアを見るとぱっと顔を輝かせて柔らかな笑みを向けてくれる。
半年ほど前に辺境から王都へ帰って行ってからもラクレスとの交流は問題なく続いているのだろう。
心なしか先代王妃の表情もやわらかに見える。
「いらっしゃい、ルミル。フレイア」
今日も美しい赤毛を輝かせている王妃が微笑んで迎えてくれる。
ルミルは気軽な様子で手を挙げ。フレイアは丁寧にカーテシーをした。
そのまま。王妃付きの侍女が席に案内され。フレイアは震えそうになる脚を堪えて腰を落ち着けた。
座って、初めて……席にふたつ空席があることに気づく。
去年顔を合わせた面々に欠けはない。
誰か、あとから来るのだろうか。
気になったけれど笑顔のミネルが話しかけてきたのでフレイアはラクレスとのことが気になっていたので、取り敢えず一旦、空席のことを忘れた。
「遅れて申し訳ありません、母上」
ほんの少し緊張がまぎれてきた頃。
東屋の外から声がした。
王妃が顔を向けて微笑む。
燃えるような赤毛を煌めかせて東屋に入ってきたのは第二王子ユリシスだ。
空席のひとつは彼のためのものだった……ということは、あとのひとつは……
「兄上、こちらに」
「あぁ……お邪魔してしまって、申し訳ない」
見間違えようのない、白銀の髪を輝かせて現れたのはルフェウスだ。
どうやらユリシスに連れてこられたといった様子のルフェウスはよりによってフレイアの隣に座る。
フレイアは思わず姿勢を正しそうになって、堪えた。
ルフェウスには婚約者が居るのだ。ここで居住まいを正す方が宜しくない。
「失礼するよ、ルーンベル伯爵令嬢」
ユリシスに聞いていたのだろう、特に引っかかった様子もなくルフェウスは名を口にし……気のせいか、何かを思い耽るようにふっとその眼が翳ったように見えて。
気が気ではない気持ちを噛み殺しながらフレイアは無言のまま深く一礼した。
「ルミルのところでお世話になったのに二人は初対面なのねー」
その様子を見ていたエウロ妃が微笑ましそうに声を掛けてくる。
『前回』メナーディアに操られていたせいもあって、エウロ妃が本来どんな性格なのかわからないままで。そのふわふわとした口調に裏があるのか、フレイアはまだ計りかねていた。
「お世話になったのはほぼ一晩のみでしたから。長子のエルムスとは顔を合わせましたよ。将来の腹心に欲しいと思いましたが列車の開発に携わりたいと断られてしまいました」
ルフェウスはエウロ妃に向かって気のない口調でそんなことを笑いながら語る。
兄がルフェウスの誘いを断ったことを知らなかったフレイアは内心叫びそうになりながらも、ルフェウスの声を間近で聞いて。彼はやはり『前回』とは違うけれどやはりこれが本来の彼なのだと噛みしめるような気持ちで居た。
「流石ルミルの息子だ」
「そうでしょー、顔はジークに似てるんだけど私にそっくりなのー」
その言葉に笑ったのは王妃で母が胸を張り。
「それ、フィーナは褒めてないのよ、ルミル」
エウロ妃が突っ込んでいた。
「ルーンベル伯爵邸といえば……夜に精霊に会いましたよ。姿を見ることはできませんでしたが涼やかでいて愛らしい、人間のものとは思えないほど綺麗な声をしていました」
何食わぬ顔を装いながら紅茶を飲もうとしていたフレイアは危うく紅茶にむせそうになった。
「精霊! 私は聞いたことがないけれどいるんですね」
可愛い妹の顔をしたミネルがクッキーを齧りながら声を上げ。先代王妃がその不作法を視線で咎める。
「旅で疲れているのに眠れない僕の前に現れて、眠らせてくれたんです」
ルフェウスは楽しそうに、さもいい思い出のように語るけれど。隣のフレイアは平静を装いながらもカップの取っ手を優雅に持つ手に滲む汗を感じた。
「何故か懐かしい雰囲気もあったのは精霊のせいでしょうか。また訪れてみたいものです」
「精霊かー……魔力の素養がある人にいわせるといたるところに居るらしいけど見たことがないや」
ルフェウスの言葉に母が肩を竦め。
「魔力の素養がある者……それは列車を開発する技術者の中に居るのか」
フレイアを見かねたらしいユリシスが母に問いかけた。
「そうそう、動力炉の開発に携わる人でねー……」
幸い、話題は逸れていき。
フレイアはカップの陰でそっと安堵の吐息を漏らし……カップ越しにルフェウスと目が合ってぎしりと動きを止めた。
「楽しめているかな」
低められた声で問いかけられて。フレイアは頷いた。
気安い視線を向けないように伏し目がちになって、内気な少女を演じることにする。
そうしておけば問題ないはずだ。現に自分は九歳で、慣れない王城の雰囲気に圧倒されているありふれた伯爵令嬢……に見えるはずだ。
何があっても……声を出してはいけない。
今後声を出さざるを得ない場面はあるだろうが、いまはまずい。
ルフェウスに『精霊』の正体を知られてはいけない。
「フレイア、緊張しすぎだよ」
「ひぁっ」
そう自戒した矢先、予想外の伏兵のせいでフレイアは声を上げてしまった。
誰かなんて決まっている。
隣に座った母だ。
無遠慮に頬を突いた母の指を、思わずフレイアは掴んで『なんてことを』と言いながら振り回したくなったけれど堪えた。
代わりに恥じらうようにカップに目を落とすと。大きな声を上げてしまった羞恥を感じているように見えたのだろう。
「本当にフレイアはルミルの娘かと疑ってしまうほどに控えめで可愛いな」
王妃が笑う声がして。すかさず母がどういう事よーと食って掛かっていく。
その間も、フレイアは傍らのルフェウスからの視線を感じていて。
確かめるのが怖いけれど確かめない訳にはいかないと思ってそっと目を上げ……星空を思わせる眼差しに捕まった……気がした。
ルフェウスは微笑ましいものを見るように此方を見つめていて。
けれどその思慮深そうな眼はすべてを察しているように思えるほど奥深い輝きを宿していて……目を上げたはいいものの、フレイアはテーブルの上のお菓子を見るふりをして逃げた。
そんなこんなで気の休まらないお茶会は続き。
自分の様子を見かねたのだろう、ユリシスがルフェウスに声を掛けてお茶会を中座した。
ユリシスの声を聞いて、漸く息が吐けると思ったのもつかの間。
席を立つ際にルフェウスが軽く屈んでこちらに囁いてきた。
「約束、守ってくれたんだね」
かまを掛けられたのかもしれない。
そう思ったけれど幼い身体は言うことをきかず。目を見開いてルフェウスを見てしまう。
目と目が合って。ルフェウスは『前回』とはかけ離れた少年らしい屈託のない笑みを深め……何事もなかったかのように去っていき。
フレイアは呆然とした気持ちのままその背中を目で追った。




